胸の音



―――聴こえてくる命の鼓動が、ひどく心地よい。


こうして肌を重ね他人と眠る夜を、どれだけ過ごしてきたか。そんな事をふと思った自分に苦笑した。何を今更だと…苦笑した。
「どうしたんですか?急に笑い出して」
髪を撫でる手は止めずに、お前は私に聴いて来た。漆黒の瞳はひどく真っ直ぐで曇りがない。こんな瞳を向けられるのがひどく不思議だった。こんな曇りない瞳は。
「いや、私も年を取ったものだと思ってね」
「カレルさん、何を突然…」
困ったように私を見下ろす年下の恋人がひどく私には愛しい者に感じた。こんな風に真っ直ぐに向けられる想いは、嫌じゃない。むしろ私にとっては、新鮮で。
「こんな風に君に抱かれている事に心地よさを覚えるとはね」
「…カレルさん……」
こうして他人と肌を重ねることは私にとってはただの自慰行為と代わらないものだった。戦いの後どうしても火照る身体を沈めるためだけに、他人の肌を求める。そこに穏やかなものも、心地よさも必要なかった。ただ激しく貫かれ、欲望を埋め込まれればそれで良かった。そこに感情など何一つ絡んでは欲しくなかった。

ただ、抱いてくれればいい。ただ、犯してくれればいい。それだけで、いい。

なのに今自分はひどく。ひどく心地よさを感じている。この腕に抱きしめられ、髪を撫でられる事が、嫌じゃない。セックスの後の愛撫など、私には煩わしいものでしかなかったのに。
「他人の鼓動を感じながら、眠る日が来るとは思わなかった」
戦う事しか、剣を振るう事しか、私にはなかった。それ以外のものは必要なく、それ以外のものは欲しくなかった。けれども今。今私は確かにこの心地よさを求めている。穏やかな時間を、求めている。
「…カレルさん…俺……」
見つめる眼差しの真剣さが。痛いほどに貫かれる視線が。それがこんなにも私の心に突き刺さるとは思わなかった。こんな風に胸に貫かれる日が来ることなど。
「俺は本気です。本気で貴方のことが、好きなんです」
改めて言われた言葉が、嘘でないことなど君の瞳を見ていれば分かる。遠い昔に同じような瞳を持つ男からそんな言葉を言われた事を思い出した。あの頃はただ。ただ煩わしいだけでしか…なかったのに。
今、君に。君に言われる言葉は、私にとってひどくこころに広がるものだった。


戦う事が、強くなる事が。
剣を極めることが。それだけが。
それだけが私の全てだった日々。
それだけが全てだった日々。

それ以外のものは必要なく、それ以外のものは無意味な日々。

それでよかった。それだけでよかった。
けれども今は。今は、違うものを求めている。
違うものを欲しがっている自分がいる。
こんな風な想いを持つなんてあの頃は夢にも思わなかった。
こんな想いを、自分が持つなんて。


「俺は年下だし、貴方の半分も生きてないかもしれないけれど」
漆黒の瞳。真っ直ぐな瞳。私も若い頃はこんな瞳をもっていたのだろうか?
「でも想いは誰にも負けません。俺はずっと貴方だけを探していた」
こんな激しい瞳を、こんな熱い瞳を、持っていたのだろうか?
「俺は貴方だけを、ずっと……」
君のような真っ直ぐな瞳を持っていたのだろうか?


――――それとも今。今私は同じ瞳を君に向けているのだろうか?


髪を撫でていた指が私の頬に掛かる。そのまま包み込み言葉通りの激しい口付けを与えられた。全てを貪るような口付けを。
「…っ…ノア……」
「…カレルさん…カレ……」
唇が離れて君の名前を呼べば、熱い想いを返してくれる。私の名を呼ぶ声の激しさが私の心を、熱くさせた。私はその想いのまま、君の唇を塞ぐ。

絡めあう舌が、もつれ合う吐息が。その全てが、こめかみを痺れさせるほど…熱い。

唇が離れそれでも唾液の線が二人を結び、そのまま。そのまま口許に零れる液体を君の指が掬う。大きな手だと、ふと思った。ふと、気が付いた。
「ずっと捜していました。貴方だけを」
舌が、触れる。伝う唾液を舐め取り、そのまま睫毛に口付けられた。甘い、口付け。甘すぎるほどの。こんなものに自分が酔わされる日が来るとは夢にも思わなかった。
「―――俺が捜していたのは…貴方だけです……」
唇が離れそのまま瞼を開ければ、かち合うのはただひたすらに真っ直ぐな君の瞳。何時でもどんな瞬間でも、私を見る君の瞳だけが真っ直ぐだった。
「ずっと…貴方だけを……」
きつく抱きしめてくる腕の強さに息苦しさを憶えながらも、背中に廻した手が伝わる感触に溺れそうになる。溺れてしまいたく、なる。
それは自分が弱くなったのか、それとも別の感情が芽生えたのかまだ分からなかったけれど。
けれども、今確かに私はこの腕を求めている。それはセックスのためだけじゃない。欲望のためだけじゃない。もっと別のものが…別のものが欲しくなっている。
「…ノア……」
名前を呼び耳たぶを軽く噛んだ。柔らかい肉が歯に当たり、そのままかりりとひとつ。ひとつ小さな傷を、作った。
「カレルさん?」
「―――印を付けてみた」
髪に指を絡めた。柔らかい髪、だった。その指先に伝わる感触が、嫌じゃないと思ったらもう。もうきっと。
「私のものだと、言う印を」
…もうきっと、私は君に…捕われている……。



「―――今更ですよ…カレルさん…俺は全部貴方のものです……」



君が微笑う。ひどく子供のような笑顔で。
この笑顔を見ていて、私は気が付いた。私は、分かった。
それは今までずっと私が否定し、必要なかったもの。
私にとって無意味だと思っていたもの。それを今。今自ら。
自ら望み、捕われようと、している。けれども、それすらも。
その感情すらも、今の私には…心地よいものだった。



――――私は君が、好きなのだと……