空に浮かんだ飛行機雲が、そっと。そっと消えてゆく。
残像を瞼に残して、白い雲が消えてゆく。
それを僕らはずっと。ずっと、見ていた。
雲が消えて何処にも見えなくなっても、ずっと。ずっとふたりで見ていた。
このままずっと。ずっと、指を絡めていたかったけれど。何時しかこの手を離さなければならない日が来る。何時しか、この手を。
「ロイ様、雲…消えてしまいましたね」
指先に伝わるぬくもりと、柔らかな皮膚の感触が。これがずっと自分だけに与えられるものならば、こんなにも。こんなにも苦しくないのに。
「そうだね、消えちゃったね」
隣にある横顔を見上げようとして、けれども出来なかった。今見上げたらきっと。きっと涙が零れるのを抑え切れないだろうから。
「――――消えちゃったね、ウォルト」
でもそんな僕に。そんな僕に貴方の方から振り返る。振り返って、そっと。そっと微笑って。僕の頬に空いている方の手を…重ねた。
ずっとこのまま。このまま子供のままでいたかった。
何も知らない子供のままで、無邪気な子供のままで。
そうしたら僕は気付かずにいられた。何一つ気付かずに。
このままずっと、子供のままでいられたのならば。
「…ずっと…僕達は一緒だよね、ウォルト……」
指の形が少しずつ変わってゆく。届かなかった木の枝に手が届くようになって。
「…ロイ様……」
そして少しずつ見えてくるものが。見えてくる、ものが。
「ずっと一緒だよね」
僕達の距離を少しずつ遠ざけてゆくのを止められない。
「これからも、ずっと」
僕は貴方の臣下で、それ以上でもそれ以下でもない。
子供の頃ならば許されたものも、何れは許されないものへと変わってゆく。
こうやって指を絡める事も、一緒に丸まって眠る夜さえ。
――――きっと許されないものへと……
それでも貴方の手は僕の頬に伸びて。そして。そして拭う。零れ落ちるものを、そっと。そっと、拭う。その指先の暖かさが、優しさが、苦しかった。
「…ロイ様…僕らは何時までも…子供ではいられません……」
ずっと、一緒に。貴方とともにいたいから。だから僕はこの道を選ぶ。これから先貴方を護り貴方のそばにいるために。ただの幼馴染では何も出来ないから。何も、出来ないから。
「…ウォルト……」
ずっと、これからも。これからも貴方のそばにいたいから。貴方を…護りたいから。誰よりも大切な人だから。誰よりも大好きな人…だから。
「…こんな風に僕を『特別』に扱ってはいけません…主君たるもの…けじめは必要です……」
どんな些細な事であろうとも、貴方にとってマイナスになる事はしてはいけない。これから先進む綺麗な貴方の未来に、ささやかな傷すらも付けたくないから。
「…だからロイ様……」
絡めた指を、離そうとしたら。離そうとしたらそのまま。そのまま腕を引っ張られて。引っ張られて、そして。そして、その腕に抱きしめられた。
遠い昔ふたりで。ふたりで夕日を追いかけた。
沈む夕日を、手を繋ぎながら、必死で。必死で追いかけた。
けれども夕日は僕等の手に届かなくて、そして。
そしてゆっくりと沈んでゆく。地平線へと消えてゆく。
その時初めて知った。僕は気が付いた。願っても叶わないものがあるのだと。
「駄目だっそんなのっ。そんなの僕には出来ない。僕にとってお前は大事な…」
願ったものはただひとつ。ただひとつ、ずっと。ずっと貴方のそばにいること。貴方を護る事。その為ならば僕はどんな事でも出来るから。
「…僕はウォルト…お前が……」
その言葉の先を貴方が言う前に、僕の唇が貴方のそれによって塞がれる。それは子供同士のじゃれ合うキスじゃなくて。ただ触れ合うだけのものじゃなくて。
「…んっ…ロイ…様っ……」
息を奪うほどに激しく、苦しいほどに切ないキスで。こめかみが痺れるほどの、そんな口付けで。僕は。僕は……。
「…お前が…好き…なんだ……」
貴方の言葉にひとつ。ひとつ瞬きをしたら、溢れていた涙がぽたりと零れた。それを貴方の指が、舌が、そっと拭って。
「…好きなんだ…ウォルト……」
もう一度きつく。きつく、抱きしめられた。
子供のままでいられたら。こんな気持ちにも気付かなかった。
こんな想いにも気付かなかった。こんな。こんな零れて溢れる想いに。
それすらも気付かずにふたりで。ふたりでじゃれ合っていられたのに。
でも気付いてしまったから。でも、その想いを抉じ開けてしまったから。
「…駄目です…ロイ様…貴方は何れフェレ家を継ぐ人…こんな戯れは……」
「戯れなんかじゃないっ!僕は…僕はお前だけが…」
「…ロイ様……」
「…お前だけが好き…お前だけがずっと…ずっと…好きだ……」
「…好きだ…ウォルト……」
ずっと一緒にいた。どんな時もそばにいた。
辛い時も哀しい時も、嬉しい時も楽しい時も。
生まれた時から、ずっと。ずっと、一緒に。
――――今更お前を、離れる事なんて…離す事なんて出来はしない……
「…ロイ…様……」
この手を離す事なんて、僕には出来ない。
「…僕にとっての一番はずっと…ずっとお前だから……」
このぬくもりを、この指を離す事なんて出来はしないから。
子供の時間が終わっても、消せないものがある。子供の時間に終わりを告げても消えない想いがある。
「…好きだ…ウォルト……」
絡めた指を離せなくて。繋がった手のひらを離せなくて。
「…ロイ様…僕も…ずっと……」
離れる事が、離す事が、出来なくて。
「…ずっと…貴方だけが……」
「……好き…………」
消えてゆく飛行機雲の残像が、ふたりの瞼の裏に残るように。
消えないものが、ある。消せないものが、ある。
どんなに理屈で分かっていても…消せない想いがあるから。
もう一度指を、絡めた。そっと、絡めた。ただひとつの約束をする為に。
――――ずっと一緒にいるよと…約束するために……