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君の為の、殺人。


…キミガ…イナイ……
ドコニモ、イナイ。
キミノウデモ、キミノヒトミモ。

…ドコヲサガシテモ…ミツカラナイ……。

手首を切って、みた。
そこから紅い染みがじわりと滲んでくる。白い皮膚の表面からぽたりぽたりと紅い液体が。液体が零れて、くる。

…イタイ……

声にして呟いてみた。他人のような声。他人事のような声。何の感情も持たない無機質な音。ただの記号としての、音。私の、音。
手首から滴り落ちる紅い色が腕を伝ってワイシャツに広がった。白いワイシャツに紅い色はイヤになる程に映える。綺麗な程に。

…イタク…ナイ……

呟いた言葉の本音がひどく可笑しかった。本当はちっとも痛みなんて感じなかったのだから。肉体の痛みなど心の痛みを越える事は出来ないと私は知っている。
どんなに肉体を傷つけ、痛めつけようとも。心臓を抉られた痛みに比べればそれは本当に些細なものでしかないのだから。
些細な、モノ。こころの痛みに比べれば。魂の傷に比べれば。それは何でもないものだから。

『イタクナイ』

はっきりと声にして、そして私は笑った。口許だけで、笑ってみた。人間どんなになっても笑うことは出来るんだと思った。筋肉は私の意思を素直に読み取って、そしてひねくれた回答をこの表情に浮かべさせる。瞳で泣きながら、口で微笑む。
私は笑えるんだ。こんなになっても。こんなになっても…
…君が何処にも…いなくても……

アタリマエダカラ。
キミガイルノガアタリマエダカラ。
キミガボクノソバニイルノガ。

…ソレガクウキノヨウニ…シゼンダカラ……

「君は一人では生きられないよ、三袋くん」
君は相変わらず絶対の自信を持って、そう私に告げた。その自信が何処から来るものなのか私には分からない。けれども君が言う言葉は何時しか私にとっての『絶対』になる。まるで言葉に呪縛されるように。
「ぼくは一人でも生きていける」
君の言葉を否定出来ないと分かっていても、それでも否定した。今私の心の中は君の言葉の鎖に全身を繋がれている。私は一人では生きて、いけない。
「強がるね、三袋くん。だから君は何時までたっても馬鹿なんだ」
「馬鹿じゃないぞっメル」
「ふ、馬鹿だよ。君は僕がいなくては生きてゆけないのに」
…生きてゆけない…そうなのかもしれないと、思った……
ううん、そうなのかもしれない。こうして君を見ていて、君の声を聞くこと。君の瞳を見つめて君の腕に抱かれること。その全てが。その全てが…
「…生きて…ゆける…」
全てが私にとっての『絶対』の呪縛なのだから。
「ならば」

「ならば、試してみるかい?」

キミガイナクナルコト。
ボクカラキエルコト。
コノヨノドコカラモ、キエルコト。

キミガドコニモ、イナイ。

「試してみたら?」
私は笑う。心で怯えながら。肉体は私にひねくれたプライドを満たしてくれた。本当は怖いのに。そんな事になったら怖くてたまらないのに。それでも。それでも私の口許は笑っている。幸せそうに、笑っている。
「憎たらしい、唇だ」
そして君は私よりもきっと幸福な笑顔を向けて、私の唇を塞いだ。痛い程に苦い口付けだった。

キミトノキスデ、ヨエタコトガナイ。
イツモイツモココロノドコカデ。
ココロノドコカデ、フアンヲカンジテイタ。
キミノキスデ。

キミノキスデ…アンシンデキタトコガ…ナイ……。

ぽたり、ぽたりと。
流れ出る生暖かい液体。生きている証。
命の、色。
でもそれは今私には、私には最も忌み嫌うものになる。

…キミノイウトオリ…ダネ…

生きてゆけない。生きてゆけない。
君がいないと生きてゆけない。
こんなにも、こんなにも私は捕らえられている。
君の言葉に。君の言葉の呪縛に。
君の瞳に君の声に君の腕に、君の闇に。
私はその全てを捕らわれている。

『メル…アイタイ…』

君の存在は私にとっての空気。当たり前過ぎて普段は気がつかなくても、無くなったら生きてはゆけなくなる。
一瞬たりともその存在をなくしてしまったのなら。その存在が私から消えてしまったのなら。
生きてなんて、いられないから。だから。
だから君の傍に、君のもとへとゆきたい。君の隣にゆきたい。

『…メル……』

どうして、どうして死んでしまったの?
どうして私の前から消えたの?
本当に私の言葉を君は実証したかったのか?それとも?それとも…

君は私がこうなる事を分かっていた?

そうかもしれない。君の言葉の呪縛は何時も正確に私を捉えた。一寸の狂いもなく私の心を鷲掴みにした。私の全てを、捕獲した。
そうだね、君は分かっていた。

ならば私は今、君に出来る最後の事をしよう。
君の為の、殺人。
君の為に私は私を殺そう。
君の為に、君の為だけに。

アイシテイル、カラ。
キミダケヲ、アイシテイルカラ。
ダカラボクハトラワレル。
キミニ、トラワレル。ミズカラノゾンデ。

…キミニ、トラワレル……。


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