彼岸花



一面の白い花が、弔いの唄を歌っている。風に飛ばされ頭上へと降り注ぐ白い花びらだけが、多分今この場所の唯一のリアルなのだろうと。
その花びらに埋もれながら目を閉じ、眠れる事が出来たならばきっと。きっと過去も今も未来も全てが忘却の彼方へと消え、そして何もかもをなくせるのだろう。


――――痛みも記憶も、現実も…そして愛すらも。


世の中の時間から置き忘れられた場所。この時の中から置き去りにされた場所。そこにぽつりとパーシバルはいた。白い花びらに埋もれながら。
「将軍、もう貴方には神の言葉すら届かないのですね」
一面の白い花。真っ白な花。そして蒼い空。静寂と静止だけが、この場所にあるもの全てだった。そしてその中に彼は、いる。
「―――――」
サウルの言葉に視線だけが、反応をした。ただひたすらに綺麗な深い蒼い瞳だけが、サウルを見上げる。壊れ、そして何もかもがなくなった瞳。空っぽの、空洞。だからこそそこに不純物は何もなく、ただ哀しい程に…綺麗だった。
「私の言葉も貴方の耳には擦り抜けるだけなのでしょうね」
脚をだらりと伸ばしそのまま座り込んでいるパーシバルの前に、サウルは視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。そしてゆっくりとその髪に、触れる。さらさらの金色の髪に。
触れた瞬間に髪に絡まっていた白い花びらがひらひらと、パーシバルから零れた。白い花が彼を埋めてゆく。その現実感のない場面に、ふとサウルは不安になった。彼が今ここにいないのではないかと、そんな錯覚に捕われて。
「…将軍……」
名前を、呼ぶ。答えるはずのないのは分かっていても。それでも名前を呼ぶ。声に出す事で、それが間違えなく現実なのだと確認する為に。今自分のいる場所が、間違えなく現実なのだと。
「――――クレイン……」
そして答えてくる声は、ただ唯一の相手の名前だけ。失われた右腕を上げようとして、そしてない事に気がついて。気が付いてもそれでも再び同じ動作を繰り返す。
それを憐れだと思うか、それを滑稽だと思うか、それを苦しいと思うかは…彼の現状を知り、彼に起こったことを知らなければ分からない。決められはしない。
けれどもサウルは…自分はただひたすらに『哀しい』と、そう思っていた。



自分の護るべき唯一の主君を護ったのは、彼が唯一愛した相手。
護るべき主君を護れずに、その代償として失ってしまったただひとつの愛。
それが彼を壊した。彼を内側から崩壊させた。
崩れゆく屍を抱きながら、敵と戦い、そして利き手を失った。
戦えなくなった騎士。主君を護れなかった騎士。そして。
そして彼が『人間』である唯一の証であるただひとつの愛を失った。


――――それが彼を壊し、そして永遠に戻れない場所へと連れ去ろうとしている。



サウルにはその全てを知っている訳ではなかった。知っている訳ではない。彼と王子とそしてクレインとの関係を。全てを理解している訳ではなかった。
けれどもその全てを知らなくても、今のパーシバルを見ていれば。今この目の前の彼を見ていれば、真実は一つしかない事は分かったから。そう真実は…一つしかない。
「彼はもう何処にもいませんよ、将軍」
パーシバルにとって何もかもを失って、そして最期に残ったのがクレインという存在だったという事。それだけが本当に最期の彼の全てだったのだという事。それだけが、唯一のものだったという事。
「何処にもいないんですよ、将軍」
クレインが生きている間、それは赦されない想いだったのだろう。彼にとって王子の存在がある以上、大切なものを王子以外に作る事は出来ないのだから。
それでも求めざるおえなかった、心。それでも焦がれずにはいられなかった、想い。その全てが彼にとっての歪みであり、唯一の真実だったから。
「…クレイン……」
「もう、何処にもいないんですよ…将軍……」
唯一残された左手を掴むと、そのまま指先に口付けた。唇が触れた瞬間に、生きているぬくもりを感じて、その暖かさにひどく泣きたくなった。



愛しているのかと聴かれれば、それはイエスでありノーであった。
彼を愛しているのかと聴かれれば、正しい解答を自分は言葉に出来ない。
彼に同情し憐れだと想う気持ちと。彼を自分だけのものにしたいという想いと。
どちらも同じようにこの心に存在していたから。そのどちらも事実だったから。


抱いている時に感じる激しい想いと、そして冷めた心と。
こうしてそばにいる時のもどかしさと、そして苦しさと。


その気持ちの全てに答えが出る事がない。出せる事がない。
だからこうして、彼を地上に必死に繋ぎとめている。こうして。
こうして自分の想いを持て余し、迷い込んだ迷路の回答を求めて。


――――それは何て、自分勝手な想いなのだろうか……



風が二人の間を擦り抜けてゆく。花びらとともに。白い花びらとともに。頭上から降り注ぐ花びらは、二人の何を埋めようとしているのだろうか?
「…クレイン……」
パーシバルの瞳がサウルを捕らえる。サウルを捕らえながら、その先にある幻を見つめている。その先にある、何もない幻を。
「――――将軍…貴方はそうしてずっと微笑っていればいい」
何処にもない彼を想い、そして微笑う。それはひどく無邪気な笑顔だった。彼がこうなる前に、こんな表情をした事などない。こんな表情を、見た事などない。
全ての枷と罪と傷が忘却の彼方に消えたからこそ、出来た表情。出来る、表情だった。
それは本当に純粋な笑顔だった。真っ白な笑顔だった。全ての重圧から解放され、そして本当に彼が最期に残った想いの、笑顔だった。
「その笑顔を見るためならば、私はどんな事でもするから」
その言葉を告げながら、サウルは初めて自分の想いを説明する言葉が出てきた。そうだ、この想いの全ては今ここにあるんだと。この笑顔の為にあるのだと、そう。



…ただひとつ見つけた、透明なまでの綺麗な笑顔だけが…想いの全てなのだと……