裸の王様



我に返った時、自分のした事が全て夢の中の、出来事のように思えた。飛び散った精液の生臭い匂いだけが、ひどく現実として頭にこびり付くだけで。それ以外の事が、それ以外に起こった事が全て実感のない、まるで幻のようで。こうして身体には感覚として残っているのに嫌という程に残っているのに、全てが。全てが嘘のように…思えた。


「…お、俺は……」


呆然と自分を見下ろす少年に、パーシバルは何も言わずにただ見返す事しか出来なかった。何を言えばいいのか、何を告げればいいのか分からずに。分からずにただ。ただその幼さの残る顔を見つめることしか出来なかった。


年頃の少年が性に目覚めるのは不自然な事ではない。そうして誰もが大人になってゆくものだから。少女の胸の膨らみを気にしだしたり、男女の営みを想像し自慰を覚えることは成長してゆく過程で、当然のことだ。
ただそれを自分に置き換えた時、パーシバルは自分がその経過を不自然な形で歪んでいるのを否定出来なかった。そうした行為を覚える前に、女性の裸体を想像する前に、自分の身体は既に他人の手によって欲望を吐き出す事を覚えさせられていた。それが不幸だったとかそういう訳ではない。ただ自分にはそうした自然な男子の発育の過程がなかっただけの事だ。
夢精や射精を知る前に、既に自分は自らの主君の手によってその身体を開く事を覚えさせられた。性器を使い貫く事よりも、本来の目的ではない場所で貫かれる事を覚えさせられた。
男としての欲望ではなく、女のように扱われる欲望を身体で覚えさせられた。
それが不幸だったという訳ではない。自分にとってそれはある意味当然の事だった。何れ王になり後継ぎを残す運命にある王子に、容易く女性と関係を結ぶことは許されない。だからこうして同じ性を持つ自分を欲望の処理に扱う事は、理解できない訳ではない。そして何よりもそうする事が自分にとっての『契約』だった。
身も心も忠誠を捧げると誓った相手だからこそ、望めば身を差し出す事など、パーシバルには造作もない事だったのだ。
それは自分にとって『性欲』というものが、王子の忠誠の証の為以外に必要としなかったからであり、そして何よりも。何よりも後から気付いた事だが…自分から何かに欲情するという事が皆無だったのだ。
王子に求められれば身体を開き、その欲望を吐き出す事はあれど、自分から求める事は…求めたいと思う事は一度もなかった。女性を抱きたいという衝動に駆られた事もなければ、人肌が恋しいと思った事もなかった。


――――彼に抱かれるまでは、一度もそんな事を思った事は…なかったのだ……


『…パーシバル将軍…貴方だけを愛しています……』
拒む事が出来なかった紫色の瞳が、自分を見つめる瞬間。確かに身体は反応をした。今まで一度もこんな事はなかったのに、自分から。自分から彼を欲しいと願った。
『…貴方を王子に…渡したくない……』
彼を抱きたいと思い、彼に抱かれたいと思った。どちらでもいいと思った。どちらでもいいから、ひとつになりたいと思った。
『…私だけのものに…したい……』
今この瞬間だけでもいいから、全てを忘れて…何もかもを忘れて、欲望のままに溺れたいと思った。



「…見ていたのか?…お前は……」
やっと出てきた言葉が、それだけだった。パーシバルは今だ立ち尽くしている少年に向かってそう言った。それしか今は、思いつかなかった。
「…俺は…俺…は……」
「―――見て…いたんだな……」
もう一度告げたパーシバルの言葉に、少年は首を左右に振って否定した。否定した事が、それが答えだった。それが答えだった。
「…あの時の音は…お前だったんだな……」
「ち、違う…っ俺は……」
「…いい…否定するな…お前は…クレインを好きだったのか?」
言われた言葉に少年の肩がぴくんっと大きく震える。そして。そして何かが弾けたように、その瞳から大粒の涙が零れて来た。その涙が、パーシバルの頬に…当たって落ちていった。


