頭上から降り注ぐ雨だけが。髪先から零れる雫だけが。
その冷たい雫に指を這わして、指で触れて。そして。
そして知るただひとつの真実。ただひとつの、真実。
冷たい雨から零れる頬の雫が、そっと。そっと暖かかったから。
貴方に欠けていたものを。貴方の中にある空洞を。それをただ。ただ埋めたかっただけだった。埋めてあげたかっただけだった。どんな手段を使っても、どんなに憎まれようとも。ただ私は、貴方に足りないものを…与えてやりたかった。
傷つくだけの命。傷ついてゆくだけのこころ。それをそっと。そっと抱きしめてあげたかった。
何時か貴方は気付く日が来るだろうか?貴方にとって一番必要のないものが、私にとって何よりもかけがえのないものだという事が。
「…こんな事…許されるとでも思ってるのか?……」
組み敷いた身体の下で、私を睨みつける瞳はけれども何処か力がなかった。戦場の上では何よりも揺るぎ無く、目的だけを見つめている瞳が。
「許されないでしょうね、ええ分かっていますよ。私は神に仕える身…そして貴方はあの王子に仕える騎士…身も、心も」
わざとせせら笑ってみた。卑怯者に見られるように。嫌な人間だと思われるように。それでいい。それで、いい。貴方にとっての真実が私にとっての真実だとは限らないのだから。
「だったら離せっ!この手を解けっ!」
「嫌ですよ、解いたら…私は貴方には勝てない。力ではどうやって、貴方には勝てないのですからね」
綺麗な蒼い瞳。真っ直ぐで、でも何処か不安定な瞳。その不安定さを、どうして誰も気付かないのか?それとも気付いていながらも、誰も救おうとはしないのか?
「―――私を…どうするつもりだ?……」
護る事しか知らない貴方。それ以外のものは貴方には必要のないものだった。貴方は国と王子の為に生きている。それだけの為に、生きている。そこにある尊いまでの忠誠心は、貴方自身を犠牲にして成り立っているとも気付かずに。貴方自身を、犠牲にして成り立っているものとは…気付かずに…。
「どうするって、この先を分からないほど子供でもないでしょう?」
両腕を拘束したまま、貴方の首筋にひとつ唇を落とした。その途端ぴくんっと身体が跳ねる。それを確認するように首筋のラインに舌を滑らせた。
「…止めろ…っこんな…っ」
「こんなって、初めてでもないでしょう?まあ、女を抱く事は知ってても男に抱かれるのは…初めてかもしれませんけどね。それともあの王子と関係があるとか?」
「…王子とは…そんな関係ではない…だから離せっ……」
シルクのシャツの上から、胸の飾りを指で摘んだ。ぎゅっと強く摘めば、布越しからでも胸が痛いほどに尖っているのが分かる。白い布からうっすらと朱に染まった突起の色が見えるほどに。
「なら初めてという事ですか。じゃあ優しくしてあげますよ…パーシバル将軍」
「…やめ…っ…あっ……」
布越しにもどかしいような柔らかい愛撫を与えれば、口から零れるのは微かな甘い声だった。それを堪えようと唇を噛み締める貴方が、愛しかった。愛しいと、思った。
すり減らされてゆく貴方を、一体誰が護るのだろうか?
