見上げた空から零れる白い雪が、そっと。
そっと指先に降りてきた。ひんやりと、冷たい雪が。
「―――雪、初めてか?」
空を見上げていたら背後から少しぶっきらぼうな声が聴こえてきた。でもその中に含まれる暖かいものを、私は知っているから。そっと暖かいものを。
「…里には…雪なんて降って…いなかったから……」
ゆっくりと振り返ればそこには想像通りの不器用な瞳があった。それが何よりも嬉しかった。それが、何よりも嬉しい。どんな表情をすればいいのか分からず…不器用になってしまう貴方が私は好きだから。
「そっか、そうだよな…砂漠に雪なんて降んねーもんな」
視線を合わせたら、困ったように少しだけ外される。その頬が微かに赤くなって、それを隠すために指でぽりぽりと頬を掻いた。そんな些細な仕草でも私は、見ていたい。ずっと、見ていたい。小さな事でも、本当に何でもないことでも。
「なら寒みーだろ、こんなトコ突っ立ってたら」
「…寒くない…綺麗だから……」
外した視線がもう一度私へと向けられる。それは本当に私を心配してくれている顔だった。不器用で意地っ張りだけど、こんな時は本当に。本当に自分の気持ちを見せてくれる。照れという感情よりも、優先される貴方の想い。貴方の、気持ち。
「雪、綺麗だから」
雪が落ちて体温がそれを溶かしてゆく。指先が濡れて少しだけ痛みを伴った。そんな私に気付いて貴方はそっと。そっと手を伸ばし私の手を包み込んでくれた。
真っ白な雪。一面の雪。大地に降り積もる雪。
今まで知らなかったもの。知らなかったものを。
貴方とこうして見れる事。貴方と一緒に見れる事。
それはどんな事よりも。どんな事よりも、嬉しい。
「―――冷てーよ…手……」
うん、冷たかった。雪はとても冷たかった。
「どんくらいココにいたんだ?」
でも今は冷たくないよ。冷たくないの。
「…分からない……」
だって貴方の手が、貴方の心が、とても。
「ってお前は…馬鹿か…あんま……」
とても、暖かいから。とても、優しいから。
「……心配…させんなよ……」
外に出るのは怖かった。ずっと里の中で生きてきたから。それ以外の世界を知らない。それ以外の場所を知らない。私にとっての世界はこの小さな空間だけだった。だからそれ以上の事は知りたくなかった。知ってしまったらきっと。きっと、自分は耐えられなくなってしまうから。
私よりも沢山の人が先に死んでゆく。私は必ずさよならと見届けなくてはならないから。
でも、貴方に出逢えた。怖いと思っていた外で。
「…ありがとう…レイ……」
貴方に出逢う事が出来た。誰よりも優しい貴方に。
「…ってお前が馬鹿だからだろーがっ……」
優しい人。不器用な人。素直じゃなくて、意地っ張りで。
「…ありがとう……」
何時も損ばかりしているけれど。本当は誰よりも、ずっと。
「…大…好き……」
ずっとこころが、あたたかいひと。こころが、やさしいひと。
貴方に出逢えて初めて、言える。生まれてきて良かったって。貴方に出逢えたから、心から言える。私という存在を好きになれたって。
淋しかった。ずっと、淋しかった。本当はずっと。
「…あ、…い、いきなり…言うなよ…そんな……」
私より後に生まれた人達が先に大きくなってゆく。
「…びっくり…するだろ……」
先に大人になって、私を追い越してゆく。そして。
「…と…あ、…えっと……」
そして私よりも先に死んでいってしまうから。それを。
「…えっと…その…俺も……」
それをずっと見てゆかなければならないのは辛かった。
「…俺も…その……」
でも貴方は。貴方は見てゆきたいの。ちゃんと、見てゆきたいの。
「……好き…だよ………」
どんな貴方でも見てゆきたい。全部、全部、見てゆきたいの。小さな仕草でも、些細な動作でも、どんな僅かな事でも。見逃したくないの。貴方のひとつひとつを、見逃したくないの。
わざとぶっきらぼうに、照れを隠しながら言う所も。不器用な優しさも。いざと言う時に見せる男らしさも、全部。全部、大好きだから。
貴方が好きだという気持ちが、少しだけ私を強くしてくれた。そして私を、いっぱいしあわせにしてくれた。
貴方がくれたものは、ほらこんなにも。こんなにも抱えきれないくらいたくさんあるの。
雪はまだ降っている。地上に降り続ける雪。大地を覆う白い雪。冷たくて、でも。でも何処か暖かさを感じる雪。きっとそれは貴方と見ているから。二人で、見ているから。
「…レイ……」
繋がった手が少しだけ体温が高くなった気がする。指先から伝わるぬくもりが、深くなった気がする。それは。それは、気のせいじゃないよね。
「―――ソフィーヤ……」
名前を呼んで見上げた先の瞳はやっぱり不器用な瞳だった。でも好き。好きだから。私にとっては一番大事なものだから。
「…ずっとなんて約束よりも……」
「…うん……」
「…俺には…こっちの方が…らしいよな……」
不意に風が通り抜けたと思ったら、その腕に抱きしめられた。抱きしめられて、そして。そして唇が、重なって。
「―――ぜってー一緒にいるかんな…お前と……」
地上に降る雪は何時か溶けて水になり、空へと消えてゆく。けれどもこうして、今。今ふたりが見ているものはこの瞼に焼き付き、胸の奥に降り積もってゆく。それが記憶になり想い出になっても、心から消える事はない。消える事は、ないから。
「…うん…絶対…だね……」
だから見てゆく。貴方だけを、見てゆく。私にとっての『貴方』を、ずっと見てゆく。