自分を見上げる瞳の深い蒼に、チャドはひどく胸が苦しくなった。自分がした事がどれだけ取り返しのつかない事だと気付いても、もうそれは後の祭でしかない。けれどもどうやっても事実は消える事はない。してしまった事が消せる訳もない。さっきまで夢のような感覚でしかなかったのに、今は痛い程にそれが事実として自分に突き刺さっていた。事実と、して。
「…俺は…優しくされた事がなかったから…大人は皆…敵だったから……」
ぽつりぽつりとチャドの口から零れて来る言葉を、パーシバルは無言で聞いていた。その身体は震え、そしてとても小さく見えた。さっきまで自分を犯していた少年とは思えないほどに。
まだ皮すら剥けていない器官を自分の中に突き入れ、そして腰を振って果てた少年。手と脚を縛りつけ動けないようにして、そして自分を犯した少年。けれども不思議と怒りは沸いてこなかった。この体格さと力を以ってしてなら例え手脚を縛られていても抵抗出来ない事はなかった。それでも自分は敢えてろくな抵抗もせずに、少年のしたいままにさせた。
「だからあの人が…優しくしてくれたのが…俺…俺…嬉しくて……」
その言葉にパーシバルはある場面を思い出した。チャドが敵兵に襲われかけて脚を怪我した時、何事もないような顔で平気な振りをしていた彼に、クレインだけが気付いて声を掛けた事を。それでも強がるチャドを背負って軍の陣営まで戻っていった事を。
その時背中の彼は困ったような、泣きそうな、それでいてひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。そんな風にされた事などなかったのだろう。そんな風に無条件に誰に優しくされた事など。それ以来クレインは何気にこの少年を気に掛けていた。気が付けば声を掛け、そして微笑っていた。そして次第にチャドはクレインに対しては子供らしい無邪気な笑みを向けるようになっていたのだ。
ある意味それは初恋のようなものだったのだろう。年上の綺麗な人に対する憧れ。優しい大人に対する憧れ。けれどもそれを一気に崩壊させたのは…自分だった。



背徳の罪に身を焦がしたのは、自分。
「…クレ…インっ……」
王子の目を盗み、罪人のように抱き合う。
「…将軍…私だけの……」
私に何も残せないから、私の身体にお前の痕は何も残せないから。
「…あぁっ…クレ…っ……」
だからお前の背中に爪を立て、痕を残す。
「…私だけの…パーシバル……」
こうして背中に爪を立てて、お前に抱かれた痕を残す。


お前の身体に溺れながら、遠くで木々が揺れる音を聴いた。それはひどく近い場所で聴こえていたのかもしれなかったけれど、行為に夢中の私にはただひたすらに遠いものに思えた。



瞳からは後から、後から涙が零れ落ちた。それはひどく純粋なもので、逆にパーシバルには羨ましくさえ思えた。自分にはこんな。こんな少年の時は与えられなかったから。初めからそれを与えられなかったから。
「…俺は…あの人が…あんな風にあんたを…あんたを……」
当たり前のものが自分にはなかった。けれどもこの少年は持っていた。思春期の少年が、自分の憧れの人と同じ事をしようとした。同じ事を、した。同じように自分を、抱いた。
「―――すまなかった……」
「何であんたが謝るんだよっ!俺がこんな事をしたのにっ!」
「…それでも私がお前を傷つけた。それは事実だ」
けれども自分と同じように、歪んだものを少年に埋めこんでしまった。歪んだ傷を、与えてしまった。こんなモノは味わうものじゃない、知ってしまうものじゃない。
「私がいなければ、お前はこんな事をする事はなく…そしてクレインに対して憧れのまま、綺麗な想いのままで、終われたのに」
知らなければ、少年の心に残るものはただひたすらに綺麗なものだったのだろう。綺麗な想い出として残ったものだろう。それをこんな風に穢してしまったのは、自分のせいだ。自分の存在が、こうして歪めてしまった。
「それでも私は…クレインが…好きなんだ……」
その言葉を呟いてひどくおかしな気持ちになった。好きだと彼自身にすら告げた事はなかったのに。彼にだけは…いや誰にも告げる事無く死に場所まで持って逝こうとしていた想いが。その想いがこんな形で自分の口から語られた事に。彼に対して『好き』だという言葉が、生きている間に誰かに向かって告げた事に。
「―――好き、なんだ」
パーシバルの言葉にチャドは何も言わずに…何も言えずにただその瞳を見下ろして。見下ろして、そして。そして強く拳を握り締めた。それは何に対してのものなのか、チャド自身すら分からなかった。


拳が解かれたと同時にチャドはパーシバルの手首を戒めていた縄を外した。その途端パーシバルはその身体をそっと。そっと、抱きしめた。
「…すまなかった……」
その言葉にチャドは泣いた。声を上げて、泣いた。抱きしめられた腕の優しさと暖かさは、今まで自分の知らなかったもので。そしてそれはひどく胸を締め付けて。
こんなにも暖かいものを与えてくれた人を、自分自身で穢してしまった事に。それでもあの人と同じようにこの身体を抱いた喜びと、そして取り返しのつかない後悔とが、入り混じってぐちゃぐちゃになって。
どうしていいのか分からずに、ただ。ただ泣くしか出来なかった。


そんな彼の髪を撫でながら、パーシバルはこんな風に泣ける素直さを羨ましいと思った。自分が穢してしまった存在は、それでも少年の心のままにこんなにも。こんなにも真っ直ぐに泣く事が出来る。声を上げて泣く涙など許されなかったパーシバルにとってはそれは本当に羨ましいものだった。羨ましくそして。そして、眩しいものだった。