月の向こう側



四角く区切られた窓の外に浮かぶ満月をただぼんやりと見つめていた。何を考えるでもなく頭を空っぽにして、その夜空に浮かぶ球体をただ見ていた。
「――――あ」
流れてきた雲のせいで月の光が隠れてしまう。それが何故かひどく悔しくてつい声を上げてしまったら、それに反応するかのように隣で眠る金色の髪がひとつ揺れた。
「……」
微かな寝息に安堵のため息を洩らしながら、心の中で『ごめんなさい』と一つ呟いてその寝顔をそっと見つめる。月が隠れてしまったせいで室内は闇に包まれていたが、それでも眩い程のその金色の髪は自分の瞳にはひどく鮮やかに映る。何よりも綺麗なものとして。
「…パーシバル…様……」
起こさないようにとあれほど気を使っていた筈なのに、やっぱり我慢出来なくなってそっと名前を呟いてみた。それだけで口の中に甘酸っぱい想いが広がってくる。それだけでひどく幸せで切ない気持になる。
「…大好きです…パーシバル様……」
聴こえないように、けれども何処かで聴こえていたらいいな…そんな事を想いながら閉じられた瞼に一つ唇を落とした。それだけで。それだけで、想いは全身を包み込んでゆく。この人がどうしようもないくらいに好きだという想いだけが。


憧れと恋と愛の線引きは貴方がいたから理解出来た。貴方がいるからその違いが分かった。それは同じようで全く違うもの。全く違うものでありながら繋がっているもの。そうした感情の全ての始まりに貴方がいて、その想いの先の答えも全て貴方が持っていた。
『―――クレインというのだな。私はパーシバル…よろしく』
今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いている。初めて出逢ったあの時も瞬間を。忘れようとしても忘れられないから、考える事を止めたら自然と心の中に描かれていた。思考よりも先に、鮮やかに浮かぶようになっていた。

―――――それを憧れという言葉で片付ける事は、僕には出来なかった。

出来なくてどうしていいのか分からなくて、考えても分からなくなって思考を止めたら気が付いた。どんな時でもどんな瞬間でも無意識に自分の瞳が追っている事に。その意味を考える前に自覚した。このひとが好きなのだと。憧れでも、羨望でもなく、ただ。ただこのひとが好き、なのだと。
それからは悩むことすら諦めた。どうやってもどうしても、貴方が好きだと気付いてしまった以上。どうにもならない想いだと理解したから、止める事も諦める事も…止めた。好きでいる事しか出来なかった。それしか出来ない。けれどもそれでもいいと思った。それで、いいと。貴方を好きになった気持ちは、確かに自分のものだから。自分という人間を形成する上で、なくてはならないものだから。

『…そばにいて欲しい…私はお前にそばにいて欲しい……』

真っ直ぐに貴方を見つめたら、その紫色の瞳が見つめ返してくれた。叶わなくてもいいと思いながらその姿を追い続けたら、振り返ってくれた。そっと、振り返ってくれた。それから自分でも嫌になるほどに欲張りになってしまった。貴方が欲しいと。貴方の全てが欲しいと。その髪もその声もその瞳も、全部。全部、全部、欲しいと。


