雪月花



一面の白い雪に、零れる花びらの跡。そこに残ったものは一体何なのだろうか?何が残っていたのだろうか?
手のひらに落ちた雪を見つめながらパーシバルはひとつ身体を震わせた。その瞬間ふわりと背後から抱きしめられた。
「風邪を引きますよ、将軍」
「…クレイン……」
抱きしめられた腕のぬくもりにひとつ瞼を震わせて、パーシバルはその紫色の瞳を見上げる。白い雪の結晶が瞳に反射して、それが何時もと違う色を見せていた。何時もと違う、色。それがひどくパーシバルの心をざわつかせた。
「身体、冷えてます。何時からここにいたんですか?」
吐息が掛かるほどの距離で囁かれる言葉が、そっと自分を包み込む腕が。パーシバルにとって何よりも暖かく感じられるものだった。どんなものよりも暖かいものだった。
「お前が来るまでいるつもりだった」
自然と零れた言葉にパーシバル自身が苦笑した。確かにそう思ってはいてもこんな風に簡単に口に出せる自分が、可笑しかったから。以前だったら、彼の想いを受け入れなければ、一生言わないであろう言葉だった。
「そんな言葉を貴方の口から聴くとは思いませんでした」
「私も言うとは、思わなかった」
パーシバルの口許にそっと笑みが浮かぶ。それをクレインはひどく眩しいものを見るように目を細めた。滅多に微笑う事のない人だからこそ、こんな風に。こんな風に微笑われると、心が震えてどうしようもなかった。どうにも出来なくなってその身体をきつく、抱きしめる。
「―――将軍……」
愛していますとそうクレインが告げる前に、パーシバルは自分から彼に口付けた。手を伸ばしその髪に指を絡め、そのまま引き寄せる。触れ合う唇が蕩けるほどに熱くて、その熱だけで身体の冷たさは消えていった。
「クレイン、お前は死ぬな」
呟くように告げられた言葉に、クレインはその真意が読めずにパーシバルの顔を見つめ直す。腕の中の彼は、ひどく穏やかに微笑っていた。何よりも綺麗に、微笑っていた。
「私より先に、死ぬなよ」
「それは約束出来ません」
「何故だ?」
「私は貴方を護るためならば、今すぐにでもこの命を捨てるから」
「駄目だ、私のために死ぬのは」
髪に触れていたパーシバルの指が、クレインの頬に落ちてゆく。何時までもその指から傷が消えることはない。戦い続ける限り、その指から傷が。
「まるで貴方が死のうとしているみたいだ」
頬に触れている指を自らの手で取り、そのまま重ねた。その手を包み込める男になりたかった。この腕の中の人を全て包み込める人間に。
「………」
重ねられた指のぬくもりが今のパーシバルには何よりも切なく幸せなものだった。今こうして繋がっている瞬間が、何よりもの幸せで苦しいものだった。この甘い痛みに永遠に身を任せていたいと願うほどに。そしてそれがどんなに願っても叶わない事もまた知っている。
「私は騎士だから、何時死ぬか分からない」
「でもそれは私だって同じ事です」
「――――そうだな……」
それ以上、パーシバルは言葉を紡がなかった。そのまま目を閉じ、包み込む腕のぬくもりにその身を任せた。



ただひとつだけ、この苦痛から逃れる方法がある。
この罪から逃れられる方法が、ある。このまま。
このまま死んでしまえばいい。このまま自分が消えてしまえばいい。
そうすれば何もかもから、自分は逃れられる。

それでも。それでも、まだこのぬくもりの中にいたいと願う自分がいる。



彼の綺麗な未来を歪めてしまったのは自分だ。この自分という存在が彼に罪と罰を与えている。傷ひとつない真っ直ぐな道を用意されていたはずなのに。それなのに。
「早くお前が開放されればいい」
こんな自分に捕らわれたから。こんな自分を愛してくれたから。だからこんな。こんな罪と傷と、そして罰だけしか未来に残らなくなってしまった。そんなものしか、自分は彼に与えてやることが出来ない。こんなもの、しか。
「将軍?」
「―――私という存在から…開放されればいい」
ただの若さゆえの過ちだと。一時の熱病だとそう思えるほどに。そう思えるようになれるように。そうしなければ自分は彼を傷つけるしかない。それしか、出来ない。

…こんなにも大切で、そして何よりも…愛した者なのに……

もしも彼の前に自分が現れなければ、きっと。きっとこの若者にふさわしい綺麗な未来があったのに。こんな背徳の罪を背負うことなどなかったのに。
「それは無理ですよ。それが出来るくらいなら」
綺麗な未来を。暖かい未来を。そして何よりも優しい未来を…その手に掴む事が出来たのに。
「出来るなら…初めから貴方を愛したりはしなかった」
こんな自分を愛しさえしなければ。けれども。それでも、自分は。自分はこうして向けられる想いを拒絶出来るだけの強さがない。この想いを拒めるだけの、強さがない。
「こんなにも、気が狂うほどに貴方を、愛せない」
つよく抱きしめられて眩暈がするほどに幸福感を感じる。こんなにも、彼を求めている自分がいる。こんなにも彼を、愛している自分がいる。
それが止められるならば。この想いが閉じ込められるならば、初めから愛しはしなかった。
「愛しているんです、将軍。もう私はどうすればいいのか分からない。どうしたらいいのか…分からない」
それは自分も同じだった。どうしていいのか、どうすればいいのか、分からない。分からない。どうにか出来る想いならば、初めからこんな関係にはならなかった。
「貴方に微笑っていて欲しいのに、貴方を苦しめてばかりで」
「…クレイン……」
「それでも貴方を、離せなくて」
「…いい……」
「…将軍?」
「……私を…離さなくて…いい……」


「…私が死ぬまでは…離さないで…くれ……」


自分に出来ることは、それしかなかった。彼に自分が与えてやれるものは、それしかなかった。それだけしか、なかった。
それはただひとつ。ただひとつだけ。自分が『死』によって、彼を解放してあげること。彼を自由にしてあげること。それだけが。それだけが自分がしてやれる唯一の事だから。



「―――私より先に…死ぬな……」



空から雪がそっと降り積もり罪に濡れたふたりを隠してゆく。その白さが少しでも漆黒に塗られた罪を浄化してくれるだろうか?
この身体から、心から、湧き上がる熱い想いを…冷やしてくれる、だろうか?