still alone



見掛けよりもずっと柔らかい、金色の髪。


長い睫毛が閉じられて、口許からは微かな寝息が聴こえてくる。それを確認するとクレインは、そっと。そっとその金色の髪に触れた。見掛けよりもずっと柔らかく、指先に馴染むその髪に。
「―――疲れていらっしゃるのですね……」
髪を触れても睫毛が開くことはなかった。椅子に凭れたまま眠るパーシバルに、苦笑交じりにクレインは呟く。普段はそんな所を決して見せはしない人だった。どんな時でも冷静に、そして隙などを全く見せない人。でもふとした瞬間に、こんな瞬間に見せる…隙。
よっぽど疲れているのだろうと思う。普段前線で戦い続け、エトルリアの騎士で…そしてミルディン王子の騎士であり続ける彼。ベルンとの戦いが終わり、そしてこうして仮初めの平和が訪れても…彼は王子の騎士だった。
「…パーシバル『将軍』……」
綺麗な金色の髪と、反らされることのない真っ直ぐな瞳。強い視線と、そして何時も前だけを見ている瞳。その全てがひどく。ひどく、綺麗だった。綺麗で、そして欲しかった。
「…貴方は何時まで将軍なのですか?……」
ミルディン王子が戻り、エトルリアはこれから先磐石の態勢を取ってゆくだろう。絶望に呆けていた王も王子のお陰で元に戻り、王子は失踪後以前よりも増して強くそして、完璧になっている。

主君として申し分のない相手。絶対の忠誠を誓うべき、王子。

パーシバルにとってミルディン王子は絶対だった。彼の為に生き、そして死ぬことを決して厭わない。パーシバルが騎士であり続けるのはエトルリアの為ではなく…ミルディン王子のためなのだ。それは分かっている。自分には嫌と言うほどに分かっている。それでも。それで、も。
「貴方の笑顔…僕が一番に見たかった……」
ロイの軍の中にいた時彼は決して笑わなかった。寧ろ無表情と言ってもいいくらいに。何が起きても顔色ひとつ変えずに冷静に戦い続けていた。そう、ずっと。ずっと、そうだった。けれども。
「…僕が一番に…見たかった……」
そっと優しく微笑ったのを知っている。嬉しそうに、微笑ったのを。顔の筋肉を滅多に動かさない彼が、それこそ今にも泣きそうな顔で…エルフィン…いやミルディン王子が国に戻ると言った時。


貴方は、何処までもエトルリアの騎士で、そしてミルディン王子の騎士だった。


「…パーシバル…将軍…いえ……」
寝息以外聴こえてこない唇に、そっと指を触れる。微かに濡れた紅い唇はひどく弾力があった。それを指先でなぞりながら、消えない感触を指に刻む。
「…パーシバル……」
名前を呼びたかった。王子みたいに、呼びたかった。将軍ではなく、ただの個人として貴方の名前を呼びたかった。
「…ずっと僕は…貴方を……」
あの人みたいに名前を呼んで、あの人みたいにその笑顔を向けて欲しかった。あの人みたいに…貴方を……。
「…ずっと……」
指先を唇から離して、そのまま。そのままそっと口付けた。柔らかい唇の感触はひどく胸に痛く、そして軋むような切なさが広がった。



瞼の奥から消えない映像がある。ずっと、消えないものがある。
まだロイ殿の軍にいた頃誰もいない木陰で。人影のない森で。
聴こえてきたのは貴方の荒い息遣いと、そして。そして組敷かれた身体。
ミルディン王子の下で苦痛とも快楽ともつかない顔で、貴方が。
貴方がその背中に爪を立て、身体を王子に開いていた。
誰も見たことのない、誰も知らない貴方の顔を。王子はずっと。
ずっと、そうやって独りいじめしていた。そうやって、ずっと貴方を。


――――貴方を自分だけのものに…していた……



「…ん……」
唇が離れて微かに貴方の口許から吐息が零れる。触れただけのキスでも、それでも。それでも息を塞がれたことには変わりはないのだから。
「…パーシバル……」
そっと耳元にその名前を呟いても、まだ瞼は閉じられたままだった。それを確認して、僕は閉じられた胸元のボタンを外した。上から三つまで外して、そして気が付く。その肌にくっきりと浮かぶ紅い痕を。それはまだ鮮やかに色付いていて、つい最近刻まれたものだと主張していた。
「…好きです…貴方が……」
その痕に指を触れて、そのまま。そのまま唇を落とした。消えない痕の上に、自分の所有の印を刻む。こんな事をしてもどうにもならないけれど。こんな事をしても…貴方は僕のものにはならないけれど。それでも。それでも刻まずにはいられなかった。ただの自己満足でしかなくても。
「…誰よりも貴方が……」
もう一度そこに唇を落として…落とした瞬間に、貴方の身体が身じろいだ。咄嗟に唇を離し貴方を見下ろせば、その瞳が僕を見上げていた。そして。