国の為に王子の為に、自らを犠牲にして盾になる貴方。
それ以外の事を考えず、それ以外を見ようとはせずに。
ただ一途に。一途に、前だけを見つめ生きようとする貴方。
そんな貴方を、私は後ろから抱きしめたかった。何時も戦場で、貴方を抱きしめたいと思っていた。
当たり前のように傷を作り、当たり前のように自分をすり減らし。そこに『貴方自身』はない。貴方自身が何処にもなかった。
忠誠と捧げた想いだけが、全てになって。貴方の心は置き去りにされていた。貴方自身が、置き去りにされていた。
「…どうして…お前が…こんなっ……」
シャツの裾から手を忍ばせ、直接胸に触れた。先ほどから与えていた刺激のせいで、硬く張り詰めているソレを、指の腹で転がしてやる。その刺激に零れそうになる声を、貴方は唇を噛み締めて堪えた。
「どうしてだと思います?どうしてだか…貴方に分かりますか?」
「…分から…ない……」
「なら教えてあげますよ、この身体に…全部刻んであげます」
刺激から逃れるように顔を背ける貴方の頬に、そっと。そっと手のひらで触れた。その瞬間、ふと貴方の瞳が私へと向けられる。一瞬だけ驚愕に見開かれたように開かれて。そして。そしてもう一度きつく唇を噛み締めた。その端から紅い血が零れてきて、私はそっとその液体を舌で拭った。
冷たい雨が、頭上から降っていた。冷たい、雨。
身も心も凍えさせるような、冷たい雨が。
冷たい雨が、私に降り注ぐ。全身に降り注ぐ。
『…将軍、びしょ濡れですよ……』
髪も鎧も、雨に濡れ。表面から中身へと冷たさが浸透して。
それでも私は立っていた。この雨の中で立ち尽くしていた。
ただ独りで、誰の目も触れる事無く、立ち尽くしていた筈なのに。
『…サウル…どうしてお前がここに?』
滅多に口など聴いたことのない相手だった。前線で戦う私と、後列で癒しの呪文を唱えるお前と。私とお前にはまともな接点は何もなかった。何も、なかった。けれども。
けれども何処かで感じていた事がある。感じていた事が、あった。
ただそれを私は確かめるのが怖かった。私はそれを暴かれるのが怖かった。
「貴方の姿が、見えたからです」
光に包まれし僧侶。神を信じ、癒しを与える僧侶。
「…そうか……」
けれどもひどく。ひどく、感じる事がある。お前に感じる事がある。
「―――貴方の髪…水を含むと、とても綺麗な色になる」
そう、感じる事がある。お前は。お前はひどく。ひどく、血の匂いがする。
「男に言う言葉ではないだろう?」
光に生きているはずなのに、ひどく闇の匂いがする。それが無意識に。
「でも貴方ほど綺麗という言葉が似合う人を私は知りません」
無意識に私を、怯えさせていた。私はお前が怖かった。それは。
「そして貴方ほど…哀しいと思わせる人も」
それは私が必死になって閉じ込め、そして隠してきたものを暴こうとするから。
隠してきたものを、暴こうとする。閉じ込めてきたものを、抉じ開けようとする。それは騎士として生きる私には不要のもの。あってはならない、もの。
「貴方はどうしてそんなにも『自分』に関心がないのですか?」
見つめる瞳は何処か深い闇を含んでいた。深い深い、闇。それに吸い込まれたら、きっと戻れなくなる。戻れなく、なる。
「貴方はこんなにもぼろほろなのに、どうして戦い続けるのですか?国の為に、王子の為に、こんなにも自分を犠牲にしてまでも」
戻れなくなる。私の心の底に閉じ込めてきたものが。私の心の置く深くに閉じ込めてきたものが。私の、心の闇が。心の光が。
「―――それは私が…騎士だから…エトルリアの騎士だから……」
それ以外の生き方を知らない。知る必要がない。私にはそれがあればいい。それだけがあれば、いいんだ。それだけが。
「でも貴方は、貴方自身でしかないのに。どんなに違うものになろうとしても…貴方は、貴方以外のものにはなれないのに」
けれどもお前は。お前はそんな私のささやかな抵抗すら、いとも簡単に…崩した。
血の匂いに塗れている貴方は、それでも綺麗だった。
どんなにその身体に血を浴びようとも、貴方は綺麗。
それは貴方の心がからっぽだから。貴方自身の心が何もないから。
貴方にとってあるのは忠誠と、騎士としての自分だけ。
それ以外のものは何もない。何もない、空っぽの貴方の心。
だから貴方は、綺麗。綺麗だった。穢すものが貴方にはないから。
けれどもやっぱり何処かそれは歪で。それは何処か、壊れてて。
貴方自身のこころは、本当はここにあるのに。ちゃんとあるのに、それを閉じ込めている。自分自身を捨てる事で、こころも捨てようとしている。
捨てられるはずはないのに。捨てられは、しないのに。どんなに足掻いても、貴方は貴方でしかないのだから。
それ以外のものには、なれない。それ以外のものには、なれないんだ。
だから貴方は内側から壊れてゆく。不安定なまま、壊れてゆく。そんな貴方を私は救いたいと思った。手を差し伸べたいと思った。その心を包み込みたいと思った。
そう願った瞬間に、私は貴方を愛している事に気がついた。貴方を、愛しているのだと。
この冷たい雨が全身を浸したら、全てのものを凍らせてくれるのだろうか?
