水に浸した手から、紅い血が流れていった。
人は何時か死ぬものだから、と。何時しか必ず人は死ぬものだからと。何度も自分に言い聞かせ、何度も覚悟をしていた事だったのに。
なのに今自分は。自分は目の前の現実を受け入れられないでいる。受けいれる事が、出来ないでいる。
戦いで死ぬのは騎士としては本望だからと、何時か貴方は言っていた。
戦場で死ぬことが多分騎士として一番しあわせなのだろうと。でも。
でも僕はそんな言葉を貴方から聴きたくなかった。貴方から…聴きたくなかった。
「…パーシバル様……」
触れた頬はひんやりと冷たかった。冷たくて、そして哀しかった。
「…どうして…僕を独りに……」
哀しくて苦しかったから、だから何度も頬に触れた。何度も何度も。
「…僕を独りにするんですか?……」
そうしたらぬくもりが伝わるのかと思った。冷たい頬が暖まるのかと思った。
「…生きて帰ってくるって…そう……」
こうして貴方の冷たい頬に触れていたら、ぬくもりが分け合えるのかと思った。
「…そう…言ったのに……」
貴方の冷たい頬に、ぬくもりが。ぬくもりが灯るのかと。
こんな日が来るのは心の何処かで覚悟していた。
何時か貴方が戦場に取られてしまうのではないかと。
貴方が生きる場所が戦場でしかないのならば。
何時しかこんな日が来るのだと。来るのだと、分かっていても。
頭で理解しても、こころが追いつかない。感情が、気持ちが、追いつかない。
ずっと貴方のそばにいられるのだと。
ずっと一緒にいられるんだと。それだけを。
それだけを思って、願って、そして祈って。
貴方が僕を見てくれた日から、ずっと。
――――ずっとそれだけが…僕にとってのしあわせだった。
「…パーシバル様……」
何もいらない。何も欲しくない。
「…好きです…パーシバル様……」
貴方以外に何も。何も、いらない。
「…貴方だけが…好きです……」
名誉も地位も、世界も、命も、何もいらない。
「…貴方だけが…パーシバル様……」
貴方がいないなら、僕なんていらない。
唇を重ねた。吐息を奪い合えない、キス。一方的な、キス。
ぬくもりを分け合えない、キス。それでも。
それでも貴方とだから。貴方との最期のキス、だから。
「…パーシバル様…僕を独りにしないでください……」
ずっと貴方だけが、好きだった。ずっと貴方だけを追いかけていた。
僕の前にいるのは何時も。いつも貴方だった。
その背中を追いかけ、必死に追いかけ。そして。
そして初めて貴方が僕に降り返って、そして僕を認めてくれた瞬間を。
その瞬間を、ずっと。ずっと僕は覚えているから。
「…僕を…ずっと貴方のそばに置いてください……」
全部、覚えている。貴方が好きだと初めて言ってくれた瞬間も。
初めて唇を重ねた瞬間も。初めて指を絡めて眠った夜も、全部。
全部、全部、僕の全てで覚えているから。
―――僕という存在が全て貴方と言う名前のもので埋められているから。
だから貴方のいない世界で。貴方のいないこの世界で。
僕が生きている意味も、存在している理由もなくて。
貴方がいない僕はただの。ただの空っぽな入れ物でしかないから。
「…ずっと貴方のそばに……」
水面にひとつ、華が浮かんでいた。それはまるで貴方への弔いの華のようで。僕はその華に触れる為に水に手首を浸した。その瞬間、水面に真っ赤な血が、広がった。僕の切りつけた手首からさああっと紅い血が。
「―――パーシバル様……」
その華を手繰り寄せると僕は濡れた手を引き上げて、ゆっくりと貴方の腕の中に身体を沈めた。そして華を毟り、花びらを貴方の身体に散らせる。ひらひらと花びらが、貴方の屍に降ってとても。とても、綺麗だった。
「…パーシバル様…僕ももうすぐ……」
ゆっくりと目を閉じ、貴方の胸に顔を埋める。身体を重ねあった夜は何時もこうしていた。こうして貴方の命の音を聴いていた。そうする事で貴方の生を確認して、そして僕は安心して眠る事が出来るようになっていたから。
でももう、それも。それも確認する必要はない。命の音を聴く必要はない。
もう貴方は何処にも行かない。貴方はここにいる。僕とともにいる。
そうもう、もう僕は何の心配もしなくていい。
貴方が戦場に取られる事も、貴方が王子の騎士であり続ける事も。もう。
もう何も心配しなくていいのだ。これからはずっと。ずっとふたりでいられるのだから。
――――ふたりだけで…いられるのだから……
「…貴方のそばに……」