未来を語る事が、出来なくても。その先を語る事が、出来なくても。
何時も告げたい事はただひとつで。ただひとつだけで。それだけがふたりの間に何時もあって。何時もあるのに、言葉にする事が出来なかった。言葉にしてしまったら、きっと。きっともう戻れなくなってしまうから。何処にも、戻れなくなってしまうから。
空から降り注ぐ淡い月の光。それに照らされた貴方の横顔を見ていたら、ただ。ただ泣きたくなった。泣きたく、なった。
「…パーシバル様……」
名前を呼ぶのも本当は躊躇っていた。名前を呼んだら今ここを包み込む空気が、弾けてしまうような気がして。今ここに漂っているひどく優しく切ない空気が。
「どうした?クレイン」
振り返る横顔。ゆっくりと自分を見上げる瞳。普段は深い空の色をしている瞳だけど、今は。今は深海の蒼にその瞳が見える。
「何を考えていたのですか?」
灯りもつけずに何時もの椅子に腰掛けながら、外を見ていた貴方。机の前にある大きな窓からはぽっかりと浮かぶ月。柔らかい光に包まれた、綺麗な月。
「―――お前の事をと言ったら、信じるか?」
椅子から立ち上がり僕の前に立つと、そのまま。そのままそっと髪を撫でてくれた。大きな貴方の手。剣を持つ男の手。その指には無数の細かい傷がある。それはこうして。こうして近くで触れなければ分からないほどの傷。けれどもそれにこうして触れられる自分が、何よりもしあわせだった。しあわせで、そして苦しかった。こうして触れるたびに僕は知ってゆく。貴方の傷が増えてゆく事を。
「…そんな僕を…喜ばせないでください……」
髪に触れていた指に僕は自らの手を絡めた。貴方の手は僕の手ですらそっと包み込んでしまう。こうして包み込んでしまう手のひら。けれどもそれがどんなに繊細な動きをするかを、僕は知っている。大きくてけれどもしなやかで、繊細な貴方の指。僕の大好きな、貴方の指先。
「嘘は言ってない、お前に嘘は付けない」
その言葉に泣きたくなるほど嬉しくて、そして切なかった。貴方は僕に絶対に嘘を付かない。嘘を付かないからこそ、僕は知っている。知っている、貴方が。
「ええ、パーシバル様は何時も僕には本当のことを告げてくれます…だから……」
貴方がどんなに僕を大切に思ってくれていても、王子以上の存在に…僕はなれない事を。
大切な人。大切な、ひと。僕にとっての一番は貴方だけ。
ずっとずっと、貴方だけ。貴方がここにいて、そして。
そして地上に存在している事。それが大切。それが、大事。
――――僕にとって貴方以上に大切なものは…ないから……
でも貴方にとっての僕は。僕は王子を越えられない。
どんなに大切に思ってくれても。貴方は王子の為に死ぬのを厭わない。
例え僕がそれを口にしても、届く事はない。貴方の命は。
貴方の命は王子のもの。王子だけの、もの。
「―――だから、苦しい、か?クレイン」
僕が戦う事を止めたのはただ一つ、貴方を苦しめたくなかったから。
「…パーシバル様……」
貴方が王子の騎士である以上、僕は同じ戦場に立ってはいけない。
「私が王子の為に戦い続ける事が」
貴方にとって王子を護るという理由がある以上。王子以外に。
「お前だけのものに…なれないのが……」
王子以外に、護るものがあってはいけないから。
貴方は僕を護ってくれる。けれどもそれが貴方を苦しめる。戦場の上で護るべきものが増えればそれだけ。それだけ、貴方に負担になる。そしてそれだけ貴方の命が、危なくなるから。
「でも僕は、貴方だけのものです」
僕の願いはただ一つ。貴方がこの地上に存在してくれる事。貴方が生きてここに戻ってきてくれる事。それだけで、いい。それだけで、いいから。
「…クレイン……」
だから生きてください。だから死なないでください。僕は貴方がいなければもう生きてゆく事は出来ないから。だから。だから、生きて帰ってきてください。
「だから大丈夫です。苦しいのは貴方を好きになった時から…覚悟してました」
例え王子の為に戦っても、貴方が王子の騎士でも。それでも。それでもこうして、僕の元へと帰ってきてくれれば。ここに、帰ってきてくれれば。
「いいんです、僕が勝手に貴方を好きになったのだから」
絡めた指先をそのままで。そのままで、空いた方の腕で抱き寄せられる。貴方の胸に顔を埋め、そして目を閉じた。心臓の音が聴きたかったから、目を閉じた。貴方の命の鼓動を確かめたかったから、目を閉じた。
…とくん、とくん、と。聴こえてくる命の鼓動を……
本当は告げたい事が、ある。本当は言いたい事がある。
本当は何時も胸の奥に堪っていて、そして吐き出したい想いが。
曝け出してしまいたい言葉が、ある。
『…行かないで……』と。
でもそれは言えないから。言えはしないから。
僕が貴方を好きであることを止められないように。
貴方が王子の騎士である事を止められない。
だから。だから、決して言えはしない。
「…パーシバル様……」
本当は語りたかった。貴方と未来を。
「…クレイン……」
でも貴方の存在と引き換えならば。
「…好きです…貴方だけが…好き……」
そんなもの、何時でも捨てられた。
貴方とともに戦い、そして未来を作り上げる。そんな夢ですら、捨てられた。
いらないから。貴方以外、いらないから。だから誰もこの人を僕から取り上げないでください。お願いだから、取り上げないでください。
「…私も、お前の事を……」
そのためなら僕は全てを捨てられるから。どんなものでも、捨てられるから。貴方という存在と引き換えならば、惜しいものなど何一つない。何も、ない。だから。
「…愛している…クレイン……」
だからだれもこのひとを、僕から取り上げないでください。お願いだから、僕から取り上げないでください。
そっと降って来る唇の甘さと切なさに、僕は睫毛を震わせた。
ただこんな日々が、ずっと。ずっと続いてくれればと。叶わない夢を。
叶う事のない夢を、こころで。こころの中で、そっと。
そっと語った。そっと、想った。そっと、願った。そして、貴方が。
貴方がくれるその言葉だけを信じて、僕は生きてゆく。ただひとつの言葉を、信じて。
「…お前だけを…愛している……」