感触

君の、髪の感触。君の、唇の感触。
指にそっと馴染む、その感触。
こうして触れるだけで、触れているだけで。


ただひどく、切なさを覚えるのはどうしてやろう？



好きと愛しているの境界線は、いったい何処にあるのだろうか？
「―――火村」
名前を呼んで、振り返った君の髪に触れる。漆黒のぽさぽさの髪。けれども指先をすり抜ける柔らかくて細い髪。この感触が何時しかこの指先に一番馴染むものになった頃。
「うざいぞ、アリス」
なった頃に、気が付いた。もう何処にも戻れないのだと。戻ることが、出来ないのだと。
「いいやん、触りたいんや。君の髪」
微かに薫るのはタバコの匂い。君からこの匂いが消えることはない。何時しかこの匂い自身が『君』になっているようで。
「…触れたいんや…君に……」
君がその匂いに包まれ隠されてしまいそうで、それがイヤで。それがイヤ、だったから。

…だから少しでも、俺の匂いがするように…唇を重ねた。


何時から変わったのか？何時からこんなになったのか？
自分でも分からない。自分でも、分からなかった。
気付いたら捕らわれていた。気付いたら求めていた。
何よりも君が欲しくて。何よりも君だけが欲しくて。
ただひたすらに、欲しくて。自分だけのものにしたくて。
それだけを。それだけを、思うようになっていた。


想いの境界線が分からなくなって、そして入り乱れて交じり合って。
そして俺は何処へゆく。何処へ、ゆくのだろうか？

君が欲しい。君だけが欲しい。
他に何もいらないから、俺だけを。
俺だけを見て、欲しい。


「…火村……」
髪に、触れて。唇に、触れて。
「…好きや…君だけが……」
君に、触れて。君の、こころに。
「…君だけが…好きや……」
君のこころに、触れたい。


――――こんなにも俺は溢れている…君が好きだと…溢れている……


そっと俺の身体を抱きとめる腕。大きく広い、その腕が。俺だけのものやったらいいのに。俺だけのものやったらこんなにも。こんなにも苦しくない。
「どうした？アリス」
髪を撫でてくれる大きな手のひらも。綺麗な指先も、全部。全部俺だけのものやったら、いいのに。でも。でも、君は。
「…何でもない……」
誰のものでもないけれど、俺だけのものでもない。


君の中に入りたい。君の全部を知りたい。
君の傷を、君の心を知りたい。でも。
でも君は本当の心を。一番奥の傷を、決して。
決して誰にも見せはしない。俺にすら。

―――見せては…くれないから……


気付いたら君が、どうしようもないほどに好きだった。
どうにも出来ないほどに君を好きになっていた。どうしたら。
どうしたらいいのか、何時もそればかりを考えていた。
どうしたら君が、俺だけのものになってくれるのかと。どうしたら。

どうしたら君が、本当のこころを、俺に見せてくれるのかと。


君に、キスをする。俺からスキをする。こうして唇を重ね、触れ合う感触だけが今の俺にとって唯一の信じられるものだから。唯一の君を、感じられるものだから。
「…んっ…火…村っ…はぁっ……」
唇を開いて舌を招き入れ、そのまま絡めとって。自らその舌を絡めとって、その味に酔いしれる。こうする事でしか、分からない。こうする事しか、俺には分からないから。
「…ふぅっ…ん…んんっ……」
君を知る方法を。そして俺の想いを伝える方法を。俺はこうする事でしか、分からないから。分からない、から。


どうしたら、伝わる？どうしたら、伝えられる？
この溢れそうなほどの想いが、零れるほどの想いが。
自分でも抱きしめられないほどの激しい感情を。
どうしたら君に伝えることが出来るの？どうしたら、俺は。


――――この胸の想いを全部…君に伝えられるの？……



「…好き…君だけが…好きや…火村……」
「―――アリス……」
「…どうしたらええ？…どうしていいのかもう分からん…俺は…」


「…俺は…どうにも出来ないほど…君が好きや……」


俺の言葉に抱きしめる腕に力がこもるのが、何よりも嬉しかった。そうして抱きしめてくれる腕が、何よりも嬉しかった。このまま。このまま壊れてもいいと想うほどに。
「…アリス…すまない……」
そしてそっと。そっと耳元に囁かれる言葉に、俺は震えながら睫毛を閉じた。分かっている。分かっているよ、火村。君は俺の気持ちに全てを答えることは出来ない。けれども俺の全てを引き剥がすことは出来ない。中途半端な優しさで、そうやって。そうやって俺を抱きしめるんや。

…そんな所…大好きやよ…そんな所…大嫌いやよ……


君は俺を抱きしめるけれど。君は俺に全てを見せてはくれない。
俺を誰よりも近くに置いてくれるけれど、こころは誰よりも遠い。


分かっている、それが君の優しさだと。
最期の最期を拒むことで、俺を護ってくれているのだと。
君の最期の心を見せた瞬間に、きっと。


…きっと…ふたりは…壊れるのだろうと……



それでも君のそばにいきたい。それでも君に触れたい。
君の傷に触れたい。君の血に触れたい。君のこころに触れたい。


壊れても、傷ついてもいいから。全てを失ってもいいから。





君の感触が、俺の指先に消えないぬくもりを作る。それがただ苦しく切なかった。