瞼から唇が離れた瞬間、その綺麗な瞳に自分の顔が映し出される。馬鹿みたいに大きな目を開けて驚いている僕の顔が。
「…何をそんな驚いた顔をしている?……」
寝起き特有の少しだけ掠れた声が鼓膜に落ちてくる。それだけで瞼が震えるのを止められなかった。その掠れた声を知っているのは自分だけという事実に。
「…いえ…その起こしてしまうつもりはなかったので…その……」
心の奥底に浮かんだふしだらな気持ちに気付かれたくなくて瞼を閉じれば、そのままそのまつ毛に唇が落ちてくる。その生温かい感触に無意識に唇から吐息が零れた。
「…パーシバル…様……」
唇が離れたのを感じ、瞼を開ければその瞳に映っている自分の顔が、どうしようもない程に欲情しているのが分かった。熱く潤む瞳をどうする事も出来ない。
「―――どうした?クレイン…そんな顔をして…私が欲しくなったのか?……」
耳元に息を吹きかけられるように囁かれる言葉に、意識が溶かされてゆく。普段のストイックな姿からは想像出来ない貴方の夜の声に身体の芯が溶けてゆく。じわりと熱が広がって、全身を火照らせる。
「…欲しい、です……」
背中に腕を廻し、そのまま身体をくっつけた。何も身に付けていない素肌は、それだけで熱が灯る。裸の胸を重ねて、脚を絡ませる。すでに形を変化させた自身を押しつけて、それ以上のものをねだった。舌を伸ばし、無防備に開いた口中に忍ばせながら。
「…んっ…ふっ…んんっ……」
ねっとりと舌を絡ませ、より深く求めた。濡れた音を室内に響かせながら、全てを飲み込むような口づけをねだった。欲しかったから。貴方が欲しくて堪らなかったから。
「…はぁっ…あっ…んんんっ……」
背中に廻した腕にきつく力を込める。それに答えるように口内を弄る舌の動きが激しくなる。唇を甘噛みされながら胸の突起を指で嬲られる。軽く摘ままれたと思ったら、指の腹で転がされ、そのままかりりと爪を立てられる。あらゆる刺激に身体が濡れて、溺れてゆく。
「…はぁっ…あっ…あぁ……」
吐息の全てを奪うような口づけから解放されたと思ったら、唾液に濡れた唇が胸の突起に当たる。その感触にぞくりとする間もなく、そのまま胸の果実を吸われた。
「…あぁっ…ああんっ……」
わざとぴちゃぴちゃと音を立てながら舐められて、無意識に下半身が揺れた。中心部分が刺激を求めて、もどかしげに。
「どうした?クレイン。そんなに脚を動かして」
「…パーシバル…様…触って…くださ…い……」
「触る?何処をだ?」
くすりとひとつ微笑いながら告げる貴方の顔に眩暈すら覚える。こんな時に見せる雄の顔は、どんなものよりも刺激的で危険な匂いがする。けれどもそれを求めずにはいられない。求める事を、止められない。
「…触って…ココを…僕の…ココにっ……」
大きくて節くれだったその手に自らの手を重ねて、びくびくと震える僕自身へと導いた。そのまま貴方の手の上からソレを握ってやれば、声を上げずにはいられない刺激が身体を駆け巡る。もう我慢が出来なかった。貴方の手に重ねたまま、強く、強く、自身を握った。握って擦って、感じる箇所を甚振った。
「ふ、そんなに気持ちいいか?」
「…気持ち…イイっ…イイよぉっ…ああんっ…あああんっ!」
「全くお前は…しょうがないな…」
「―――あああんっ!!!」
くすりとひとつ苦笑を零すと同時に貴方は僕の手を離させて、そのまま自身に指を這わす。僕よりも僕自身を知り尽くした指に嬲られて、僕はあっという間に達してしまった…。


四角く区切られた空間の先に在るのはただの真っ暗な闇だけで。綺麗な月の球体は何処にも見えなかった。けれども今はその事にひどく安心感を覚えた。このひとを…この何よりも綺麗で何よりもしなやかな雄の野獣になるこのひとを、僕だけのものに出来るから。
「あああっ―――――ああああっ!!!」
脚を広げられて、そのまま身を埋められる。貫かれる痛みよりも、満たされる快楽の方が勝って、僕の口からは悲鳴交じりの嬌声が零れた。
「…あああっ…あぁぁっ…あああんっ!!」
打ちつけられる楔がぐちゃぐちゃと濡れた音を立てている。その音にすら熱く火照った身体は反応した。腰を揺らされシーツが波を打つ。その感触にすら僕の身体は欲情した。貴方からもたらされる全てに、僕は欲情する。
「…パーシバル…さまっ…パーシバル…っ…ああああんっ!!」
金色の綺麗な獣。しなやかで本当は触れる事すら許されない獣。そんな貴方が僕の中にいる。何よりも雄の顔をして、僕を激しく貫いている。
「…あんっ…ああんっ…ああああっ!!」
気持ちイイ。気持ちよくて、気が狂いそうだ。狂ってもいいと思った。このまま貫かれたまま、貴方に満たされて、貴方に溺れて、貴方に狂わされたら…しあわせ。

――――貴方に注がれ、貴方に満たされ、貴方で溢れたら…しあわせ……

一番奥深い場所に凶器が埋められる。媚肉を限界まで転げられ、そのまま熱い液体が注がれる。溢れるほどに注いで欲しいと、白くなる意識の中それだけを願った。


快楽の残り火が消えない両腕でその広い背中に抱きついた。そのまま触れるだけのキスを繰り返して、間近にある綺麗な紫色の瞳を見つめる。そこに映る姿が自分しかいない事に安堵し、そのまま瞼を閉じれば優しいキスが睫毛の先に降りてくる。そこにはもう先ほどの激しい熱は何処にもなかった。ただ労わる為だけの、優しいキスだけで。
「…クレイン…お前の前では私は理性が飛んでいってしまう…本当に困った事だ……」
そう告げる貴方の顔は何処までも優しくて、何処までも穏やかだ。それは皆が知っているストイックな姿とも、僕だけが知っている雄の顔とも違う…剥き出しになった優しさだけが在る顔だった。
「…困ってください…もっと…僕の前では……」
その顔を向けてくれる相手は僕だけではないけれど、けれどもその中に僕が含まれている事が何よりも誇りに思う。このひとの『素の優しさ』に触れられる自分が。
「いっぱい、困ってください」
だって僕は知っている。憧れと恋と愛が違うものだという事を。違うものだけど繋がっているという事を。僕は、知っているから。


何時しか四角く区切られた空間から淡い光が落ちてくる。ぽっかりと球体が浮かび、何よりも優しい貴方の顔を、映し出していた。