careless wisper



――――ひどく月の綺麗な夜、だった。


月を見ていたら何故か、ひどく。ひどく泣きたくなった。
あまりにも綺麗で、そして。そして冷たい月を見つめていたら。
まるで世界に独りだけ取り残されたような、そんな。
そんな気持ちになって。ふと、苦しくなった。


こんな時にそばにいたいと想うのは…僕の我が侭だろうか?



明日になればまた、戦いが始まる。死との隣り合わせの戦い。死ぬ事は怖いとは思わなかった。戦いで死ぬ事は、軍人としては当たり前にある現実だった。そしてその覚悟を持って常に戦いに挑んできたのだから。だから死ぬ事を怖いと思ったことは一度もなかった。けれども。

―――けれども…貴方を失う事を今…何よりも怖いと…そう思っている……

自分が死ぬ事は、怖くはない。戦いで死ぬことを怖いとは思わない。けれども。けれどももし貴方を戦いで失ったなら。失ったら、怖い。何よりも怖いと、そう思った。自分の死よりも何よりも、僕は貴方を失うのが一番…怖い。


「…パーシバル将軍……」
クレインはテントの前に立つと、その名を呼んだ。入り口から漏れる明かりにその中の主がまだ起きていることを伝えている。けれどもクレインは入る前に、その名を口にした。こんな些細な事で、彼が『生きている』事を確認する為に。
「―――クレインか?…入れ……」
少しだけ…ほんの少しだけ掠れた声が聴こえてくる。その声にクレインは瞼が震えるのを抑えきれなかった。何時もの戦場の上での凛とした声とは違う…プライベートな彼の声。そしてその声を聴く事が出来る数少ない人間に自分が含まれているのが、何よりもクレインには嬉しかった。
「失礼します、パーシバル将軍」
入り口を開けて、そのままテントに入っていった。戦いの続く日々でこんな風にテントを張る日も、もう珍しくもなかった。けれどもこんな場所にひどく。ひどく彼は似合わないような気がした。
「どうした、こんな時間に?」
もうすぐ眠るつもりだったのか、枕に凭れ掛かりながら、パーシバルはワインを飲んでいた。こんな時でもちゃんとグラスに注ぎ飲んでいる所が彼らしいとクレインは思う。そしてそんな姿こそが何よりも一番彼に似合っているように見えた。
「…何だか…眠れなくて……」
深紅の枕に凭れ掛かりながらグラスを口に運ぶ姿は、まるで一枚の絵のようだった。戦場の上での精悍な顔立ちとは違い、少しだけリラックスしているような表情。そして何時もならきっちりと嵌められている上着のボタンを外し、素肌の胸元が曝け出されていた。それがひどく。ひどくクレインの欲情を誘った。
逞しい胸板。そこから微かに薫る汗の匂いを、自分は知っている。その雄の薫りを、自分は知っている。
「ならお前も飲むか?」
そう言って手に持っていたグラスをパーシバルはクレインに差し出した。けれどもクレインはそれを、首を横に振って拒絶する。その代わりに彼に近づくと、そのまま前に座り込んだ。そして。
「…ワインよりも僕は……」
そのままパーシバルの膝の上に自らの手を置く。そしてゆっくりと彼を見上げた。紫色の瞳が、微かに夜に濡れているのを、パーシバルは見逃さなかった。
「―――クレイン?」
その先を言わないクレインにパーシバルは尋ねた。それでもクレインはその答えを口では告げなかった。その代わりに瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。紫色の綺麗な瞳が。

