もしもふたり結ばれる方法が『死』しかないとしたならば。
その小指の紅い糸はそれぞれの先に結ばれていて。
その糸の紅い色はふたりの流した血だとしたならば。ふたりが流した血、ならば。
僕らが結ばれる方法は、本当にもう死しかないのかも…しれない。
それでも貴方は行き続けるのだろう。血の涙を流しながら、ただ独り…王子の為に。
指先に口付け永遠の誓いを立てる。私の全ては貴方だけのものだと。貴方だけのもの、だと。
「――――パーシバル……」
強いカリスマを持ったその瞳が私を見下ろしている。感情の見えない冷たいとも言える瞳が。けれどもこの瞳こそが私が望んでいたものだった。
「…ミルディン王子……」
ずっと貴方のためだけに生きてきた。私の為に差し出されたあの手を取って以来。ずっと私は貴方のためだけに…生きてきた。それ以外のものを、必要としなかった。
「もうこれに懲りたら、火遊びは止めるのだな…と言ってもお前にとっては『火遊び』じゃないのだろうがな」
腕を掴まれ引き寄せられて、そのまま。そのまま貪るように口付けられる。それこそが貴方だった。それが、貴方だった。私の意思などお構いなしに、強引に全てを奪ってゆく。それこそが私が望んだ貴方だった。
「でも私にとっては火遊びだ。お前がクレインに対してした事は」
「その通りです、王子…私は王子だけのものです」
そう私は奪われた。貴方の手によって見えない檻から助け出された私は、貴方に自ら捕われた。自ら、奪われた。全てのものから、貴方だけのものへと。
「―――永遠に私は…王子だけのものです……」
あの瞬間、貴方が差し出された手を取った瞬間…私は二度と戻れない場所まで導かれていた。
生きる意味は、貴方に仕えること。
私が存在する理由は貴方の騎士になること。
それだけが、私の全て。それ以外は必要ない。
それ以外の感情は…私はもちえてはいけない。
それでも。それでもこころの奥底で…私は告げている…お前を愛しているんだと……
どうしてこんな出逢いしか出来なかったのだろうか?
もっと違う場所で、違う人間として、出逢えたならば。
私達はもっと。もっと違う選択肢を選べたのかもしれない。
違う道を選べたのかも…しれないのに。
「…私の身も心も全て王子だけのものです……」
何時か私が死んだら。命も身も、なくなったなら。
そうしたらその時こそは全て。全て私はお前に。
お前だけに向けるから。魂だけになったら。
――――そうしたらお前のそばに…ずっと私は行くから…だからさよなら…クレイン……
愛していたんだ、それでも愛していたんだ。
お前を選ぶ事が出来なくても。お前の元へと行けなくても。
それでも私は。私は本当にお前だけを。
お前だけを、愛していたんだ。それだけは本当だから。
『パーシバル将軍』
紫色の瞳が真っ直ぐに私を見つめて。
『愛しているんです、貴方だけを』
反らされる事なく、真っ直ぐに。強い光を放つ瞳で。
『貴方だけを、僕は愛しているんです』
その瞳がどんなに苦しく、どんなに嬉しかったか。
「…クレ…イ…ン……」
王子の腕に抱かれその中に欲望を注がれて、無意識に私はその名を呟いていた。もしかしたら王子には聴こえたのかもしれない。けれども。けれども零れて来る名前を…私は止められなかった。止められず、そのまま。そのまま私は意識をなくした。
「お前にとって生きる理由は他人の支配だった」
意識をなくしたお前の髪を撫でながら、私はその寝顔を見下ろした。長い睫毛が閉じられ額から汗が零れている。自分はその顔をどれだけの夜見てきたのかとふと、思った。どれだけの夜この身体を抱いて、そして。そしてこうして見下ろしていたのかと。
「お前の叔父に玩具にされても生きてた。こうして私に抱かれても生きている」
そこに愛なんてものはなかった。ただ支配する関係と支配される関係。それでも自分は彼が欲しかった。手に入れたかった。初めて見た時から、ずっと。ずっと自分だけのものにしたかった。
「そうしなければ生きられないと…お前は誰かに支配されなければ生きられないと…そう思っていた」
子供の頃受けた性的虐待からの経験が、お前の心を蝕んでいるのにはすぐに気が付いた。一見まともに見えたお前の心が壊れている事に。それがストレスとなって血を吐いていたことも。
そうあれだけお前が逃れたがっていた環境こそが、支配される側に立つことが…それが皮肉にもお前が生きるただひとつの証だった。それ以外の生き方を知らず、それ以外の方法をわからないお前は、手に入れた自由をどうしていいのか分からなかった。分からず迷い、そしてそれが心的な障害となりストレスとなった。解放こそがお前の壊れる原因になっていた。
