花びら



口に咥えた花びらが、風に飛ばされ消えてゆく。


二人の間を通りすぎる風は、嫌になるほどに爽やかでそして心地よいものだった。その風がツァイスの紅い髪を揺らして、そのまま落ちてきた花びらに絡まった。
「空蒼い、ね」
ぽつりと呟いてから目の前にある無表情な顔を見つめる。もういい加減慣れてしまったけれど、時々。時々無性にその顔が微笑うのを見たくなる瞬間がある。
「ああ」
それでもこうしてそばにいて、声を聴いて顔を見つめていられるならば。見つめていられる、ならば。それだけで満たされている自分がここにいるのも否定できない。

どんな顔でも、どんな表情でも、コイツが好きなんだと…自覚する瞬間。

「こんなに蒼くてさ、綺麗だと戦争しているとかそう言うの忘れちまうよな」
ひょいっと身体を乗り出して、ツァイスは目の前の彼の距離を縮めた。そんなツァイスにやっぱり無表情のまま。本当に顔色一つ変えずにシンは、彼を見下ろして。
「―――付いているぞ」
そう言って髪に絡まっていた花びらを、取ってくれた。



どうしてだとか、最初に考える前に。
何でだろうと、次に考える前に。もう。
もう気付いたら好きになっていた。
無茶苦茶にこいつの事、好きになっていた。


――――ただ好きで好きで、どうしようもなくて……


「…シン……」
そのまま両腕を伸ばしてしがみ付いた。
「キスして」
その背中に手を廻して、漆黒の瞳を見つめながら。
「―――発情したか?」
この瞳に映っているのがずっと自分だけならばいいな。
「…うん、した。だからして、キス……」
ずっと、ずっと、自分だけ映してくれたらいいな。


口許にひとつ溜め息を零して、そのまま。そのまま塞がれる唇の感触に眩暈すら憶える。



触れるだけのキスを何度も繰り返した。本当はもっと深いものが欲しかったけれど。でも今はそれよりも。それよりもこうして触れられる事が、ツァイスにとっては大事だったから。
「…お前の顔、好き……」
唇が離れる合間、ツァイスはずっと告げていた。濡れる唇から、何度も何度も。好きだって、告げていた。好きだと、告げている。
「…目も、好き…髪も…声も…好き……」
優しいキスだった。思いがけず優しいキスだった。唇を何度も触れるキスは、普段の彼からは想像出来ないほどに優しくて。優しい、から。だからふとツァイスは泣きたくなった。

泣かなかったけれど、ひどく泣きたくなっていた。


好き。全部、好き。大好き。
「それだけか?」
その声が、好き。その瞳が、好き。
「…違う…もっと……」
髪の色も、指の形も、手のひらのぬくもりも。
「…もっと…いっぱい…好き……」
お前と名の付くもの全てが、好きだから。
「…お前の全部が…好き……」


何時も思う。言葉なんて足りないと。
思いを全部伝えるのに、言葉は足りないと。
どうして『想い』を見せられないのかと。
こんなに溢れて、そして零れてゆく想いを。



「――――お前だけが…好き…シン……」



頭上から降って来た花びらを、ツァイスは手のひらで受け止めた。そしてそのひとひらを自らの口に咥える。桜色の花びらを咥えて、そしてただ一人の相手を見上げる。
その花びらがひどく。ひどくシンの瞳には鮮やかに映った。瞳に焼きつく程の、鮮やかさで。


「――――ツァイス……」


そのまま花びらを奪った。ツァイスの唇から、自らの唇へと奪って。
そしてそのまま。そのまま貪るように口付けをした。触れるだけじゃない、激しい口付けを。
こめかみが痺れて、唇が痺れて。そしてもつれ合う舌の感触だけがただ。


―――ただふたりの五感を埋めた……



奪いたかった。ただ、奪いたかった。
お前と名の付くものは、お前が触れているものは。
全て俺が奪いたかった。例え花びらでも。


…お前の全ては、俺のものだ…ツァイス……



「…シン…好き……」
激しい口付けでも、零れる言葉は変わらない。
「…お前だけが…好き……」
吐息すら全て奪っても、お前から零れる言葉は。
「…好きだ…シン……」
何も、何も、変わらない。


――――それだけが、俺を満たした。それだけが、俺を満たす。




「…ああ…ツァイス…お前は俺のものだ……」




本当は捕われているのは俺のほうなのかもしれない。
こうして腕にお前を絡め取りながらも、俺は。俺のこころは。
こころはお前と言う存在によって。お前の存在が。



――――何時しか、深い楔となって俺のこころに突き刺さっているのに気付いたから。