手を、繋ごう。指を、絡め合おう。
そうしてずっと。ずっと、手を繋いでいてあげる。
ずっと指を絡めていてあげる。君が。
君が寒くないように。君が淋しくないように。
――――僕が君に出来る事全てを。僕の命がある限り、全てを与えたいから。
抱きしめていてください。つま先から浸透する雪に、私が埋もれてしまわないように。冷たい雪に、埋もれてしまわないように。私を抱きしめていてください。冷たい雪が全身を包む前に、貴方の腕で引き上げてください。
暖かい貴方の手だけが。優しい貴方の指先だけが。それだけが、唯一私が知った世界だから。
空から降り積もる雪だけが、きっと。きっとふたりを見ていた。この真っ白な雪だけが、ふたりをそっと見ていた。
「ほら、イドゥン。雪だよ」
言葉を零すたびに口から零れる白い息が、静かに雪に溶けてゆく瞬間。多分世界で一番、優しい瞬間。
「…冷たいですね…でも……」
「でも?」
頬に髪に、睫毛に零れる白い雪。真っ白な、雪。少しずつ彼女を埋めてゆく雪。それを見つめながらロイは、そっと。そっと指先で髪に掛かる雪を払った。
「でも、綺麗…とても、綺麗……」
些細な事。ほんの些細な事。でも必要な事。でも大切な事。それを痛い程に感じているから、ロイはその動作を止めなかった。彼女の細い髪に触れ、そして雪を払う事を。
「うん、綺麗だね。とっても、綺麗だね」
ロイの言葉にそっとイドゥンは微笑う。それはとても静かな笑みだった。それはとても優しい笑みだった。こうやって少しずつ、彼女は前に進んでゆく。なくしたものをこうして少しずつ、取り戻してゆく。それはとても。とても、大切な事。
「でもイドゥン。君の瞳に映ってる雪が、一番綺麗だよ」
少しだけ照れたように告げるロイに、イドゥンは一瞬目を細めた。今ではこんな表情までも、見せてくれるようになった。こんな顔まで、してくれるようになった。それが何よりも。何よりも、ロイにとっては大切な事だった。
僕が出来る事。君に出来る事の全て。
それを全部。全部、君にあげるから。
全部君だけにあげるから。だから。
だから微笑っていて。ずっと、微笑っていて。
君が微笑っていてくれれば、僕はそれだけで。それだけでしあわせだと、言えるから。
冷たい雪がふたりを包み込む。しんしんと音を立てながら、包み込んでゆく。全てを白い世界が覆い、穢たないものを隠してくれる。今この瞬間だけは、穢れたものを隠してくれる。
戦争の傷跡や、癒える事のない傷や、焼かれた草や、枯れた大地を。今だけは、全部隠してくれるから。
「君の瞳に映るものが全て綺麗だったらいいのに」
人は再生をする。そうやって歴史は築かれてきた。戦争で失ったものを、人々はその逞しさと知恵と、そして何よりも『生きたい』と願う力で、取り戻してきた。そして今も、少しずつ。少しずつ戦争で失ったものを再生しようとしている。命を、光を、暖かさを。
「そうしたらもう誰も君を傷つけない」
彼女がこうやって少しずつ心を取り戻してゆくように。少しずつ、表情を取り戻すように。人は、世界は、再生してゆく。
「…いいえ…ロイ様……」
彼女の瞳の中から雪が消える。そしてロイの顔だけが映された。それだけが、映される。
「いいのです。私は傷ついても…ううん今まで傷つく事すらなかったのだから。だからそれも今の私にとっては必要な事なのです」
「―――イドゥン……」
「穢たないものも、傷も全部。全部、ありのままを見るのが私には必要なんです。それをひっくるめて、今の私があるから」
真っ直ぐな瞳だった。意思を持つ瞳だった。もう空っぽの瞳じゃない。硝子玉のようにただそこにあるものを映し出すだけの瞳じゃない。今ここに。ここにある彼女の瞳は。
「必要なんです。私にとっては、この世界が必要なんです」
彼女の手が、ロイの頬にそっと触れる。冷たい手だった。ひんやりとした手だった。それが何故かとても切なくて、ロイはそのまま自分の指先にその指を絡めた。絡めて包み込んで、そしてそっと。そっと、その手を暖める。
「…必要だから…ロイ様と出逢えたこの世界が……」
彼女の指がロイの指に答えるようにおずおずと絡まってきた。そして真っ直ぐに見つめていた瞳にそっと睫毛が降ろされる。その瞬間、繋がれた指先に静かにぬくもりが灯った。
冷たい手を、暖めたかった。ぬくもりを与えたかった。
世界が冷たくても、君を傷つけても。それでも僕の手は。
僕の手は君を暖めるためにあるんだと。君を包むためにあるんだと。
君に教えたくて。君に知ってほしくて。それだけを。
それだけを伝えたかった。どんな時も、どんな瞬間も、この手は君だけのものだって。
君が微笑ってくれる為ならばどんな事でもするから。
「…私は…貴方に出逢えたから……」
どんな事でもするから。何だってするから。だから。
「…だから全てを…受け入れたい……」
だから微笑って。だから微笑んで。君の笑顔が見たいから。
「…貴方に出逢う為に…与えられた運命を……」
僕に出来る事全てを、君に。君のためだけに与えるから。
「…イドゥン…ありがとう…生まれてきてくれて…ありがとう……」
抱きしめた。強く、抱きしめた。その細い身体が雪に埋もれてしまわないように。埋もれて、しまわないように。抱きしめて、そして。そして与え合うぬくもりが。こうして伝わる暖かさが、全部。全部、大切なものだから。大切な事、だから。
「――――君がこうして生きていてくれて良かった…君に出逢えて良かった……」
ふたりに降り積もる雪。ふたりを埋めようとする雪。でも冷たくない。でも寒くない。こうしてぬくもりが伝わっている以上。こうして暖かさを分け合っている以上。
「…ロイ様…私……」
ふわりと揺れる髪。そっと見上げてくる瞳。そっと微笑う、瞳。その全てが。その全てが、何よりもの。何よりもの、もの。
「うん?」
大事なもの。大切なもの。かけがえのないもの。この腕の中にある小さな命が、何よりものかけがえのないもの。
「…しあわせです……」
何よりも、愛しい。何よりも、尊い。そして何よりも、護りたいと願うもの。
「…しあわせ、です…ロイ様……」
絡め合う、指。繋がった、手。分け合うぬくもり。
淋しくない。ひとりじゃない。ひとりぼっちじゃない。
どんな時も、どんな瞬間も。この手は。この指先は。
……私を包み込み、そして私を…抱きしめてくれる……
何でもする。どんな事でもする。
僕にできるすべてを。僕のすべてを。
君にあげる。君だけにあげるから。
だから微笑っていてください。ずっと、微笑っていてください。