月の瞳



――――ひとときの夢で、よかった。


望みは、願いは、ひとつだけ。ただ、ひとつだけ。
貴方が前を見つめられるように。貴方が微笑えるように。
ただそれだけだった。それだけ、だから。


僕なんて要らないから。どうか貴方のこころを、救ってください。


もしも今目の前に悪魔が現れて、僕の魂と引き換えに願い事を叶えてやろうと言えば、迷わずに僕はこの魂を差し出すだろう。僕という存在を引き換えに、貴方が微笑ってくれるならば。
「…パーシバル将軍……」
ドアは鍵すら掛かっていなかった。普段の貴方ならばこんな。こんな無防備な事は絶対にしないのに。騎士軍将である貴方の地位と命を狙う輩は…このエトルリアには山ほどいると言うのに。
「―――クレインか……」
薄暗い部屋だった。灯りすらもつけずに、ソファーの上に座っていた。その表情は無機質で、感情のかけらも見えない。元々表情のない人だったけれど、それが今は一層。一層際立っている。まるで人形のような気持ちの見えない、顔。
「灯り、付けないのですか?」
そっと近付いて貴方の前に座った。こうして貴方と同じ視線で、向き合いたかったから。少しでも貴方に、近付きたかったから。
「…何しに来た?……」
貴方は僕の質問に答えずに、それだけを言った。冷たい瞳、だった。まるで鏡のような瞳。そこには何もかもを拒絶し、何もかもに絶望している色しかなかった。貴方の強い…真っ直ぐな光は何処にもなかった。
「…逢いに来た…それだけじゃ、いけませんか?」
「今の私に人に逢うほどの余裕はない…帰ってくれ……」
貴方から微かにアルコールの匂いがした。普段から進んでアルコールを飲む人ではなかった。人から進められ社交事例で飲む事はあっても。それに貴方はどんなにアルコールを口にしても、決して酔う事はなかったのに。
「…貴方に…逢いたかったんです……」
「情けない姿を見て笑いに来たか?」
そう言って貴方は口許だけで笑った。その笑みは笑っているのに泣いているようだった。貴方は泣けない瞳で、泣いている。自分の不甲斐なさと、そして。そして全てを失った哀しみに。
「違います、私は…いえ僕は……」
その先を言おうとして、僕は言葉を飲み込んだ。言ってしまったら、きっと。きっと僕は止められなくなる。自分の想いを、止められなくなるから。
「―――慰めに来たでも言うのか…この私を……」
「…パーシバル将軍?……」
不意に貴方は立ち上がると、僕の手首を掴んだ。そしてそのまま。そのまま自らへと引き寄せ、僕の身体をソファーへと押し倒した。
「私を哀れみ、同情するか?クレイン」
掴まれた手首が痛かった。その痛みに思わず顔を顰めると、貴方はまた口許だけで笑う。それは自分自身に笑っているようだった。自分自身を笑っているようだった。
「ミルディン王子を失い、騎士軍将様はまるで抜け殻のようだ…情けない、と」
「そこまで分かっているなら…何故…何故貴方は言い返さないのですか?何故このように部屋に閉じこもり誰にも逢おうとしないのですか?」
「何故?言葉通りだからだ。私は…抜け殻だ…もう何に仕えればいいのか…何を信じればいいのか分からない。分からない、ただの情けない男だ」
「――――貴方は…そんな人じゃない…王子を失っただけで…自分を見失うような人じゃないっ!」
「お前に私の何が分かるというのだ?お前に何が――――!」
何が?何がと言われてそれを答えたならば。答えたら、もう戻れない。戻れなくなる。それでも貴方は聴きたいですか?聴きたい、ですか?

