STILL ECHO



心の音を、聴く。そっと、聴く。それだけでいい。


見掛けよりもずっと細い髪に指を絡めて、そのまま胸元へと引き寄せた。このまま。このまま目を閉じ、睫毛を震わせても。この腕の中で貴方が安らげる日はこないのだろう。
「―――パーシバル将軍」
名前を呼び、その睫毛を開かせて。そこにある深い蒼の瞳に、自分の姿を映させて。自分の姿だけを映させて。それが小さな自己満足だった。自分にとっての、小さな。
「…お前は……」
この瞳が微笑う日は来るのだろうか?この瞳が安らげる日が来るのだろうか?そんな事を考えても答えは出ない。出る筈がない。完全に貴方を私のものに出来る日が来ない限り。完全に貴方の全てを、手に入れられない限り。
「どうして私を、手放さない?」
髪を、撫でる。そっと、撫でる。柔らかな髪。金色の綺麗な髪。この髪に触れたいと願った輩はどれだけいたのだろうか?この髪に指を絡めたいと、願った輩は。
「貴方を愛しているから。それだけじゃ、足りませんか?将軍」
自分を見上げてくる瞳が、答えを探るような色彩をする。何時も私を見下ろしていた瞳は、こうして私が貴方を抱くようになって初めて。初めて見上げた時の色彩を知った。初めて、分かった。この不安定さを。壊れかけていた貴方の瞳の、どうにもならない不安定さを。
「―――私は王子のものだ。身も、心も。それでもか?」
「愛していますよ、将軍。貴方が誰のものでも。私にとってそんな事は問題じゃない」
長い睫毛に口付けて、そのまま唇を塞いだ。拒まない限りに、私の全てを受け入れはしない。このまま流されてしまえば楽になれると分かっていても、それでも貴方は最期の最期で拒絶をする。私の全てを受け入れ、このまま。このままこの腕の中に流れ落ちてしまえば楽になれると分かっているのに。
「貴方が誰のものでも、貴方が誰に抱かれていても、そんなものはどうでもいい。私にとって必要なのは、今私が貴方を愛しているという事実―――それだけなのだから」
自分自身という存在を閉ざし、王子の為だけに生きてきた。貴方は自らの心よりも王子を選んだ。それだけの、事。けれどもそれだけの事が、どれだけ貴方の心を傷つけそして蝕んでいったのだろうか?
自分自身ですら気付かない間に、貴方の心は内側から壊れていっている。ぽろぽろと、剥がれていっている。
「…私がお前を…愛さなくても?……」
何処か縋るような瞳。ああ、この瞳のせいだ。この瞳のせいで、私は貴方を完全に壊せない。壊せてしまえたらば楽なのに。貴方を完全に壊せてしまえたら。そうしたら私は貴方の全てを手に入れることが出来るのに。なのに、貴方が何処かで。何処かで救いを探している以上。


――――私は…貴方を…壊せない……


そっと壊れてゆく貴方を、掬い上げた。この手で、受け止めた。
「―――その分、私が貴方を愛するから」
無意識に救いを求めていた貴方。誰かに気づいて欲しかった貴方。
「私が貴方を埋めるから」
自分自身ですら気付かない。きっと永遠に気付かない。
「愛していますよ、将軍」
私以外、気付けなかった事は。それは私にとっての幸福なのだろうか?


貴方のしあわせが、国のしあわせだと、王子のしあわせだと言うのならば。
貴方自身のしあわせは一体何処にあるのだろうか?


閉じられる睫毛の先に唇を落とした。微かに震える瞼が、ただ。ただひたすらに切なかった。
私は貴方を壊したくて、そして貴方を救いたい。どちらも自分にとっての事実である以上、私はどちらにも転ぶ事が出来なかった。
「私は逃げているのだろうな。お前の思いに付け込んで、現実から」
唇を離して零れた貴方の言葉と、見上げてくる貴方の瞳と。そのどちらもを奪いたくて、奪えない。どちらも、この手にする事が出来ない。どちらも…こうしてただ。ただ見つめ、受けとめる事しか出来ない。
「いいんですよ、将軍。それでいいんです。私を、利用しなさい。今まで貴方は、忠誠という思いをずっと利用されてきたのだから」
「…それは…私が望んだ事だ……」
「ならば私も同じです。私の思いを利用されることを、私自身が望んでいる」
このままこの場所に、立ち止まる事しか出来ないのだろうか?このままこうして。こうして未来のない闇に止まる事しか出来ないのだろうか?
「身体だけだな、お前にやれるものは。お前に私が、やれるものは」
ただこうして、抱き合うだけ。貴方の身体を貪って、そして欲望を吐き出すだけ。その瞬間だけ、私は報われる。その瞬間だけ、貴方は開放される。ほんのひととき。ほんの、一瞬。全ての鎖としがらみから解放される。けれども。けれども、それでも。
「ううん、もう一つ貴方から貰ったものがありますよ」
それでも私という手を取ったのは、貴方。他の誰でもない私を選んだのは、貴方だから。


未来も、救いも。何もないのかもしれない。
それでも貴方は私の手を離せない。私は貴方を離さない。
それ以上のものを望んだら、きっと。
きっともう。もう全てを壊し、全てを失う以外にないのだから。
きっと何もかもを、なくしてしまう以外には。



「――――私は貴方の涙を、貰ったから」



本当は全てを奪い去りたかった。貴方から全てを、奪いたかった。
けれども今の貴方自身を形成しているものが王子への忠誠なのならば。
貴方にとってそれが全てなのならば。
私は貴方の全てを奪えない。貴方の全てを、奪う事が出来ない。
だからこうして。こうして少しずつ貴方を壊して。そして少しずつ貴方を救う。
それを繰り返して。ずっと、繰り返して。
終わりのない迷路を、ただ巡り続ける。光のない出口を、捜し続ける。


それでも、いい。それでもいい。それでもこうして私は貴方を抱きしめられるから。


目を閉じて、命の音を聴く。心の音を聴く。
この鼓動が重なり、そして繋がっているんだと。
それだけが唯一のふたりを結んでいるものだと。



貴方の全てを手に入れる事が出来ないのならば、今この瞬間だけでも私のものでいて。