指に絡まれた紅い糸が、もしも。もしもたくさんの血を吸い込んだ為に紅い色に染まっていても。それでも、外せない。それでもこの指から外す事が出来ない。
誰を傷つけても、誰かを傷つけても、それでも離れなれない指先が今ここにあるから。
二人で、逃げた。指を絡めて、逃げた。もう何処にも戻れなくても。もう何処にも居場所がなくても。それでもふたりでいたくて。ふたりでいたかったから…だから、逃げた。
「寒くないですか?」
自分を見つめる真っ直ぐな紫色の瞳。そこにはもう哀しみも苦しみも、なかった。ただ自分だけを見つめてくれる何よりも綺麗な瞳があるだけで。真っ直ぐで、曇り一つない…迷いのない瞳があるだけで。
「平気だ、クレイン。お前こそ寒くないか?」
「こうして貴方と繋がっているだけで暖かいですよ」
口から零れる白い息が、二人を包む冷たい空気が、身を切り裂くほどに痛いのに。なのに、繋がった手だけは暖かかった。絡めあった指先だけは暖かかった。
「―――クレイン……」
繋がった手は、もう二度と離したくないから。もう二度と離せないから。この知ってしまったぬくもりを。知ってしまった真実を。生きている意味を、知ってしまったから。
「…パーシバル将軍……」
開いた方の手が、髪をそっと撫でてくれる。冷たい唇が重なる。それが触れて離れた瞬間に、二人の唇に熱が灯った。それだけで。それだけで、よかった。
「もう、戻れないな…何処にも……」
呟いた言葉の意味と、重さは痛いほど自分でも分かっている。でもこの手を取った瞬間から、その重みも意味も自分にとって無意味になった。それよりも大切なものが、それよりも欲しいものがここにあるから。
「戻りたいですか?」
「―――いや……」
戻りたかったならともに逃げたりしない。この手を取ったりしない。今まで自分という存在を形成していたもの全てを、捨ててまで。今まで自分という人格を築き上げていた全てのものを…捨てたりはしない。
「…お前となら…何処へでもゆける…私はお前がいてくれれば…どんな場所でもいい」
「お前とともにいる場所が…それが私の居場所だから……」
私はきっと永遠に許されない。それでもお前とともにいたい。お前と一緒に、いたい。あれだけ自分を救ってくれた絶対の人よりも。命よりも護りたいと、全てを捧げたいと思った人よりも。お前といたいと願う私は。
それでもともに、いたい。お前と、いたい。
「…将軍……」
許されなくても、全てが罪で埋められても。それでも。
「…お前と生きたい…お前と…私は……」
このぬくもりを離したくない。離したくないんだ。
――――生まれて初めて、自分から欲しいと思った。欲しいと願った。
「一緒にいましょう、将軍。全てを敵に廻しても…私は貴方を離さない」
繋がった指は絡めたままで。繋がったぬくもりは感じたままで。ずっと、ずっとずっと。どちらかのぬくもりが消えるまで。ふたりのぬくもりが消えても。それでも絡めていよう。この指をずっと。ずっと絡めていよう。
「地獄も二人でなら…怖くないですよね」
そう言って微笑うお前。子供のように微笑うお前。ずっとその笑顔だけが変わらなかった。ずっとずっと、それだけが変わらなかった。初めてお前と出逢ったその日から。
「そうだなともに、落ちよう…クレイン……」
私は逃げた。誰よりも大切な主君から逃げた。ただ独り愛した者の為に。本当に心から愛した人の為に。私は今まで持ってきたもの全てを捨てた。全てを引き換えにした。欲しかったから。全てを引き換えにしても、お前が欲しい。
「愛しています、パーシバル将軍。ずっと前から、今も、そしてこれからも」
「私も、愛している…クレイン……」
見つめて、そして微笑いあう。自然と口許から零れる笑み。私は多分こんな風に笑う事すら忘れていたのだろう。こんな風に、無意識に笑みの形が口許に浮かぶ事を。
「…お前だけを…愛している……」
言葉が消えてしまわないように。言葉がなくなってしまわないように。私はお前の唇に自ら口付けた。そっと、口付けた。
この瞬間が、永遠ならば。永遠ならばきっと。きっと何も怖くない。
抜け殻になったベッドを見下ろしながら、エルフィンは口許だけで笑みの形を作った。それはひどく静かな笑いであり、そして静かな絶望だった。
「――――私よりも…あいつを選ぶのだな…パーシバル……」
全てを手に入れた。自分は一番大切なもの以外全てを手に入れた。けれども一番大切なものが…本当に欲しかったものだけが、どうしても手に入らなかった。
「お前を壊しても私の手元に置いてきたかった」
綺麗な金色の髪も、微かに壊れた蒼い瞳も。自分の思い通りに反応を寄越す身体も。汗の匂いも、全部。全部自分だけのものにしたかった。
壊れても、壊しても。誰にも渡したくなかった。誰にも奪われたくなかった。けれども。
「そばにいて…欲しかった……」
けれども本当は分かっていた。こうなる事は心の何処かで分かっていた。彼が自分に忠誠を誓えば誓うほどに、それを貫こうとするたびに。彼の心が遠くなってゆく事が。
そういう状況に追い込まなければ、消せない想い。そこまでしても消す事の出来ない想い。それがある限り。それが在る限り。
「…それでも私は…お前が…欲しかったんだ…パーシバル……」
憧憬と嫉妬と執着と、その全てが入り混じり形成された独占欲でも。それでもそれだけが、王たる道を選んだ自分の唯一の私としての心だった。それだけが唯一のものだった。
決して手に入らないと分かっていても、それでも望まずにはいられないほど。愚かにならずにはいられないほどに。
ああ、私は愚かだ。それでもお前が欲しかった。欲しかったんだ。お前だけが、欲しかったんだ。
絡み合った糸が流した血の数だけ罰を受けるのならば、それでもいい。
どんな罪でも、どんな罰でも。こうしてふたりでいられるならば。ふたりならば。
どんな事でも出来る。どんな事だって、出来る。だから。
だからもう二度と。二度とこの指は離さない。離さない、から。
「…寒いか?…クレイン……」
白い息。それと同じだけ空から降って来る白いもの。
「…貴方を抱いていれば…暖かいです……」
ふわりふわりと、降って来るもの。それがそっと。
「…私もだ…私も…暖かい…お前がいれば……」
そっとふたりに降り積もってくる。髪に肩に、全身に。
それでもこうして触れ合っているから。ぬくもりが、触れ合っているから。
何処にも行けなくても。何処にも戻れなくても。
でもここに貴方がいる。ここに自分がいる。
それ以上の何を望むというのか?何を願うというのか?
今こうしてふたりで。ふたりで、いられるのに。
もう何も怖くない。どんな罪もどんな罰も。何処にも行けなくても、何処にも戻れなくても。