聖者の行進



木漏れ日から零れる淡い光が地上を照らし、そこから零れて来る光の破片がひどく目に焼き付いて眩しかった。ひどく、眩しかった。
「―――ここにいたのか…パーシバル」
背後から聞こえて来る声に振り返る事無くパーシバルは墓標の前に蹲るようにしゃがみ込んでいた。もうどのくらいこうしていたのだろうか?ダグラスには分からなかった。分からなかったけれども立ち上がらせようと触れた肩がひどく冷たかった事から、随分と長い間ここにいたことだけは…分かった。
「離してください、ダグラス殿…もう少し私はここにいたいのです」
振り切るように手を払うパーシバルをダグラスは強引に立たせた。このままここにいても、何もならない事はダグラスにもパーシバルにも嫌という程に分かっている。分かってはいるのだ。それでも。
「いてどうなる?パーシバル…もう王子は戻ってこないのだぞ」
亡くなったミルディン王子の墓の前で、毎日のようにこうして。こうして祈り見つめ続ける騎士軍将を、以前から彼をよく思っていなかった輩は口々に噂をする。それは彼にとって不名誉なものばかりだった。若く美しいこの騎士を妬む輩は多かった。名門貴族の家柄でもなく、ましてや出世欲もない。それなのに他の人間が望み焦がれた地位を容易く手に入れた。例え本人がそれを望まずとも。
人望があり、強く、そしてどんな女性も恋焦がれる美貌。望まずとも生まれながらに持っていた物が、それが何よりも他人の妬みを生んでいる。本人が望まないものであろうとも。
「分かっています。でも私にはまだ…まだ何をすべきか…道が見つけられない……」
彼の美貌は女性のみならず同性にも惹かれる者は多かった。それは表面に出る事は少なかったが、彼を自分のものにしたいと思う男達の数は少なくはなかった。現に今上がっている悪い噂も、ほとんどが彼の出世は王子の愛人だったからだとか、そういった下世話なものだった。
他の者ならば笑い話とでもたちの悪い噂とでも終わらせられたが、彼の場合はそうはいかないものを持っていた。そう噂を上らせる輩こそが、彼に対してそういった邪まな思いを持っていないとは言い切れないからだ。
「それでも今お前はここにいるべきじゃない。行くぞ」
そしてその噂が半分事実だと…事実だという事も、ダグラスはこの身を持って知っていた……。


王子が死んだと告げられた日。あの雨の日。崩れ落ちるこの騎士を自分の屋敷に連れて行ったあの日。あの雨の日。ただ一度だけの過ち。いや、過ちだったのか?
腕の中に崩れ落ち、肌のぬくもりを求める彼を拒めなかったのは自分だ。拒めず受け入れ、そしてこの腕で抱いたのは。
まだ何処かに、残っている。重ねた肌の熱さと、そして口から零れる吐息。悲鳴のような声を上げながら、自らの欲望を受け入れた身体。無意識に男を悦ばす事を知っている身体。それが何よりもの証拠だった。言葉よりも噂よりも、何よりもの証拠だった。
「わしが口出す事ではないと分かっている。それでも今のお前をわしは放ってはおけん」
王子は、本当は生きている、と。それを告げたらどんなに彼が楽になれるのかは分かっている。それでもダグラスには言えなかった。それだけは、言えなかった。まだ時が来るまでは本当の事は告げられない。決して告げられないのだ。
「お前は今自分がどういう風に言われているのか…分かっているのか?」
「…王子が死んでから騎士軍将は抜け殻になっていらっしゃる…さしずめ王子の床の世話が出来なくなって身体が疼いているのではないでしょうかね?……」
「――――っ!」
「ならばそなたが王子の代わりをしてやれば…王子が夢中になっていた相手ださぞかしイイ具合をしているのだろう」
「パーシバルっ!」
「…全部本当の事です…貴方なら、分かっているでしょう?……」
ダグラスを見上げる蒼い瞳は皹がはえていて、今にも壊れそうだった。そう壊れる寸前だった。このまま何かひとつ崩せば、そのまま。そのまま破壊されるだろう。
「私を抱いた貴方ならお分かりでしょう?私と王子がどういった関係なのかを」
「…パーシバル…お前は……」
「その通りですよ。私は王子がいなくなってから身体が疼いて仕方ないんです。だから貴方の肌を求めた。それだけのどうしようもない男なんです」
パーシバルの両腕が伸びてダグラスの背中に廻される。そのまま貪るように唇を重ねられて、ダグラスは一瞬動きが止まった。口付けは溺れたいと思うほどに淫らに、そして苦しいものだった。このまま身体を抱き寄せ再び貪りたいと願うほどに。このまま組み敷いて、身体を繋ぎたいと思うほどに。