何時しか心に微かな皹ができ、そこからそっと零れて来るものがあった。それは微かな痛みと、そしてどうにも出来ないもどかしさを含んでいて、私にはどうする事も出来なくなっていた。
ただ隙間から零れてゆくのを、見つめる事しか。
それが痛みだと気付いて、それが歪みだと気付いても、私にはどうする事も出来なかった。立ち止まる事は許されない。前に進む以外に道はない。私には戦場でしか、生きる場所を見出す事が…出来なかったから。
王子を護り戦い続ける事、それ以外の生き方を知らなかった。それ以外の生き方が出来るほど、器用ではなかった。
だからそれが全てだと。それが全てなんだと言い聞かせ、そうして生きてきた。だから目を閉じた。だから耳を塞いだ。微かに零れる心の皹と、そこから流れ出てくる痛みを。
けれどもお前は、今私の心臓を生身の手で鷲掴みにしようとしている。
噛み締めた唇から零れる血を舌で拭い、そのまま唇を塞いだ。血の味のするキスだった。甘美なほど艶かしい味のするキス。それに私は酔った。貴方の血の匂いと味に、酔った。
「…やめっ…んっ…んんっ……」
角度を変えながら何度もその唇を塞ぐ。逃れようと揺れる金の髪を視界の端に止めながら、顎を捕らえ唇を吸った。何度も重ねあった唇は艶やかに濡れ、紅い色に染まったそれはひどく私を誘っているように見えた。
「…将軍、貴方は口付けすらも…不器用だ」
「…はっ…ぁっ……」
零れる甘い吐息を奪い、同時に舌の動きも奪った。根元からきつく吸い上げれば、ぴくりと睫毛が震える。こうして間近に見て初めて気付く、その長い睫毛が。
「…んっ…ふぅっ…やめっ…んっ……」
口付けで意識を溶かしながら、指を身体中に滑らせた。鍛え上げられた肉体は指に吸いつくように滑らかで、けれども力を込めれば跳ね返す強さを持っていた。
「…あっ!……」
ぎゅっと指先で胸の果実を強く摘めば、身体が波打つように跳ねる。その反応を確かめながら、強く指で嬲ってやる。その刺激に耐えきれずに貴方は首を左右に振って、逃れようとした。
「男の手を知らない割には、随分敏感ですね」
耳元で囁いた言葉に深い蒼の瞳がそっと見開かれる。微かに濡れたように潤んだその瞳は、ひどく綺麗だった。そしてひどく、哀しく見えた。
「…知らない訳…じゃない……」
「―――え?……」
「…お前は聖職者だろう?だったら…私を抱いたら…穢れるぞ……」
その言葉を告げながら貴方は、微笑った。それは泣いているように、見えた。
貴方から零れてゆくものが、それが哀しみだというならば。
この手で包み込み、癒したいと思った。貴方を、癒したいと。
貴方から零れてゆくものが、それが苦しみだというならば。
この手で掬い上げ、抱きしめたいと思った。貴方を、抱きしめたいと。
――――どうしたらそれが出来るか、気付けばその事ばかりを考えていた。
貴方を、見下ろした。普段見上げていたから、それは不思議な角度だった。貴方の瞳を頭上から見下ろせば、それはなんて苦しそうな蒼なのか。こんなにも貴方は苦しげな色を持っていたのかと。
「…王子は私を慰み者にした事は一度もない…けれども私は王子の代わりになった事は…幾らでもある」
「…将軍……」
「王子を護るためなら、この身体を差し出す事など幾らでも出来る。私はそういう男なのだ」
淡々と告げる貴方の顔は何時もの無表情な顔だった。誰にでも見せている感情のない顔。そばにいる誰もがその顔に騙され、彼の真実を見つけられなかった。けれども今私は。私は彼の真実を、見ている。こうして、見下ろしている。その壊れかけた蒼い瞳の中に。
「…そんな男を犯せば…お前の罪は増えるだけだ……」
蒼い瞳が告げている事が、真実。言葉よりも表情よりも、今。今私に見せた瞳が真実。一瞬縋るように助けてと…そう告げた瞳だけが、真実。だから。
「罪など幾らでも背負いましょう。貴方を手に入れるためなら、私はどんな罪人にでもなるつもりですから」
どんな言葉を告げても、どんな拒絶を私に見せても。私は貴方を諦めないし、貴方を逃しはしない。その先にあるものが、見えたから。その先にあるものが、私には見えたから。