だから、抱いた。だから、犯した。そうしなければお前は『正常』でいられないから。
けれどもお前はその呪縛から簡単に擦り抜けた。
ただひとつの愛によって、捕われていたものから。
支配ではない別の道を、別の生きる理由を見つけた。
けれどもそれすらも。それすらも、こうして。
こうして私の前では無力だと言うように、手放そうとしている。
「私はお前を壊してでも、手に入れたい。手放したくない」
ずっと欲しかった。ずっと手に入れたかった。
綺麗な金色の髪も、深い蒼い瞳も、全て。
全て自分だけのものにしたかった。私だけのものに。
王子という名の元全てを手に入れながら、一番。
一番欲しいものだけがどうしても手に入れられずに。
こうして。こうしてこんなにそばにありながらも。
それは永遠に私には手に入らないものだとまた、分かっている。
「――――私のそばにいれば何れお前は壊れるだろう…それでも手放したくない」
意識のない身体をきつく抱きしめ、そのぬくもりを感じる。
新たにお前のこころに心的障害になるものは間違えなくこの私だ。
支配よりも愛を知ったお前にとっての唯一の障害が私ならば。
それでもお前を愛している。お前だけが、私は欲しい。
お前の髪に口付けて、私は部屋を後にした。お前の綺麗な寝顔を見つめながら。その時に感じたひどく胸を過ぎったものが、今思えば。
今思えば、全ての答えだったかもしれない。けれども今この瞬間には、気付く事は出来なかった。
それが、えいえんの、さよならだった、と。
螺旋の糸が絡まりあって。絡まりあって、そして。
そして解かれてゆく。解かれ、辿りついた先は。
辿りついた先は、ただひとつの。ただひとつの答え、だった。
――――ただひとつの答え…だった……
全てを捨てよう。貴方のために、全てを捨てよう。今まで築いてきたもの全てを。全てをなくしても。全てを、失っても。失っても僕は。僕は貴方だけを愛しているから。貴方だけが、欲しいから。どんな事になっても。どんな事になろうとも。
貴方が僕を好きでいてくれる限り、僕はどんな事でも出来るから。
どんな事でも出来るんです。貴方を手に入れるためならば。
僕はどんな事だって。全てを失っても。全てを、なくしても。
ただひとつの愛の為に、僕は何もかもを犠牲にして構わないから。
「――――見つけた…パーシバル将軍……」
厳重な警戒を擦り抜け、金で兵を寝返らせ、そして。そしてやっと辿りついた。貴方がいる場所へと辿りついた。貴方が自ら捕われた、その見えない檻へと。
「…もう…誰にも貴方を…渡さない……」
身体中には王子の残した紅い痕が散らばり、身体中には王子の欲望が散らばっている。ぐったりと意識をなくし眠る貴方の身体を抱きしめた。抱きしめて、気が付いた。僕が貴方を抱いたあの日より、一回り身体が細くなっている事を。
「…パーシバル…将軍……」
くっきりと浮かび上がる鎖骨と、薄くなった胸と、そして。そして以前よりもずっと蒼白くなった顔と。けれどもそれは貴方で。貴方、だから。
「…愛しています…将軍……」
唇だけがひどく紅かかった。まるで血を吸いこんだように。その唇にそっと口付ければ微かに睫毛が動く。そして。そしてその蒼い瞳がそっと開かれて。開かれ、て。
「…クレイン…どうして…何故…お前が……」
疑問を唱える間もなく、もう一度その唇を塞ぎ。そのまま。そのままきつく口付けた。それが何よりもの答えだった。僕がここにいるんだという、何よりもの答えだった。
「貴方を…ここから連れ去るために…貴方を解放するために…」
支配ではなく、誰かのものになるでもなく。
そこに互いが存在し、そして大切に思う。
誰かの為に生きるのではなく、自分のために生きる。
そのひとがここにいるから。ここに存在しているから。
誰のためでもない、そこにある愛が。愛が必要だから。
この想いが、大事だから。だから、生きる事。
「…クレイン…私は……」
支配じゃない。略奪でもない。
「僕は貴方とともにいたい」
それは自分の意思。自分の想い。
「…貴方とともに…いたいんです……」
それは今まで自分が、知らなかったもの。
「――――貴方と…ともに生きたいんです……」
それは誰も教えてはくれなかった。それは誰も与えてはくれなかった。
私にとって生きる事は常に、誰かの。
誰かの為に生きる事。誰かの為に死ぬために生きる事。
「…一緒に…生きて行きたいんです……」
でもお前は。お前はともに生きたいと、そう。
「…クレイン……」
そう、私に告げる。私に、告げる。
それは誰も教えてくれなかった事。それは誰も与えてはくれなかった事。
「…私も…お前とともに…生きたい…クレイン……」
それを教えてくれたのはお前、だった。お前だけ…だった。