けれども。けれども、そんな事をしても何もならないのもまた…分かっている。

「―――止めろ、パーシバル。これ以上自分を貶めるな」
魔性とも思える淫らな誘惑に必死で抗うと、ダグラスは腕の中の身体を引き離した。あの時と同じ事を繰り返してもどうにもならない事は自分が一番知っている。知っているから。
「…ならばどうして…あの時私を拒まなかったのですか?……」
「…それは……」
「貴方も同じでしょう?…同じなのでしょう?…他の奴らと一緒に…」
「違うわしは…わしはお前を救いたかった」
その言葉にパーシバルはただ微笑った。それは皮肉めいた笑みだった。今何も言っても彼に真実の言葉は届かないのだろう。何を告げても、真実は伝わらないのだろう。それでも。
「どうしたらお前を救えるか…抱けば救われるのかと、そう……」
それでも告げなければならない。嘘を付き続ける自分は、それでも告げなければならない。その罪を償うためにも。
「お前にとっての道を、わしは見つけて欲しいと思っている。お前にとっての…真実を……」
「…真実なんて…何処にもないんですよ…もう何処にも…」
絶望。深い絶望、光など何処にもない。何処にも、なくて。見出すものはただの深い闇だけだった。
「―――それでもパーシバル…わしはお前に生きて欲しい。未来を掴んで欲しい。王子のためではなく、自分の未来を」
「――――」
「お前にとって王子以外に…護りたいと想う者は、いないのか?」
その言葉に一瞬。ほんの一瞬、パーシバルの表情が変化する。それは。それはダグラスが今まで見た事のない彼の表情だった。そう王子の前ですら見せた事のない、表情だった。
「…護りたい者など何処にもいません」
それは嘘だと直感した。今の表情でダグラスはそれが嘘であると。でもそれこそが。それこそがパーシバルを救う唯一の道しるべだとも、また。
「けれどもお前を護りたいと想う相手が…いるかもしれん。お前を護りたいとそう思う者が」
今度は明らかに分かるほどに、パーシバルの表情が変化した。それを咄嗟に隠そうとしても、彼自身が出来ないほどに。出来ないほどに、変化して。そして。

ぽつりと、一言彼は呟いた。それは誰かの名前だった。けれどもダグラスの耳にはその声は…届かなかった。


「ダグラス殿、私は王子だけの騎士なのです。今までもこれからも」
「―――パーシバル?」
「だから…私は誰かに…別の誰かに心を委ねる事は出来ないのです。それ以外の生き方は出来ないのです」
「…それでもお前は今…今誰かを思ったのだろう?」
「それでも私は、王子の騎士なのです。主君をなくしても永遠に」


「――――それに……」



それに私と彼では身体を流れている時計の針の長さが違う。そして彼にはこれからたくさんの未来が待っているから。光ある未来が。私には出来ない生き方を、きっと彼ならば出来るだろうから。だから。
だからこの胸にある想いは私だけの中に閉じ込めておく。そうすれば誰も傷つく事はない。誰も何も傷つく事はない。
彼が私を慕ってくれているのは嫌という程に感じている。だから私は彼だけには頼れない。どんなになっても彼の前でだけは崩れる事は出来ない。貴方は私を拒めるだけの強さも、そして私に対する気持ちもそれだけのものだろうけれど。
けれども彼は。彼は私が望めば答えてくれるだろう。全てを答えてくれるだろう。私が望んだ以上のものを与えてくれる。だから。だから私は彼にだけは…彼の元へだけは、いけない。いけない、から。

…私は自分という存在を彼の未来の枷には…したくないから……


パーシバルはその先をダグラスに告げる事はなかった。告げたところでどうにもならない事は分かっていたから。
そして決して自分はこの想いだけは誰にも告げる事はないと、誰にも言わないと決めていたから。例え本人にも、告げる事はないと。ずっと心に閉じ込めておくと。
そして自分はこの想いを言葉に説明する事は出来なかった。この王子以外に持っている想いを、説明する事が。大切だというだけの想いなのか、それとももっと。もっと別の意味の想いなのか。もっと別の意味を持つものなのか……。



その答えを知っているのは自分だけなのに。それなのに自分自身が一番、知らなかった。自分自身が一番分からない想いだった。