――――僕がどれだけ…貴方だけを見つめていたか……

驚いたように見開かれる貴方の瞳が、ひどく綺麗だと思った。感情すら欠落しているような貴方のそんな瞳を。そんな瞳を見る事が出来る僕はきっと。きっとしあわせなのだろう。
「…クレイン?……」
顔を上げて、貴方にキスをした。触れるだけの、キスを。唇はすぐに離したけれど、想いだけは貴方の中に残してきた。残して、きた。僕がずっと。ずっと貴方に対して抱えていた想いを。
「分かります、僕はずっと貴方を見てきた」
戻れない。もう、戻れない。ずっと閉じ込めてきた想いは、今。今溢れて零れてゆく。どうしようもない程に零れて、そして。
「…ずっと貴方だけを…見てきたから……」
そしてもう僕自身ですらどうにも出来なくなっているから。どうにも…出来ないから…。溢れて零れて、そして広がってゆく想い。止められない、貴方への想い。
「――――ならば証拠を見せてもらおうか?」
「…え?……」
僕が疑問符を唱える前に唇が強引に塞がれる。顎を捕らえられ唇を開かされ、舌が忍びこんできた。生き物のような舌が僕の舌に淫らに絡まってくる。
「…んっ…んんっ!……」
アルコールの味がするキスだった。そこに優しさは何もない。ただ。ただ何かをぶつけるように唇を塞がれるだけで。
「…やめっ…パーシバル…んっ……」
何度も何度も角度を変えて、口付けられる。痺れるほどのキス。何時しか意識が溶かされ、僕は無意識にその背中に手を廻していた。
「…はぁっ…あっ!」
ビリリと言う音ともに僕の着ていた服が乱暴に破かれた。その音に溶かされていた意識が戻る。けれども身体を組み敷かれ抑え込まれて、僕は逃げ場を失っていた。
「こんな事をされても、お前は私が分かると言うのか?」
「…あっ……」
首筋に口付けられ、引き裂かれた衣服から覗く胸元に指を這わせられた。その愛撫に優しさのかけらもない。けれども。けれども……。

けれども哀しかった、から。貴方が哀しかったから。
そうやってわざと乱暴に扱いながら、貴方は。貴方は…本当は……。

「…どうして、抵抗しない?……」
誰よりも傷ついている。誰よりも、こころが。
「…どうして…抵抗する理由があるのですか?……」
わざと僕に酷い振る舞いをして、自分を陥れようとしても。
「…貴方が好きなのに……」
僕には、分かるから。貴方が、分かるから。
「…貴方だけが…好きなのに……」
そうやって僕を自分から遠ざけようとしているのが…分かるから……。


分かっている。それが貴方の優しさだと。
今貴方のこころは、王子しかないのに。
そんな状態で僕の想いに付け込めない貴方の。
貴方の精一杯の、優しさだって。

僕を利用してもいいのに。それで貴方が救われるなら、僕なんて幾らでも利用してもいいのに。


「好きなんです、貴方が。僕は貴方だけが好き」
利用してもいい。それで貴方が少しでも安らげるのなら。僕なんて幾らでも利用してください。それで貴方の心が、少しでも。少しでも、救われるのなら。
「…私は…今まで王子の為だけに生きてきた……」
どんな理由でも僕が貴方の役に立てるのならば。少しでも、貴方にとって必要な存在になれるのならば。それが例えどんな形であろうとも。
「…ええ…知ってます…そんな貴方をずっと見てきました…そんな貴方がずっと…好きでした…」
どんな形でも、どんな理由でも。どんな存在でも、どんな…意味でも……。
「――――それを今更…今更生き方を変える事は私には出来ない……」
「…いいんです…そんな貴方が僕は好きだから……」
腕を伸ばして、貴方の背中に廻した。広くて大きな背中が、今は哀しく感じる。戦場の上で見続けていたこの背中は絶対的な強さと頼もしさを感じていたのに。今は。今は、ただ哀しい。
「…私が…好きか?…そんなにも好きか?」
「好きです。どうしようもないくらいに好きです…どうにも出来ないくらいに……」
恋を、した。ただ一度だけの、恋。貴方だけにした。他に何も目が入らないほどに。
しあわせだと、思う。僕はしあわせだと、思う。こんなにも愛する人を…ただ一人想う人に出逢えることが出来て。例え貴方の心が他にあろうとも、こうして。こうして貴方のそばにいる事は出来るから。例え貴方が、永遠に王子の騎士であろうとも。
「…クレイン…私は今までの生き方を変えられない…亡くなられようとも私の騎士としての忠誠心はミルディン王子にあり続ける」
「…はい……」
「…けれども…けれども私は…また…別の所でお前の事が愛しいと…そう思っている……」
「…パーシバル…将軍?……」
手首を掴んでいた手が離されて、そっと。そっと僕の髪に指が触れる。指が、触れる。それはひどく。ひどく優しくて。泣きたくなるくらいに、優しくて。
「私は多分お前の気持ちに何処かで気付いていた…だからきっとお前は私がどんな事をしても…私を受け入れるだろうとも……」
髪を撫でられ、その指先がそっと。そっと僕の唇に移される。指先が唇をなぞった。濡れた僕の、唇に。
「…甘えて…いる…お前に…こんな事をして…みっともない所をお前に見せて…それでもお前は私を受け入れるだろうと…そう……」
「…パーシバル…将軍……」
「…私はお前以外に…こんな姿を見られてもいいとは思わない…王子の前では絶対に見せられない姿も…お前なら……」
「…見せて、ください…僕はどんな貴方も見たいから……」
「…クレイン……」
「どんな貴方も僕はこの瞳で見たい。全部、見たい」
僕の言葉にそっと。そっと貴方は微笑った。それは口許だけの笑みでも、自嘲的な笑みでもなく。本当に僕が一番見たかった…貴方の優しい笑みだった。