「――――私もだ…クレイン……」



そして貴方が呟いた言葉は。貴方が告げた名前は。
決して王子の名前ではなく。ただ独りの主君の名前ではなく。


「…パーシバル…将軍……」
「…でも私は…王子の騎士だ……」
「………」
「…この身も…命も全て……」
「…奪いたいと…言ったら?……」
「…クレイン?……」
「…貴方を…王子から…奪いたいと言ったら?……」


「それともこのまま…僕が貴方を犯したら…王子から…奪えますか?……」


その言葉に貴方はひどく切なげな顔をした。今まで僕が見たことなかった顔。今まで誰も見たことのなかった貴方の顔。王子はこの顔を…見ていたのか?
「…私にとって王子は騎士としての全てだ…けれどもお前は……」
でも今は。今は僕だけのものだ。僕だけの、ものだ。この顔は…貴方が向けてくれるその顔は。
「…お前は私にとって…『ひと』として…大切なものを与えてくれた……」
「…それでも貴方は…王子のもの…なのですね……」
「…お前を…巻き込みたくない……」
手が、伸びる。貴方の手が伸びて、僕の髪に触れる。それはひどく優しく、ひどく切ない指先だった。
「巻き込まれても…貴方を手に入れたいと…言ったら?……」
髪を触れていた手が、何時しか。何時しか僕の頬に掛かる。そしてそのまま。そのまま零れ落ちる涙をその指先が拭っている事に気が付いた。その指先が、そっと。そっと涙を。
「――――駄目だ…クレイン…私はお前だけは…お前だけは…護りたい……」
何から?何から護るのですか?そう聴こうとして、聴けなかった。多分貴方のいいたい事は、僕には痛いほどに伝わったから。伝わった、から。
「…だったら…僕の心を救ってください…貴方に惹かれるこの心を……」
「…クレイン……」
「僕は貴方が、欲しいんだ」
真っ直ぐに見つめ、そして。そして噛み付くように貴方に口付けた。微かに瞼が震えるのを感じながら、僕はそのまま肌蹴た胸元に手を入れた……。



――――ずっとお前を…思っていた……


私は王子の騎士。この身も命も、全て。全て王子に捧げ。
何もかもを、捧げたはずだった。それなのに。それなのに私は。
私の中に最後に残されたこころが。その『こころ』が。


ひどく無邪気に微笑うんだと思った。
子供のような笑顔で私に近づき、そして。
そして真っ直ぐな瞳で見つめるのだと。
その瞳があまりにも綺麗で。綺麗過ぎるから。


――――穢れた私には、あまりにも眩しかった。


護りたかった。その輝きを、私はずっと。
ずっと護りたかった。こんな風に穢れたものに。
穢れたものに近づけたくはなかった。
ずっとお前は綺麗なままで。綺麗なままでいて、欲しかった。


…でもそれでも何処かで。何処かで私は…願っていたのかもしれない…こんな日が来る事を……



火照る肌を重ねあい、熱い吐息を奪い合い。
そして何度も欲望を吐き出して。その身体に吐き出して。
身体中に散らばった痕に自らの唇を重ね、そして。
そして堕ちてゆく。罪に、僕は堕ちてゆく。



「…貴方を…奪いたい…全部…奪いたい……」



僕の言葉に貴方は何も答えない。答えることなく、ただ。
ただ切ない瞳で僕を見つめるだけで。分かっている、その答えを。
その答えを貴方は言う事は出来ないだろう。貴方が王子の騎士である限り。


けれどもその前に貴方は人間だ。騎士である前に、貴方はひとりのヒトだ。



「…クレイン…すまない………」



そして僕らは罪に堕ちてゆく。その痛みが、僕らを何処へ導くのかは分からない。けれどもひとつだけ。ひとつだけ、確かな事がある。




――――もう僕らは何処にも…戻れないのだという事だけは……