Stars



見上げた夜空から星が零れてきそうだったから、そっと。そっと手を伸ばした。


何時も俯いていたから。何時もそうやって下を向いて、進んでゆく時の流れを確かめないようにして。こうやって俯いて、通りすぎてゆく別れに少しでも。少しでも胸が痛くないようにと、自分を護っていた。自分よりも後から生まれて、そして先に死んでゆく人達を。こうやって俯いて少しだけ現実から目を反らすことで、哀しみから逃れようとしていた。


「――――ソフィーヤ、ここにいたのかよ」


背後から呼ばれた声に、振り返る。そこにある顔に私は自然と微笑った。笑う事すら忘れてしまうほどに、何時も。何時も自分だけの世界に閉じ篭っていたのに。そんな私を貴方は強引に連れ出そうとしている。その手で。その優しい手、で。
「…レイ……」
ずっと里の中で生きてきた。私の身体を流れる血は半分竜の血が流れている。そのせいで人よりも成長が遅くて、そして人よりも長生きをする。自分よりも後に生まれた赤ん坊が私よりも大きく大人になってゆくのを、ずっと。ずっと私は見てきた。
里の中で一緒に遊んでいた女の子達は、今はもう。もう自分の子供を産んでその子供が私と同じくらいに成長している。
「バーカ、こんな夜に独りでほっつき歩いてたら…危ねーだろうが」
そんな事がずっと続いている。私の中の血が消えない限りずっと続いてゆく。それが淋しかった。それが、淋しい。私は怖いの。ひとりぼっちになるのが怖いの。だから俯いていた。だから少しだけ本当の所から視線を反らしていた。認めたくないものがそこにあったから。でも。
「…星が…綺麗…だったから……」
でも今。今私の目の前に向けられる瞳が。不器用で、でも本当は誰よりも優しい瞳が。この瞳が私を、上へと向かせた。私に上を向かせる。見たいから。見たいと、思ったから。俯く事よりも、現実から逃れるよりも、私は。私は貴方を見ていたいとそう思ったから。
「綺麗だったから…見たいなって思ったんです……」
そんな私に呆れたような、けれどもほっとしたような表情を浮かべる。それが嬉しかった。それが、嬉しい。こんな事を言ったら貴方は呆れるかもしれないけれど、こうして私を貴方が捜してくれた事実が。こうして貴方が私を見つけてくれた事が、何よりも嬉しい。
「だったら誰かに声を掛けて行けよ…つーか女が独りで危ないだろうっ!」
怒っている貴方。でも私には見える。貴方がその言葉の裏でどんなに私の事を心配していてくれたか。心配してくれているか。それに気付いたから私。私、泣きたくなるくらい嬉しい。
「…ごめんなさい…レイ……」
ごめんなさい、レイ。こんなに貴方を困らせて心配させたのに、私は嬉しいという気持ちが勝ってしまう。嬉しくて、どうしようもなくて。
「…ち、そう素直に謝られたら何も言えねーだろっ!」
「…でも…レイに迷惑を掛けてしまった……」
何時も怒ったように私に言ってくる貴方。でもその言葉から、滲み出てくる暖かさを私は決して見逃したくない。見逃したくないから、だから見ていたい。貴方をずっと、見ていたい。
「迷惑なんて掛けてねーよ…お前の事なら俺は……」
見ていたいの。貴方をずっと。この先私よりも大きくなって、そして私よりも先に死んでしまっても。私は全部。全部見てゆきたいの。貴方という存在を、ずっと。ずっと、ずっと。


貴方の事ならば、私はどんな胸の痛みも哀しみも、感じたいから。


怖くて目を、背けてきた事も。苦しさに耐えきれず、俯いてきた事も。その全部を今はちゃんと受け止めたい。私という存在全てで受け止めたい。今こうして生きて、そして私の目の前にいる貴方を、全部。全部ちゃんと、見ていきたい。どんな事でも、全部。全部、欲張りなくらいに。


生きて、そして動いている貴方を。笑って、そして怒っている貴方を。



「…レイ……」
少しだけ戸惑って、けれどもそっと手を伸ばした。
「…迷惑なんかじゃ…ねーよ……」
伸ばした私の手に、貴方の手が触れる。そっと、触れる。
「…だから…こんな時は、さ……」
冷たい指先だった。ひんやりとした指先だった。でもそれが。
「…俺を呼べよ…一緒に……」
それが私をこうして捜してくれていた証拠だから。この冷たさが。
「…一緒に星…見てやんからよ……」
この冷たさこそが、貴方の心の暖かさだから。


貴方の手を両手で包み込んだ。そしてそのまま私の頬に重ねる。
少しでも冷たい貴方の指先が暖まるようにと。



「…でも貴方と星を見たら…私は星よりも…貴方ばかり見てしまう………」



頬に触れている貴方の指先が微かに震えているのが分かった。その振動と同じだけ、私の心も震えているの。ううん、もっと。もっと震えているの。
「…ソフィーヤ……」
綺麗な瞳。どんなに自分をぶっきらぼうに見せても、その瞳の輝きだけは絶対に隠しきれないから。どんなものよりも純粋で、どんなものよりも綺麗なその瞳を。
「…ずっと…レイばかり…見てしまうから……」
見上げる事が出来て、よかった。俯く事を止めて、よかった。こんなに大切なものが、こんなに綺麗なものが、こうして見る事が出来るから。こんなに優しくて、こんなに暖かいものが。
「…そんな事言うなよ…俺…何て言えばいいのか…分かんねーだろ……」
「…レイはレイのままでいい…私はそんな貴方が好きだから……」
この血を呪った事もあった。自分という存在を嘆いた事もあった。でも今は。今はとても感謝している。自分という命をこの世に授けてくれた事に。自分という存在がここにこうして存在している事に。こうして貴方と出逢えることが出来たから。貴方に、出逢えたから。


――――私は生まれてきたよかったと、心から思える。


頬に触れていた手が、指に絡まって。そしてそのまま。そのまま引き寄せられる。少し強い力で、でもとても優しい腕で。
「…レイ……」
不器用に髪を撫でる手。触れ合っている指先の熱さ。閉じ込められた胸の鼓動の早さ。その全部が、私は。私は…。
「…こんな時はちゃんと顔見て言わねーといけないんだよな…でも…わりー…俺今はお前の顔…まともに見れねー…でも……」
私は、嬉しい。何よりも、嬉しい。貴方からこうして伝わるものが、全部。全部、泣きたいくらいに嬉しいものだから。


「…でも俺も…お前の事…その…ちゃんと…好き…だからな……」


「…うん…レイ…好き…貴方が好き……」
「…ソフィーヤ……」
「…こうして声に出して言えるのが…嬉しいの…好きだって…言えるのが……」
「…俺も…俺も…本当にお前が…好き、だからな…」
「…うん…レイ…うん……」



見上げた星よりも、こうして。こうして目の前にある星が。
私の目の前にある星が、何よりも大切だから。どんなものよりも、大事だから。



「…ずっと…好き…私はずっと…貴方を見ている……」