「…騎士としての心は王子とともに永遠にあり続ける…でも私自身の心は…お前に……」

ゆっくりと降りて来る唇に、僕は目を閉じて受け入れた。優しいキス、だった。優しすぎるキスだった。
僕はこれが夢なら醒めないでと願いながら。願いながら、背中に廻した腕に力を込めた。


――――これが夢ならば…ずっと醒めないでと……


何度も繰り返し重ねられる唇に、僕は睫毛が震えるのを抑えきれなかった。唇が離れた瞬間に零れる甘い吐息も、全部。全部再び塞がれる貴方の唇が掬い取ってくれる。
「…ふっ…はぁっ……」
口許から飲みきれない唾液が伝う。それをそっと貴方の舌が掬い上げた。ざらついた舌の感触がくすぐったくて首を竦めれば、貴方は目を細めて微笑う。
好きだなと、思った。今の顔、凄く好きだって思った。今のそっと見せてくれた優しい顔。
「怖くないか?」
「…少し…でも……」
「でも?」
「…こうして貴方の背中に手、廻していれば…平気です…」
ぎゅっと抱き付いたら貴方は笑みを深くしてくれた。こんな些細なことが、泣きたいくらいに嬉しいと感じるのは。感じるのは、貴方だから。他でもない貴方、だから。
「ああ、ずっと掴まっていろ。この背中は…お前だけのものだ……」
「…あっ……」
首筋に唇が落とされ、そのままゆっくりと鎖骨の窪みへと落ちていった。きつく吸い上げられ紅い痕を付けられる。それが貴方の所有の印だと思えば、痛みすらも甘いものへと摩り替わった。
「…あぁ…ん……」
ぷくりと立ち上がった胸の果実が口に含まれる。舌先で嬲られ軽く歯を立てられて、びくんっと僕の身体は跳ねた。それを確かめるように何度も執拗に胸への愛撫を繰り返す。
「…ああ…はぁっ…あん……」
もう一方の胸も指で摘まれた。同時に攻められ口から零れる甘い声は止まらない。自分の声じゃないような、ひどく甘い声が。
「クレイン」
唇が胸から離れて、そのまま耳元で囁かれた。低く、微かに掠れた声。今まで知らなかった貴方の、声。知らなかった貴方の夜の声。
「…パーシバル…将軍……」
潤んだ視界の中で必死に貴方を見上げた。こんな時貴方がどんな顔をするのか、僕は確かめたかったから。どんな貴方も、知りたかったから。
「―――何時も思っていた…お前のその瞳が綺麗だと……」
「…そんな事言われたら…僕はどうしていいのか分からなくなってしまいます……」
「本当の事だ。ずっと綺麗だと思っていた。曇りないその紫色の瞳が」
「…あっ……」
頬を口付けられ胸に触れていた手が、下腹部へと滑ってゆく。わき腹を撫でられ臍の窪みに触れられ、そして。そして脚を開かされた。
「あんっ!」
大きな手が僕自身を包み込む。柔らかく握られて一瞬、僕の意識は飛びそうになった。胸への愛撫のせいで既に形を変化させていたソレに、貴方の手が絡みつく。それはひどく饒舌で巧みな手、だった。
「…ああんっ…あん……」
先端の窪みを指の腹で擦られる。それだけで耐えきれずに僕の鈴口からは先走りの雫が零れてきた。それを指で掬い上げ、更に先端に擦り合わせる。それだけで、もう…。
「…将軍…もうっ…僕は……」
「構わん、出せ」
「…でも…貴方の手が…汚れ…あああっ!!」
身体が、びくびくと痙攣する。それと同時に僕は貴方の手のひらに自らの欲望を吐き出した。一瞬、意識を真っ白にしながら。
「…ご、ごめんなさい…僕……」
荒くなる息を堪えながら、僕は貴方に告げた。そしてまだ縺れる指先を貴方の手に絡めると、そのまま自らの口許へと持っていった。
「クレイン?」
「…んっ…は…ん……」
指を、舐めた。綺麗な貴方の指を。あれだけの剣を振りまわしていながらも、貴方の指はひどく綺麗だった。大きくて、そして長い指先。しなやかで見た目は硬質で、でもこうやって触れればひどく優しい指だった。
ぴちゃりと濡れた音が室内に響いた。指先に伝わる精液を飲み干すたびに、濡れた音が響く。
「もういい、クレイン」
精液は綺麗に拭ったけれど指が唾液でねっとりと濡れた。その指を口から離させると、そのまま。そのままもう一度僕は脚を開かされた。そして今度は前ではなく、後ろへと指が触れた。
「…ふっ……」
入り口を何度かなぞられて、ゆっくりと指が埋められてゆく。初めての異物の侵入に、入り口は硬く閉ざされていた。けれども貴方の指先は焦ることなくゆっくりと外側から、媚肉を解してゆく。
「…くふっ…はっ……」
繰り返し施される愛撫に蕾が開かれてゆく。埋められた指を受け入れ始め、中へと媚肉が導いてゆく。何時しかひくひくと震え始め、刺激を求めるほどに。
「…はぁっ…ん…くんっ……」
ぐちゅぐちゅと濡れた音が身体の芯に響いてくる。その音にすら僕は反応した。じわりと足許から這い上がる熱が、息を乱し思考を拡散させた。
「…クレイン…いいか?」
「…はい……」
指が引き抜かれ、代わりに入り口に別のものが当てられる。その感触に僕の睫毛が震えた。入り口に感じる熱さと硬さに。貴方が僕を欲しがってくれている証拠に。
「…辛かったら…爪を立てろ…ここはお前だけの場所だから……」
汗でべとつく前髪を掻き上げられ、額にひとつ口付けをくれた。そこから広がる甘さに、僕は酔った。
…その甘さが全身に広がった頃…貴方が僕の中にゆっくりと挿ってきた……。


