口付け
――――その脚に口付けた瞬間、全てが始まり全てが終わる。
ただ独り、俺にとっての護るべき者。ただ独り、護るべき人。
貴方のためならはこの命も身体も、魂も全て捧げよう。ただ独りの。
ただ独りの、俺の、魔王。
「私に永遠を誓うか?」
アメジストの瞳は射抜くように、俺を見つめる。鏡のように全てを反射するその瞳は、決して。決して誰も映しはしない。ただそこにある『モノ』を見つめるだけ。それでも。
「――――永遠を…俺は貴方だけの騎士です」
それでも俺は焦がれた。その魔性の瞳に焦がれた。ただ求め続け、そして得られないその瞳を、渇望した。ただ、願った。
陶器のような冷たい白い手を取り、そのままそっと口付けた。跪き、永遠の主従を誓う。ただひとつの、俺の誓いを。
「…アドン…いや、今日からはピサロナイトと名乗れ」
「はい、ピサロ様。貴方の命じるままに」
もう一度冷たい貴方の手のひらに口付けて。そして。そしてその紫色の瞳を見上げた。その瞳は俺の姿をただ。ただ鏡のように映し出すだけだった。
何よりも残酷で、何よりも繊細な俺の魔王。
誰よりも強く、誰よりも冷たく。そして誰よりも脆く。
その冷たい瞳の後ろに、見え隠れする壊れたものが。
微かに零れる弱さの破片が。零れ落ちるものが。
いつしか貴方を、内側から破壊してしまうのかもしれない。
俺の腕がもっと強ければ。俺の心がもっと強ければ。
貴方の壊れゆく心を、この手でこの腕で護ることが出来るのに。
ただ独りの魔王。俺の、魔王。
俺の忠誠は、俺の想いは、全て。
全て最後の血の一滴まで貴方のものです。
――――ピサロ様、貴方のものです……
「永遠を誓います、ピサロ様。ただ独りの主君」
指先に口付けていた唇を離し、そのまま貴方の前に立つ。こうして並び合えば俺の方が身体も身長も体格も上なのに、貴方は華奢と想えるほどに細いのに…それなのに貴方には絶対的な威圧感と。そして何よりも強いカリスマがある。こうして。こうして対峙しているだけで、瞼が震える程に。
「誓え、お前は俺のものだ。俺だけの、ものだ」
濡れて艶やかな紅い唇が、笑みの形を作る。けれどもそれはあくまでも形だけで、決して本当に微笑ってはいなかった。
「貴方だけのものですよ、ピサロ様」
貴方の本当の笑顔が見たいと思った。何も覆われているものがない、剥き出しの笑顔を。貴方の真実の笑顔を見たいと。見たいと、思った。
――――それがどんなに叶わない願いだと、分かっていても……
伸びてくる白い腕が俺の背中に絡まる。確かめるように背中を辿る指先を感じながら、俺はその身体をきつく抱きしめた。
「…誰にもこころを奪われるな…誰にもこころを許すな…私以外」
抱きしめる腕の力を強めれば、背中に廻された指が爪を立てた。長く伸びた爪が、俺の背中に食い込んで、そこから血を滴らせた。
ぽたり、ぽたりと、零れてゆく血が。その血が冷たい床に染みを作ってゆく。
「貴方以外俺を捕らえるものは何もありません」
背中を貫く痛みが、細い痛みが、じわりとこころに染み込んでくる。染み込み貫き、そして。そして痛みと言う名の快楽を俺に与える。
「何もありません、ピサロ様」
その痛みに溺れながら、俺は貴方に溺れる。誘うように艶やかに濡れる紅い唇に、吸い寄せられるように口付けた。
冷たい肌に熱を灯したくて。
その冷たい肌にぬくもりを与えたくて。
冷たい貴方の身体を、抱く。
そうする事で、俺は確かめているのかもれない。
―――貴方が生きていると、いう事を。
「…あぁっ…アドンっ……」
この瞬間だけ、貴方のぬくもりを感じられる。貴方の体温を感じられる。貴方の息遣いを、感じられる。
「…ピサロ様…ピサロ様……」
何も映さない鏡のような貴方の瞳がこの瞬間だけは。この瞬間だけは俺を映しだし、そして。そして瞳に『感情』が現れる。貴方の、真実のかけらが。
「…はぁっ…あぁっ…んっ……」
全てを奪うように激しく口付け、そのまま舌を絡め取る。貴方の口内を全て征服するかのように激しく。激しく唇を、舌を、貪る。
「…んんっ…んんんっ!!……」
ぴちゃぴちゃと淫らな音だけが室内を埋め、口許から零れる唾液だけが感触になってゆく。幾筋にも伝う筋が銀の糸となってふたりを絡め取った。
「…はぁぁっ……」
開放すればため息のような長い吐息と、ふたりの唇を繋ぐ唾液の糸が。その糸がぽたりと、貴方の顎に零れ落ちた。
「――――貴方は俺を従わせるために身体を差し出しているのでしょうが…俺は…」
「…ああっ!!」
侵入されていた楔でその身体を深く抉った。その途端、白い身体が鮮魚のように跳ねる。それがひどく。ひどく綺麗、だった。綺麗だった。
「…あああっ…あああっ……」
細い腰を掴み激しく揺さぶった。貴方の意識が飛ばされるように。俺の告白が貴方に届かないように。俺のこころが、貴方に聴こえないように。
「…俺は…そんな貴方を…俺は……」
「…ああっ…もぉ…もぉっ…あああああっ!!!」
俺にしか、聴こえないように。ただひとつの想いを。
「…愛しているのですよ…ピサロ様……」
それが俺にとってただひとつの永遠。ただ一度だけの永遠。
決して貴方に届くことはなく、決して貴方に告げることもない。
それでいい。俺はただの貴方の『騎士』なのだから。
それでいい。それで、いい。それが何よりも貴方が望むものだから。
俺に貴方が望むものだから。俺は貴方だけの騎士であり続ける。
それが俺の生きる意味。それが俺の生きる証。
そしてそれが俺の、ただひとつの貴方への愛。
「…ピサロ様……」
意識のない貴方の脚にひとつ。
「…ただ独り…俺の魔王……」
ひとつ、口付ける。そこに。
そこに消えない紅い痕を、残しながら。
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