繋がった指先を離さなければよかった。一瞬でも、離さなければよかった。
誰かを重ねている事は分かっていた。
僕を抱きながら違う誰かを、見ている事を。
それでもよかった。それでも、よかった。
こうしてそばにいられるならば…それだけで、よかった。
『―――もう遊びは、終わりにしようぜ』
そう言われて素直に僕が頷いたのは、貴方がとても苦しそうに見えたから。僕を抱く事で、誰かの代わりに僕を抱く事で。それで少しでも貴方の傷が癒されたらと…そう思っていたのに。そう思っていたのに貴方がもっと。もっと苦しんでゆくのが分かったから。貴方がもっと深い傷を作っている事が分かったから。だから、決めた。だからこの関係を終わらせようと決めた。
「…アストールさん……」
決めた事なのに、胸が痛むのを止められない。名前を呼ぶだけで、こんなにも苦しい。頭では理解している事なのに、心が全然追いつかない。
こうなる事は分かっていたはず。自分がこんな風になってしまう事は分かっていたはず。それでも貴方の顔からほんの僅かな笑顔も消えてしまうのが嫌だったから。作り笑いしかしない貴方がほんの少し見せる本当の笑顔まで消えてしまうのが、嫌だったから。だから少しでも貴方の心の負担になるものは排除したかった。例えそれが自分自身であろうとも。
なのに痛みを、止められない。苦しさを、止められない。
愛なんてそこにはなかったけれど。でも僕にとって貴方は何よりも大切な人だった。僕にとっては意味のある事だった。
『オージェ、どーしてお前は…そんな目、するんだよ』
キスもセックスも貴方にとってはその場限りの『逃避』でしかなかったかもしれないけれど、僕にとっては。僕にとっては大切な時間だった。
『そんな真っ直ぐな目…こんな奴にしちゃあいけねーぜ』
貴方の闇。深い闇。僕は覗く事は出来ない。僕は見る事は出ない。けれどもその闇がある限り、貴方が心から微笑う事はないのだろう。本当の笑顔を見る事は出来ないだろう。それでも見たかった。僕は貴方がしあわせそうに微笑う顔を、見たかった。
『お前を利用して、逃げてるだけの卑怯な奴にな』
それでもよかった。それでもいい。どんな理由だろうとも、貴方がここにいる事が。貴方がこうしてそばにいる事が。僕の指が、貴方の指に絡まる事が。
貴方が僕を愛していなくても、僕が貴方を愛しているから、それでよかった。
僕は貴方に微笑って欲しかったんです。貴方の微笑った顔が見たかったんです。
諦めたような笑みしか作れない貴方。口許でしか笑っていない貴方。
そんな貴方の本当の笑顔が見たかったんです。
けれども心の何処かで分かっていました。僕では出来ない事を。
僕では貴方の笑顔を作る事が出来ない事を。
それでもそばにいれば。それでもそばにいられれば、何時か。
何時か見る事が出来るかもしれないって、そんな小さな望みに縋っていたんです。
それは愚かな事でしょうか?それは馬鹿な事ですか?
指を、離さなければよかった。どんな事になっても離さなければよかった。そうしたら僕はこんなにも苦しくなかった。けれどもその分だけ貴方が苦しくなる。貴方がもっと、辛くなる。それは嫌だ。それは嫌、だから。
「…アストールさん…僕はやっぱり貴方の言うように『ガキ』なんです……」
理解しているのに止められない。分かっているのに、止められない。気持ちをコントロール出来ない。それが何よりも子供だという証拠。それが何よりもガキだと言う証拠。貴方が苦笑しながら告げる言葉は、こんな所で証明されている。
「…だから…どうしていいのか…分からなくなっている……」
好きだから終わりにしようと決めたのに。好きだから追いかけていたいという気持ちがあって。それがせめぎあって本当に。本当にどうしたらいいのか、もう分からなくなっている。
「…僕は…アストールさん……」
分からないから、どうにも出来なくて。どうにも出来ないから、またこうして。またこうして面影を追って、思い出に縋るしか出来なくなっている。
『しあわせに、なれよ。お前はこれからなんだから』
それは無理だと思った。貴方がしあわせでなければ僕のしあわせは何処にもないから。けれどもその反面、僕は。僕は心の何処かで喜んでいる自分がいるのを否定出来なかった。
否定、出来なかった。貴方にとってどんな理由であろうとも、僕の存在が確かにその心に刻まれている事を実感出来たから。ただ身体だけの関係だったけれど。それだけだったけれど。けれども少しでも僕の存在が貴方の中にあるんだと、実感出来たから。
貴方の苦しみになるのは嫌だと思いながら、その反面で何処かで喜んでいる自分がいる。そんな自分が嫌い。そんな自分が嫌。でもやっぱり止められなくて。止められないから、分からなくなって。どうしていいのか、分からないから。
「―――貴方が好きです…やっぱり、好きです」
それ以外の言葉を浮かべる事が出来なかった。それ以外の言葉を…知らなかった。それ以外の想いを、考える事が出来なかった。
繋がっていた指先。絡めあっていた指先。
ほんの僅かな時間だったけれど。確かにこの指先は。
この指先は貴方に繋がっていた。繋がって、いた。
消える事のないぬくもりはまだこの指に残っている。
そっと僕の指に残っている。貴方の残像とともに。
消える事のない想いともに、僕の中に残っている。
「…好きなんです…貴方が……」
片道だった。ずっと僕だけの一方通行だった。
それでも好きだった。それでも好きだった。