指の隙間



やっと、分かった事がある。やっと、気付いた事がある。
ここまで辿り着くのに長い道があって、それを少しずつ進んでいって。
少しずつ前に進んでいって、辿り着いた場所。やっと、辿り着けた場所。


――――やっと私は、ここまで来る事が出来た。貴方のそばまで、来る事が出来た。



やっと気付く事が出来た。貴方の子供のような笑みの裏に隠されていたものを。何時も私の前で楽しそうに笑う貴方の奥に、隠されていたものを。
「…ロイ様…ごめんなさい……」
何時も笑っていてくれた。何時も微笑んでいてくれた。笑えない私に笑い方を知らない私に、淋しくない笑みを教えるために。楽しい笑みだけを、教えてくれるために。哀しい顔も、辛い顔も、苦しい顔も、全部。全部心の奥に閉じ込めて、私の前では笑っていてくれた。
「どうして謝るの?君は何も悪い事はしてないのに」
また、微笑う。どうしてそんなに貴方は優しいの?何時も、優しいの?私は何も貴方に出来なかった。私は何も貴方にしてあげられる事がなかった。失われた心を捜そうともせずに、ただ。ただこの里で静かに時間を過ぎてゆくだけ。
一生懸命私に話して笑ってくれたファですら、笑顔を返せなかったのに。どうしていいのか分からなかったのに。こんなに何も出来ない私を、ずっと。ずっと貴方は見てくれていた。ずっと貴方は微笑っていてくれた。
「…いいえ…私…何も…何もしていなかったから……」
気付けなかった。気付こうともしなかった。皆が私の為に懸命になっていてくれたことを。皆が私の為に優しさを注いでいてくれた事を。なのに何も気付かずに気付く事も出来ずに、こうやってただ。ただ時をぼんやりと過ぎてゆくだけだったのに。
「こんなに…皆が…私の為にしてくれていたのに……」
何時も私のそばで笑っていてくれたファ。少しの変化でも自分のことのように喜んでくれた彼女。村の人達も、長老も、何時も。何時も私を気にかけ優しくしてくれた。喋る事に不器用なソフィーヤも、私の為に色々なことを話してくれた。イグレーヌだって、厳しさの中に何時も暖かいものを与えてくれていたのに。

私はその全てに全く気付かなかった。気付く事が出来なかった。

心が空っぽだったから、と。確かにそれはいい訳になるかもしれない。何もないのだから、なにも感じないんだって。でもその中でも少しずつ、感じていたものはあったのに。私は内側から目覚め初めていたものを、否定していた。気付かない振りをしていた。それを知ってしまったら、何だか。何だか怖いような気がして。その気持ちに気付いた時に、忘れていたものが蘇ってしまうような気がして。怖くて、怖くて、前に進む事を自ら閉ざしていた。
「そんな顔しないで、やっと君に心が戻ったのに。皆、それを望んでいたのに」
そう、私は怖かった。独りになるのが怖かった。独りぼっちになって、淋しいと思うのが怖かった。その感情を思い出したくはなかった。
「…でもロイ様…私は……」
こんなにも廻りは暖かいのに。こんなにも廻りは優しいのに。こんなにも廻りは…光りに溢れているのに。私は独りじゃないのに。私は独りぼっちなんかじゃないのに。
「…私は…皆の気持ちを…ずっと踏み躙っていた……」
踏み出す勇気がなくて、前に進む勇気がなくて。怖くて怯えて閉じ篭っているだけで。それなのに皆は諦めずに私に呼びかけていてくれた。独りじゃないんだって、笑ってって、そう。
「踏み躙ってなんていないよ。だって今君はその事をとても哀しんでいる」
「…ロイ様?……」
「そうやって自分の、周りの人達の事をちゃんと考えている…君は優しい人だよ」
貴方はまたそっと。そっと微笑ってくれた。それは何時もの優しい笑みでありながら、もっと。もっと深い意味を持つ笑みだった。何よりも眩しい笑み、だった。



ずっと君を、見ていたよ。君だけを、見ていた。
君に笑ってほしくて、それだけを考えて。それだけを、思って。
君が失ったものをどれだけ僕が取り戻せるかは分からない。
それども君を、取り戻したかったんだ。君の心を、取り戻したかったんだ。

例え僕に出来る事が、ちっぽけな事でしかなくても。それでも君の為に、したかったんだ。

君が心から微笑える世界を。君が心から喜べる世界を。
種族も血も何も関係なく。身分も生まれも関係なく。
生まれてきた命に違いなんてないんだと。どんな命も同じように大事だと。
そんな世界を作る為に少しでも役に立てたらと。少しでも、出来たらと。


僕も、君も。人間も、竜族も。全ての命はかけがえのないものなんだと。



「こうやって他人の為に心を痛めることが出来る、それはとても大切な事なんだ」
「…ロイ様…私…私……」
「僕も偉い人間じゃないからこんな事を言うのは…恥ずかしいけど…でもね…イドゥン。それが一番大事な事だと思う。他人の為に自分が喜べる事が、哀しめる事が…優しくなれることが」
「…私は…私には…出来るでしょうか?…今まで皆の気持ちを…全然気付かなくって…当たり前のように享受していた私に…私に出来るでしょうか?」
「―――出来るよ…だって君は……」


「…君はこうやって…他人の為に…泣けるじゃないか……」


もしも世界中の人がほんの少しでいいから、廻りにいる人にほんの少しだけ優しくなれたならば。きっと。きっと争い事なんて起きないのに。
世界中の人達がほんの少し。ほんの少し他人の痛みを分かち合えたなら、きっと。きっと戦争なんて起きないのに。



触れる指先はとても暖かい。頬に触れる、指先が。
「…なーんて偉そうな事言っちゃったけど…僕もまだまだなんだけどね」
暖かい。とても、暖かい。零れる雫を拭ってくれる指先が。
「でもね、きっとそれが一番大切な事だと思う。皆が心を持っていて、そして自分と同じように感じるって事に気付ける事が」
この指先の暖かさと同じだけ、私の指も暖かくなりたい。そんな風に涙を拭える指になりたい。



「…私…優しくなりたい…皆が優しくしてくれたように…同じだけ…ううん…いっぱいの優しさを……」



私の言葉に貴方は微笑う。その笑みは本当の笑みだった。今分かった。今、気がついた。その中に哀しみも苦しみも隠されていない。本当に純粋な笑み、だった。
「――――やっと笑ったね、イドゥン」
だから今は。今は同じだけ貴方に微笑いたい。私の為に笑ってくれる貴方のために。同じだけ嬉しいと、ううん。ううん何よりも嬉しいんだって。


貴方のために、笑いたい。私のために、笑いたい。きっとそれは大切な事だから。



指の隙間からそっと零れてゆくもの。それを拾い上げてくれたのは貴方だから。
だから私も。私も貴方から零れ落ちるものをこうして拾えるようになりたい。



それが私の辿り着いた場所。辿り着けた場所。貴方のもとに、辿り着けた答え。