その時ふと、パーシバルは思った。夜に見る紫は、魔性の色だと。

膝に乗っていた手が離れたと思ったらクレインは自らの服に手を掛けた。そしてそのまま胸元のボタンを外す。それをパーシバルは何も言わずに、見つめていた。今彼に何を告げても、どんな言葉を告げても、無意味なのだろう。その瞳が夜とそして。そして夜以外のものに濡れていたのだから。
「…パーシバル様……」
ふたりきりの時になる時、自分は彼に何時も言っていた。パーシバル将軍は止めろ、と。そして何時しかそれがふたりにとっての『けじめ』になっていた。公私混同をしないようにと。戦いの中で自分達は軍人であり、騎士であるが為の。そうでもしなければ、自分はきっと。きっと国よりも王子よりもこの愛しい存在を何よりも優先してしまうだろうから。
「僕はワインよりも…貴方が欲しいです……」
上着のボタンを全て外すと、クレインは自らの指先を自分の肌へと滑らせた。戦う者の手とは思えないほどの白くて細いその指先が、それ以上に色素の薄い自らの肌に絡みつく。
「―――独りでは…眠れないのか?」
もう一度クレインの空いた方の手がパーシバルの膝の上に乗せられる。その指が微かに震えているのをパーシバルは決して見逃さなかった。見逃さなかったから自らの手を。自らの手を、その上に重ねた。そして。
「…僕はもうずっと…ずっと貴方の腕の中でないと…安心して…眠れないのです……」
そして残っていたワインを飲み干すと、下にグラスを置く。そして重ねていた手をそのまま引き寄せて。
「…パーシバ…んっ……」
引き寄せて、クレインの唇を奪った。顎を捕らえ唇を開かせて、パーシバルは口の中に残っていたワインをクレインの中へと注ぎ込んだ。甘くてそれで少しだけ苦味のある味と薫りが、クレインの口の中に広がってゆく。それをこくりと音を立てて飲み干すのを確認して、パーシバルは唇を離した。
「美味しいか?」
首の後ろに手を掛けながら、パーシバルは尋ねた。その言葉にクレインの閉じられていた睫毛が開かれる。その魔性の紫色の瞳、が。
「…美味しいです…貴方から与えられるものなら全て……」
クレインの手がパーシバルの背中に廻り、広い背中の感触を楽しむように指先が動いた。広くてそして強い背中を、この指先に刻むように。
「どんなものでも、貴方から与えられるものなら」
自分を見つめる紫色の瞳は、やっぱり濡れていた。それが夜のためだけじゃない事は、こうして触れている指先の感触で、抱きしめている身体のぬくもりで、パーシバルには感じ取れた。だから、こそ。
「淋しいのか?」
首の後ろに当てていた手をそのまま彼の細い肩に移し、そのまま抱きしめた。腕の中に収まる細い身体は、きつく抱きしめれば壊れてしまうのではないかと思えるくらいに儚く感じた。
「それもあります。でもそれだけじゃないんです」
こうして抱きしめあえば互いの肌が触れる。そこから感じる命の鼓動が、クレインにはただひたすらに切なかった。今はこうしてこの鼓動を感じる事が出来ても、それを明日も感じられる保証はない。明日こうして、彼のぬくもりを感じられる保証など何処にもないのだ。
「ならばどうした?」
死ぬ事は怖くない。戦いで死ぬのは軍人としては当たり前だ。でも。でも目の前のこの人を。この人を失う事は何よりも怖い。
「…月が…綺麗だったんです。綺麗でずっと見ていたら…怖くなりました」
「月が怖い?子供のようだなお前は」
「まるで世界に独りぼっちになったような気がして…でも独りになった事が怖いんじゃないんです。僕は」
「クレイン?」
見上げる紫色の瞳はひどく。ひどく真剣で、そして真っ直ぐだった。何時もクレインはパーシバルに対してこうした瞳を向ける。それが私情を挟めない戦場であっても、この瞳を抑える事が出来ないほどに想いが溢れて。溢れてそして。そしてこうして零れてしまうほどに。
「僕が怖いのは…この世界に…貴方がいない事なんです……」
そして今も。今もこうしてひとりでは抱えきれないほどの想いを、パーシバルにぶつけてくるのだ。
「―――私達は軍人だ。戦いで死ぬのは、覚悟してのことだろう?」
「…僕が死ぬのはいいんです…でも僕は…貴方のいない世界にきっともう耐えられない…」
「………」
「…女々しいと言われてもいい…僕は貴方のいない世界で…もう生きていけない……」
きつく。きつく、クレインはパーシバルに抱き付いてきた。その身体を受け止めながら、パーシバルはどうしようもない程の愛しさと、そして。そしてどうにも出来ない切なさに、彼に対する返答が今は…出来なかった。こうしてその身体を抱きしめてやる事くらいしか。


「…抱いて…ください…確認したいんです…今…貴方が生きているという事を……」


クレインの言葉にパーシバルは何も言わずに、その身体を自らの下に組み敷いた。ベルベッドの極上の感触がクレインの頬に当たる。けれども次の瞬間には、それ以上の極上の唇と舌が、クレインの肌に与えられた。
「…あっ……」
薄い胸にパーシバルの舌が絡みつく。それだけで敏感なクレインの身体は小刻みに震えた。その反応を確認するかのように執拗にパーシバルの舌と指は胸の果実を攻めたてる。尖った胸を歯で軽く噛みながら舌先で突ついてやれば、クレインの口からは甘い吐息が零れた。
「…はぁっ…あ……」
クレインの手が宙をさ迷い、そしてパーシバルの髪に絡まる。彼の金色の髪はクレインの指先に極上の感触を与えた。その髪をくしゃりと、乱す。そうする事が許されるのが自分だけだという事が、何よりもクレインの心を満たした。こうして彼の髪に触れ、そして乱す事が出来るのだという事に。
「…パーシバル…様…あぁんっ……」
敏感な個所を執拗に攻められて、クレインの意識が拡散してゆく。それでも繋ぎとめるように名前を呼ぶのは、どんな瞬間でも彼を見ていたいという想いから来るものだった。どんな時でも、どんな瞬間でも、ずっと。ずっと見ていたいと想う気持ちだった。
「…クレイン……」
名前を呼べばどんな時でも、どんな瞬間でも、その紫色の瞳は自分へと向けられる。一途とも言える真っ直ぐな瞳。こんな風に彼は長い間自分を見つめ続けていてくれた事に自分が気付いたのは、つい最近の事だった。そしてそんな瞳を愛しいと想ったのも…本当につい最近の事だった。こんな風に抱きしめ、身体すらも奪いたいと想うほどに。
けれども一度気付いてしまえば、もう戻れなくなっていた。一度こうして抱いてしまったら…どんなに自分が彼を必要としていたか嫌という程に気付かされただけだった。
現に今も。今もどうしようもない程に愛しさで溢れている。こうして自分の手によって乱れてゆく姿すら…愛しくてたまらなくなっている。
「私にはお前の不安を永遠に取り除いてやる事は…軍人である以上、出来ないだろう」
「…パーシバル…様……」
「それでもこれだけは、約束しよう」