「だから将軍…少しでいい…私に本当の貴方を、見せてください……」
拒絶をしてもどんな言葉を告げても、貴方の心が言っている。言っている、気が付いて、と。
初めから、罪だった。貴方を愛した事が、罪だった。
「…サウル……」
神が全ての者に平等に愛を注ぐと言うならば。
「私は貴方のためなら、どんな事でも出来るのです」
私は貴方という存在に固執した。貴方という存在に執着した。
「…お前は……」
貴方の傷を癒したいと願いながら、貴方にまた傷を作ろうとしても。
「―――だから貴方を私にください」
それでも、私は。私は貴方を求める事を止められない。
あの日。あの冷たい雨が降っていた日。貴方の頬に触れた瞬間、私は戻れない場所まで辿り着いた。
冷たい雨。心まで凍らせるほどの冷たい雨。その中に貴方がいた。ぽつりとひとり貴方が、いた。髪から鎧からその全てを雨に濡らし、ただ立ち尽くす貴方だけがいた。
「貴方は、貴方だけだ」
私を見つめる瞳。何処か虚ろな蒼い瞳。それはとても綺麗。それはとても哀しい。本当はもっと。もっと違うものを見たかった。貴方の別の蒼い瞳を見たかった。
「―――何処にいても…それ以外のものにはなれないのですよ」
けれどもこの瞳すらも貴方の一部ならば。それが胸を伴う痛みとともに私に剥き出しに与えられたものならば。それならば私はその瞳すらも愛しいと。愛しいのだと、思う。
「…お前は…怖いな……」
私の言葉に貴方が答えたのはそれだけだった。その一言だけだった。そんな貴方に私は近付くと、そっと。そっと頬に手を触れた。
一瞬だけ見開かれた蒼い瞳。ほんの一瞬、だけ。
そして後は何も言わずに、目を閉じた。そっと目を閉じた。
長い睫毛が微かに揺れて、ただ。ただ静かに。
静かに私が触れた手のぬくもりを、感じているかのように。
――――その手に伝う水は、ひどく。ひどく暖かいものだった。
「…お前は…怖いな……」
あの時と同じ瞳が、もう一度私に向けられる。
「…私を…剥き出しにする……」
怯えたような、けれども何処か縋るような。
「…私が閉じ込め隠してきたものを…暴き出す…」
そして。そして何よりも綺麗で、哀しい瞳が。
「――――それは誰よりも私が、貴方を見てきたからですよ…将軍」
深く閉じ込めた、心の叫び。必死で沈めた、心の傷。
痛みなどない。苦しみなどない。私は王子の為なら全てを捨てられると。
何度も何度も自分に言い聞かせ、そして信じて歩んできた道。
自分の選択肢を間違っていると思ったことはない。自分のしている事に後悔はない。
けれども正しいと思えば思うほどに、心の底が悲鳴を上げるのを止められなかった。
傷つき、壊れ、そしてぼろぼろになっても。
それで構わないと。一向に構わないと思いながらも。
本当は心の何処かで。心の、何処かで。
誰かに気付いて欲しかった。誰かに分かって欲しかった。誰かに、救って…欲しかった……。
絡めた指先のぬくもりだけが、世界の全てになる。
繋がれた暖かさだけが、自分の全てになる。
もう何も考えたくなくて。もう何も考えられなくて。
ただ今は。今だけは、このぬくもりに縋っていたかった。
はらりと音とともに、腕を拘束していた紐を解いた。微かに痕が残る手首に唇を落とせば、組み敷いた身体がぴくりと震えた。
「抵抗、しないのですね」
唇を離し、そのまま手を離した。しばらくの間貴方は私の顔を見つめて、そして。そして貴方の指先が私の髪に触れる。そっと、触れる。傷だらけの指先が、私の髪に触れる。
「…サウル…お前は……」
貴方の身体から傷跡が消える日は来ないだろう。戦場に立ち続ける限り、貴方は身体に心に傷を追い続ける。けれどもそれは貴方が決めた生き方。貴方が望んだ道。
「…私の心の声を…聴いたんだな……」
それでも傷を癒すことは出来るから。貴方が作りつづけるならば、それを。それを包み込み、そして癒す事は出来るから。それを貴方に出来る人間が私でありたい。いや、他の誰にもその役目を渡したくない。
「聴きましたよ、将軍。だから私の前では何も覆わなくていい」
「――――」
「貴方自身を護る為に自らを覆う殻など、私には無用だ」