「――――ああああっ!!」


貫かれる痛みも、貴方から与えられるものだと思えば快楽へと摩り替わった。引き裂かれる痛みですら、貴方からだと思えば僕の身体は感じた。
「…ああっ…あぁぁ……」
背中に廻した手に爪を立てた。立てていいと貴方が言ってくれたから。ここはお前のものだと…言ってくれたから。
「…クレイン…大丈夫か?」
「…平気です…平気だから…止めないでっ……」
接合部分がひどく熱かった。そこに全ての熱が集中したように熱く…そして激しく。眩暈すら憶える痛みと快楽に、僕は必死になって堪えた。
刻みたかったから。貴方の顔を、表情を、声を。全部僕の中に、刻みたかったから。
「…あああっ…あぁぁ……」
全部、全部、どんな時も、どんな瞬間も、僕は貴方だけを…刻んでおきたいから……。


好きで、好きで、どうしようもなくて。どうにも、出来なくて。
どうしたらいいのか、ずっと。ずっと、考えていた。

溢れて零れる、想いを。注がれ続ける、ただひとつの想いを。


「…クレイン…ありがとう……」
「…パーシバル…将軍?……」
「…お前がいてくれたから…私は……」


「…私は…別の道を…見つけられそうだ……」


そう言って貴方は僕を。僕をきつく、抱きしめた。その腕の強さに壊れそうになりながら。壊れたいと想いながら。貴方の強さが何よりも僕にとって、嬉しい事だったから。




「…お前ともに…生きる道を……」