「…私はどんなになろうとも…最期の瞬間まで…お前を捜し続けると……」


誓いの変わりに貴方は僕に口付けをくれた。
ひどく優しく、そしてひどく切ないキスを。
その感触に睫毛を震わせながら、僕は。
僕はただひとつの事を、想っていた。ただひとつの事を願っていた。


…もしもその瞬間が来たら…僕も一緒に連れていって欲しい、と……


「…貴方が…好き……」
ずっと、好きだった。ずっとずっと。
「…クレイン……」
エトルリアにいた頃から、ずっと。
「…貴方だけが、好き……」
ずっと貴方だけを追い続けていた。


軍人になりたいと思ったのは、そうすれば少しでも貴方のそばにいられると…そう思ったから。


「約束、ですよ」
今怖いものが、なくなった。
「ああ」
貴方を失うくらいなら。それならば。
「約束しよう、クレイン」
僕も一緒に逝けばいいのだから。


――――そうすれば…何も怖くないのだから……


貫かれる痛みは、すぐに快楽へと摩り替わった。自ら脚を開き、その欲望を受け入れた。熱く硬いモノが体内に埋められ、満たされた悦びに声を上げた。
「…あああっ…ああ……」
腰を掴まれ揺さぶられるたびに、深紅の布が頬に当たる。柔らかいベルベッドの布が。そこに口許から零れる唾液が染みこんでも、それでも僕は声を上げ続けた。
伝えたかったから。感じている事を、貴方を感じている事を、伝えたかったから。
「…あぁ…もうっ…ああっ……」
粘膜から伝わる熱と硬さが、嬉しかった。貴方が求めていれているんだと感じられるこの瞬間が何よりも好きだった。自分だけが求めているんじゃないって、実感出来るこの瞬間が。
そして何よりも、生きているんだと。貴方がこうしてこの地上に生きているんだと感じられるこの瞬間が。
「…パーシバル様…好き…貴方が…好き……」
ずっと、繋がっていたい。本当はずっとずっと、繋がっていたい。ふたりの境界線がなくなるまで溶け合って、そしてぐちゃぐちゃになりたい。
「…クレイン…私もだ…何よりもお前が…」
貴方が好きだから。貴方だけが好きだから。だから全部。全部、僕は欲しい。貴方の名前の付くものは、全部僕だけのものにしたい。全部、全部。
「――――ああああっ!!」
こうして注がれる欲望の証も、僕の身体全てで、受け止めたいから。



汗でべとつく髪を、そっと撫でてくれる指。その指が、好き。
「…そう言えば…あの白い薔薇、どうしたのですか?…」
そしてこうやって。こうやって胸に顔を埋める瞬間が、好き。
「―――薔薇?ああ、この薔薇は賄いの娘がくれたものだ」
微かに薫る貴方の汗の匂いが。僕しか知らないこの貴方の雄の薫りが。
「相変わらずモテるんですね。やきますよ」
何よりも、好き。何よりも、大好きだから。ずっと、こうしていたい。


「お前以外に好かれても…私には意味がない」


耳元に降って来た言葉に少しだけ驚きながらも、僕は嬉しさを隠せなかった。そんな言葉を貴方から聴けるとは思わなかったから。そして何よりも。
「お前がいればそれでいい」
何よりもそっと。そっと僕に微笑ってくれた顔が。その顔が何よりも優しかった、から。



「その言葉…信じますからね…もう取り消せませんよ……」



その言葉を胸に僕はそっと瞼を閉じた。貴方の腕のぬくもりを感じながら。貴方の命の音を感じながら、僕は眠りに付く。



…何よりも安心出来る…何よりも大切な貴方の腕の中で……