髪に触れていた手を取って、そのままそっと握り締めた。冷たい手だったから、きつく握り締めてぬくもりを与えた。貴方の指先に、ぬくもりを。
「私の前でだけは、剥き出しの貴方でいればいい」
その言葉に貴方は黙って目を閉じた。その睫毛に唇を落として、もう一度私は貴方の唇を貪った。
熱の灯り始めた身体に指を這わした。感じる個所を攻め立てれば、口から零れる吐息は甘いものへと摩り替わってゆく。甘く熱い、ものへと。
「…はぁっ…あぁ…っ……」
胸の果実に触れていた手をそのままそっと胸板に重ねた。ちょうど心臓のある個所に重ねた。そこからとくんとくんと脈打つ音を手のひらで感じる。命の鼓動を、感じる。
「…サル…ルっ……」
止められた動きに焦れて、ねだるように身体が捩られた。それはさっきの貴方の言葉を肯定したものだった。――――王子のためならば幾らでもこの身体を差し出すという……
それを確認したとしてどうにもならない事は分かっている。貴方は私が止めたとしても、また王子の身代わりになれば幾らでもそうするだろう。それが貴方が生きる意味であり、それが貴方の忠誠の証だった。それを止められない事は、分かっている。そしてそれを自分が止める権利はないのだと。
それでも。それでもその事が、貴方に新たな傷口を作ると分かっている限り。分かっている限り、私は貴方を抱きしめずにはいられない。
「幾らでも、貴方が望む限り…シテあげますよ」
「…あぁっ…あ…んっ……」
身体を繋ぐ事で貴方を癒せるならば。どんな貴方でも愛しているのだと、伝える事が出来るのならば。どんな貴方でも、注ぐ事が出来るのならば。
尖った胸の果実を口に含み、そのまま舌先で転がした。空いた方の胸を指で摘みながら、何度も何度も胸の飾りに愛撫を施す。感じる個所を探り当てるように、何度も何度も。
「――――あっ!!」
びくんっと貴方の身体が大きく跳ねた。立ち上がり始めた自身をこの指が包み込んだせいで。先端の縊れた部分に指の腹を擦り付けながら、側面をなぞる。それだけでびくびくと、ソレは震えた。
「…ああっ…はぁぁっ……」
刺激に耐えきれずに目尻から涙が零れて来る。それがひどく愛しいものに感じた。この世の何よりも愛しいものに、思えた。一端ソレから手を離し、そのまま。そのまま零れる涙に指を触れ、そして口に雫を含んだ。自らの指に零れた雫を。
「貴方を愛している。この言葉を今なら信じてくれますか?」
「…サウル……」
震える睫毛が開かれ、夜に濡れた瞳が私を見上げる。濡れた蒼い瞳が。深い蒼い瞳が、私を見上げる。それはとても。とても綺麗なものだった。ただひたすらに綺麗なものだった。
「…信じる…お前を…だから……」
背中に廻される腕。きつく、廻される腕。貴方はこんな風に誰かに抱かれた事はなかったのだろう。貴方にとってセックスはただの暴力と服従の印でしかなかったのだから。
でも今は。今は違う。違うんだと、貴方に教えたい。教えたいから、早く。早くその先の言葉を告げて。
「…だから…私にそれを…それを形として…教えて…くれ……」
幾らでも、貴方のためならば。幾らでも、貴方のためになら。私にとって何よりも大切なものが、貴方だということを。その事を、教えたい。貴方にとって一番必要のない『貴方の心』が私にとって何よりも大切なものなのだと。
お前が、怖かった。ずっと怖かった。私が閉じ込めてきたものを暴こうとするお前が、怖かった。
けれども、それと同時に。同時に、何処かで思っていた。お前が暴こうとするものは私の心の叫びだと。その叫びにお前だけが、気付いたのだと。
気が付かなければ、私は壊れる事はない。その事実を事実として認識してしまったら、私はきっと耐えきれずに壊れるしかない。痛みを現実に、リアルに受け入れた瞬間に。
――――私はその瞬間に、崩れるしかなかった。
けれどもお前はそんな私を包み込もうとする。崩れ壊れようとする私を、その腕で救おうとする。気付いても、傷が剥き出しになっても、それでも。それでもお前は癒し、それを埋めようとする。
その事に気付いた。その事に、気が付けた。こうして、重ねた肌の先から伝わるものが。それが、それがお前が。お前が私に与えようとしてくれているものだと。
