メモランダム



過ぎゆく季節の中で、それでも変わらないものがあれば。ずっと、変わらないものがあれば。


ずっとその背中を追いかけていた気がする。ずっとこの背中を見つめていた気がする。何時でも、どんな時でも。
「どうしたのですか?ドロシー」
何時かこの背中が振り返ってくれる日が来たらいいなって。何時かあたしを見てくれる日が来たらいいなって。そんな事を思いながら、ずっと。ずっと追いかけていた背中。ずっと追い続けていた、背中。
「どうもしません。どうしてそんな事、言うのですか?」
こんな時に素直になれない自分が嫌だなと思いながら。こんな風にしか言えない自分を嫌だって思いながら。でも、そんなあたしに。そんなあたしに、貴方は微笑ってくれた。びっくりするくらい優しい顔で、そして。
「そうですか、私の勘違いですね。すみませんドロシー」
そして頭をそっと。そっと撫でてくれた指先は。その指先はずっと。ずっと変わらないものだった。初めて髪を撫でてくれたあの日から、ずっと。ずっと変わらないものだった。



真っ赤な夕日が怖くて泣いてしまった日。たくさんの人が殺されて、一面が真っ赤になって。真っ赤な血の海で、それでも夕日だけは何時もと変わらなくて。何時もと変わらずに綺麗で。綺麗だったから、怖かった。一面の血と死体以外以外は何も変わっていないこの場所が怖くて。怖くて耐えられずに、泣いた日。
『―――ドロシー…その涙を忘れないでくださいね』
何時もふざけていて、あたしを困らせてばかりで。それなのにこの瞬間の神父様は違っていた。違っていた、から。
『絶対に忘れないでくださいね』
その瞬間に気付いた。この瞬間に、分かった。普段の神父様は、本当は違うんだって。違うんだって、気が付いた。
戦争と血が支配する今だから。こんな今だから。だからこうしてわざと、バカな振りをしているんだって。わざとバカな振りをして、そして。そして少しでも、笑わせようとしているんだって。
『その気持ちが何よりも大切なのですよ』
綺麗な指がそっとあたしの頭を撫でる。まるで子供にするみたいに、あやすように撫でる指先。この手がどんなに暖かいものなのか、あたしはこの瞬間に初めて知った。



「あたし、子供みたいです。こんな事されたら」
嫌じゃない。本当は嫌じゃない。こうして髪を、撫でられるのは。
「そうですね、貴方は子供じゃない。でも今」
本当の神父様を垣間見る事が出来るから。本当の、神父様を。
「今子供のような顔をしていましたよ。だから、つい」
道化の仮面に隠されている、本当の貴方の顔を見つける事が出来るから。



『…貴方はずっと笑っていてください…私の前では怒って、私を叱って…でも最後は笑ってください』



笑っていてと言った。どんな時でも貴方には笑っていて欲しいのだと。一度だけ真面目な顔で貴方はそう言った。本当に一度だけ、そう言った。あたしが神父様を護りきれなくて怪我をさせてしまった時。その時もこうして頭を撫でながら。こうやって、頭を撫でながら。
「私は何時も貴方のその顔に弱いんです。時々見せるその顔に」
あの時もずっと神父様はこんな風に微笑っていた。穏やかに微笑っていた。何時も馬鹿な事ばっかりしてあたしを困らせて、情けない所をいっぱい見せてきて。でも本当は違う。本当は違うんだって、分かってしまったから。
「まるで親に置いてきぼりにされた子供みたいな顔をするから」
それが全部。全部、あたしを楽しませようとしてくれるためだって。生まれつきそばかすだらけの顔。女の子らしくない顔。怖いって言われている顔。そんなコンプレックスのせいで卑屈になって笑えなくなっていたあたしに。そんなあたしを、笑わせてくれる為だって。
「そ、そんな顔してません。神父様の目がおかしいんです」
そして教えてくれた事。言葉じゃなくて、心で教えてくれた事。本当に大切なものは容姿じゃなく気持ちだって。心が綺麗ならば、それは自然に表情に表れるものだって。だからあたし。あたし、まず初めに自分を好きになった。自分を好きに、なった。自分自身を好きになれたら、廻りの人達も…大好きになれたから。皆好きに、なれたから。
それから笑えるようになった。それから心から嬉しいと思えるようになった。自分でも驚くほどのたくさんの表情が、神父様の前で引き出されていた。
だから今も。今もこんな風に、焦ったような表情も全部。全部、神父様が教えてくれたものだから。
「ふふ、そうですね。私は貴方の事になると少しおかしくなってしまうのかもしれませんね」
そう言って神父様はもう一度微笑って。そしてそっと。そっとあたしの頬に一つ。一つ、キスをしてくれた。



大切な女の子。私の大事な女の子。貴方のためならば幾らでも道化になろう。貴方の無邪気な笑顔を見るためならば。
初めてで逢った時、貴方は驚くほどに無表情だった。笑いもしないし、怒りもしない、そんな女の子だった。だから私は必死になった。貴方の色々な顔が見たくて、必死だった。

だって見たかったんだ。貴方の怒った顔を、貴方の困った顔を。貴方の笑った顔を、貴方の嬉しそうな顔を。

貴方のコンプレックスが。貴方が受けてきた小さな心の傷の積み重ねが、そんな風に無表情にさせてしまうのならば。それならば私が癒そうと。貴方の傷を、癒そうと。馬鹿みたいに私は必死になっていた。
だって貴方は絶対に。絶対に、笑ったら…誰よりも可愛いのだろうから。


「し、神父様っ!」
ほら、こんな風に。こんな風に真っ赤になって。
「貴方がそんな顔をするからですよ」
真っ赤になって怒る顔も、可愛くて堪らない。
「そんな顔って…っ…」
可愛くて、どうしていいのか分からない。本当に。
「私がキスをしたくなる顔ですよ」
本当に貴方が大好き。大好き、ですよ。


――――私の大切な女の子。何よりも、誰よりも、大切な女の子。



「…もう、神父様っ!!」



変わらないで欲しい。ずっとこのままでいて欲しい。
貴方がこうして怒って、そして微笑える事が当たり前のこの時間。
ずっと、変わらないでいてほしい。



過ぎ行く季節の中。それでも変わらないもの。変えたくないもの…護りたい、もの。