――――空を飛べる羽が、欲しい。
抜け殻になった貴方を抱きしめながら、私はぽっかりと広がっている空を見上げた。眩しいくらいの鮮やかな空を。その光がきらきらと眩しくて、瞼を開く事すら叶わない空を。
「…陛下……」
呟く言葉は風かき消され、もう貴方へとは届く事はない。この現実の世界の中で、もう二度と。二度と貴方に届く事はない。
「…ずっと気を張っていられて…お疲れですよね……」
それでも言葉を呟くのは。それでも言葉を紡ぐのは、何時しかこの風が貴方の元へと声を届けてくれはしないかと、願っているから。
私の声の破片が風に運ばれて、貴方の元へと降り注ぐようにと…願っているから。
『ブルーニャ、何時か』
穏やかに微笑う人でした。優しく微笑う、人でした。
『私はこの国の王になり、全ての民を幸せにしたい』
その瞳をそっと。そっと優しく細めて。
『そして父上にも…しあわせになって…貰いたい』
誰よりも暖かい眼差しを、向ける人でした。
貴方に着いてゆく事が、貴方のために生きる事が。
貴方の望む世界を造りあげる事が。貴方の夢を叶える事が。
「…ゆっくりおやすみなさいませ…陛下……」
貴方はあの日以来、ぐっすりと眠れなくなっていた。王が…貴方の父親が貴方を暗殺しようとしたあの日から。あの日から貴方は、安心して夜を眠る事が出来なくなっていた。
夜中に目覚める貴方をこの腕で抱きしめても。抱きしめても、貴方の悪夢は終わる事がなく、そして。そして私では貴方を救う事が出来ない事に気が付いたから。
それでも愛していました。それでも愛してます。
まだ光が貴方の頭上から降り注いでいた頃。
少しだけ戸惑いながらも、伝えてくれた言葉が。
そっと私に伝えてくれた言葉が、今もずっと胸に残っていて。
残っていて消える事がなくて。
…そっと伝えてくれた言葉…一度だけ伝えてくれた言葉…愛している、と……
貴方だったモノにそっと指を触れる。
「…陛下……」
冷たくなった屍に、そっと触れる。
「…もう二度とこれで……」
指先に伝わるはずのぬくもりは何処にもなく。
「…これで夜中に目覚める事も……」
唇から零れるはずの言葉も、見つからなかった。
「…目覚める事も…ないのですね……」
何処にももう、貴方はいなかった。
空へと飛べる翼が欲しい。真っ白な羽が欲しい。
そうしたら、私。私貴方のそばへとゆけるでしょうか?
真っ白な翼を得る事が出来たならば。
空は透けるほどに、蒼くて。日差しはきらきらと眩しかった。
こんな綺麗な日に飛びたてる貴方はきっと。きっと綺麗な場所で。
――――綺麗な場所で、眠れるのでしょう……
貴方だったものが今私の腕の中にあるだけで。
でもそれは確かに貴方だった。私が愛した貴方だった。
この抜け殻の何処にもぬくもりがなくても。
この入れ物に何処にも貴方がいなくても。
それでもこれは、貴方だ。私の愛したただ独りのひとだ。
「…陛下…何時か私も貴方の隣で…眠らせてください……」
絡める指先が。そっと絡める指先が。幾千もの夜をこうしてふたりで過ごしてきた。こうして指を絡めあって、眠る夜を。それだけが私と貴方を繋ぐものであったとしても。
それでも確かに。確かにそれは、存在したものだから。確かに私達の間に、存在したものだから。
貴方だけを愛して。貴方だけを願い、想う。
しあわせは何時も貴方のそばにあって。貴方の中にあった。
私はそんな生き方しか出来ない女だったけれど。
それ以外に生き方を知らない不器用な女だったけれど。
それでもしあわせだった。貴方とともにいられて、しあわせだった。
「…愛しています…陛下……」
この瞳が涙で濡れる日が来る時は、貴方のそばに逝けるその日だと私は決めている。
だから今は未だ。未だ私は涙を流しはしない。
そんな私を貴方は笑うでしょうね。そんな生き方しか出来ないのだろうと。
そうです、陛下。私はそんな生き方しか出来ない女なのです。
だから早く。早く私を貴方の元へと、飛び立たせてください。
真っ白な翼で飛び立たせてください。