私が怯えていたのは、剥き出しになる傷が怖かったから。
それでも何処かでお前を追っていたのは、お前がこうして。
こうして剥き出しになった傷を、癒してくれると。
癒してくれると何処かで思っていたから。心の何処かで、思っていたから。
冷たい雨が私に降り注ぎ、何もかもが冷え切って。
心すらも冷たく冷え切って、そして。そして無になろうとする私を。
そんな私をお前が呼びとめた。お前だけが、見つけた。
私自身の心すらもこの雨に流して、何もかもをなくそうとした私の。
私の唯一の残された『こころ』に触れた。その手が、触れた。
冷たい雨の中、誰にも気付かれないようにとそっと。そっと零した涙の跡に。
汗の雫を含んだ金色の髪が綺麗だった。脚を開かせそのまま身体を貫けば、形良い眉が苦痛に歪む。けれども次第に馴染む肉に苦痛は解かれ、口からは濡れた吐息が零れて来る。
「あっ…あああっ…あぁぁっ!」
腰を揺らし中を抉れば、悲鳴のような声が零れて来る。抱かれるという行為に慣らされている身体は、無意識に中の私を締め付けてきた。
「背中、爪を立ててもいいんですよ」
肉の擦れる音が室内に響き渡る。それがより一層身体の熱を煽った。中を突きながら感じる個所を探り当て、そこを集中的に貫けば、私の望み通り貴方は背中に爪を立ててくれた。バリバリと皮膚を引き裂く音とともに。
ささやかなものだった。貴方が私のものだと証明するささやかな証拠。でも今はそれが。それが何よりも私は欲しかった。今こうして貴方を抱いている時間が現実のものだと確認する為に。
「…ああっ…あああっ…もうっ…!」
繋がった個所から零れる濡れた卑猥な音が、身体の芯を熱くする。このまま締め付ける熱い媚肉の中で溶けてしまいたいと思うほどに。このまま蕩けてしまいたいと願うほどに。
「…もうっ…私は…っ……」
「イキましょう、一緒に。一緒に、このまま」
堕ちるなら一緒に。独りではいかせない。貴方の罪は全て私の元へと。貴方は何も悪くない。何も悪くはないのだから。
背徳の罪は全て私に。全てこの身に。貴方を抱く私が罪ならば、それでいい。私が罪ならば、貴方は罪ではないのだから。貴方は何も悪くない。
「――――あっ…ああああっ!!!」
このまま。このまま死んでもいい。貴方の傷が少しでも、埋められるのならば。
貴方には必要のない言葉かもしれない。
「…将軍…愛していますよ……」
それでも告げる。告げずにはいられない。
「…サウ…ル……」
救いの言葉よりも、癒しの言葉よりも、私は。
「…貴方を…愛している……」
何よりもこの言葉を、貴方に告げたかった。
私には貴方が必要だから。『貴方自身』が必要だから。貴方にとってそれが一番必要のないものでも。
あの雨の日。冷たい雨の日。
貴方に触れた時から。触れた瞬間から。
私はずっと。ずっとこの言葉を。
この言葉だけを、貴方に告げたかった。
「…サウル…そばに…いてくれ…私の…そばに……」
与えられた言葉の心地良さに気付いてしまった。
その言葉の心地良さに、気が付いてしまった。
胸の奥に零れて来るものが。そっと胸に降って来るものが。
それがこんなにも。こんなにも私を。私を満たしてゆく。
気付いてしまった傷を。剥き出しになった傷を。
癒してくれるのはその言葉だけだ。その想いだけだ。
私はそれに。それに気が付いてしまった。
気が付いて、しまったから。もう。もう私は。
「…将軍……」
独りではいられない。私はもう。
「…私のそばに…いてくれ……」
私は弱い。私はこんなにも弱い。
「…お前がいなれば……」
こんなにも脆く、こんなにも剥き出しだ。
「…私は…もう……」
それを暴いたのはお前で。それを救うのもお前だ。
「いますよ、そばに。最期の血の一滴までも、貴方に私は捧げますよ」
それがしあわせなのか、不幸なのかは分からない。気付かなければ私はずっと王子の騎士でいられた。気が付かなければ、私は騎士でいられた。けれども気付いてしまった以上、私は。私はただの『ひと』だった。弱さと脆さを持つ、ただの人だった。
あの日、あの雨の日。お前が私の頬に触れなければ…冷たい雨が、私達を包み込まなければ……。