月光



――――月の光が、少しだけ俺を狂わせる。


真っ赤な髪が血のように鮮やかに瞳に焼き付いて、そのまま。そのまま掴んで、自分へと引き寄せた。けれどもその瞳は、子供のように微笑う。乱暴に、引き寄せたのに。強く、掴んだのに。
「…シン……」
普段は本当にただのガキだ。図体ばかり大きな、ただのガキ。俺にとってそんな印象しか残らない相手なのに。なのに、今は。今はまるで、別の生き物のような表情をしている。背筋がぞくりと、する程に。
血のような真っ赤な髪と、無垢な瞳。そして自分を誘うように開く唇がひどく艶やかで。それが妙に。妙にアンバランスで、ひどく似合っているような気がして。
「―――シン、大好き」
何時もバカみたいに繰り返されるその言葉も、今は。今は何処か歪んで聴こえた。それは全て。全て頭上の月のせいだろうか?ひどく蒼く見える月の光のせい、だろうか?


月が少しずつ俺を、狂わせてゆく。内側から狂わせてゆく。


決して滑らかでも、細くもない指が。その指先が、俺の頬に絡みつく。
「…なぁ、してよ…シン……」
睫毛が触れ合うほどの距離で、そっと。そっと吐息が触れてくる。
「俺、我慢…出来ない……」
血のような瞳が、滲むように潤んで。少しずつ染み出てくるものが。
「…な、シン……」
少しずつ俺を歪め、少しずつ俺を侵してゆく。


――――初めて、俺はお前を怖いと思った。初めて、俺はお前に怯えた。


強引に髪を掴み、そのまま唇を塞いだ。濡れた唇はすぐに誘うように薄く開かれ俺の舌を招き入れる。その余裕が気にいらなくて、吐息を全て奪う程に強く。強く唇を貪った。
「…んんっ…ふっ……」
小刻みに震える身体を薄く目を開けて確認しながら、その場に押し倒す。まだ夏の匂いの残る草の上に。その涼しげな匂いが一瞬鼻孔を掠めたが、それは直に目の前のねっとりとした唾液の甘さに打ち消されていった。
「…はぁっ…ふぅ…んん……」
何時しか俺の背中に両腕が廻される。髪に指が絡み強引に俺を引き寄せてきた。もっと、して欲しいと。もっと深く、キスをして欲しいと。だからわざと、唇を離してやった。
「―――本当にお前は淫乱なガキだな」
何時もお前の望むものは、簡単には与えてやらなかった。それでもお前は俺から離れない。優しくしなくても、自分の欲望のままに身体を扱っても。どんなことをしても、お前は俺から決して逃げない。
「…シンの前でだけだよ…こんなになるの…お前だからだよっ……」
潤んだ瞳で声を一瞬詰まらせながら、それでも必死に訴えてくる。こんなにも分かりやすい相手は今までいなかった。こんなに素直に気持ちをぶつける相手を知らなかった。こんなにも真っ直ぐに、自分に向かってくる相手を。
「俺がそんなにも好きか?」
「好きだ。誰よりも、お前が好きだ」
初めはそれをうざいと思っていた。けれどもどんな事をしても俺に向かってくるお前を、何時しか俺は受け入れるようになっていた。そして気付けば、それを望むようになっていた。そして。そして……。
「ならば俺から奪え。お前が欲しいだけ、俺を奪え」
そして俺は、今。今初めてお前に怯えた。今初めてお前を怖いと思った。今、気付いたから。今、気付かされたから。


俺にとってお前はもうどうにもならないほど、心の奥底まで食い込んでいた存在なのだと。


柔らかい髪が、俺の顎を掠めた。そこから薫る匂いは、微かな汗とほのかな甘い薫り。それが入り混じって、ひどく欲情的な匂いになった。
「…んっ…んん……」
ざらついた舌が俺の首筋を滑り、鎖骨を辿った。まるで犬のようにぺろぺろと俺の身体を舐める。そのたびに揺れる髪が肌や顔に当たりひどく、くすぐったかった。
「…ふ…んっ…シ…ン…っ……」
何もしてやらなかった。愛撫もキスも。それでも必死になってお前は俺の肌に唇を舌を、合わせる。何時しか態勢は逆転して、お前が俺の上に被さる格好になっていた。
「…シン…俺の……」
お前の手が俺自身に辿り着くとそのまま起立し始めた分身に触れた。慣れない手つきで、俺のソレに必死で愛撫する。はっきり言ってへたくそだった。それでも夢中で指を這わせてくる。普段俺がしてやっているように。
「へたくそ―――普段自分でヤッてねーのかよ」
「…ご、こめん…シン…俺……」
俺の一言で誰が見ても分かるくらいに落ち込むのも。そんなお前を憐れだと思って髪を撫でてやればバカみたいに喜ぶのも。全部、全部が。
「手はいいから、口でやれよ…ほら……」
「―――んっ!んんんっ!!」
再び髪を掴むと強引に自身を咥えさせた。その大きさに一瞬喉を詰まらせるが、それでもお前は必死になって俺を飲み込んだ。苦しそうに目尻から涙を、零しながら。
「…んんんっ…ふぅ…んんん…っ……」
へたくそなりに必死で舌を使って、俺をイカそうとする。苦しさに噎せ返りながらも、夢中になって。どんな時でも、どんな瞬間でも。お前は俺に関しては、何時も真っ直ぐだ。何時も、懸命だ。―――どうしてだ、と俺が考える間もなく。

お前は一直線に俺に向かってくる。剥き出しの心を真っ直ぐに俺に向けてくる。



お前が俺の中に入ってくる。俺を狂わせてゆく。
今まで知らなかった想いが、俺の中に沸き上がり。
そしてそれを、止める術を俺は知らない。


無茶苦茶にして、ぼろぼろにして。それでもお前は。お前は俺を好きだと…言ってくれるのか?



「―――ひっ!ああああっ!!」


唇をソレから引き剥がすと、そのままお前の身体を押し倒した。そしてまだ準備すらしていないお前の器官に自身を突き入れる。乾いたままの、その器官に。
「…ひぁっ…あぁぁ…シンっ…痛っ…!……」
慣らさず挿れたソコは処女のようにキツかった。ぐいぐいと締め付けてくる内壁を強引に抉じ開け、奥へと身を進めてゆく。そのたびに痛みで身体が跳ね、繋がった個所からどろりとした血が零れて来た。真っ赤な、血。お前の髪と同じ色をした血が。
「…あぁぁっ…痛い…痛いよぉ…シン…っ……」
「痛いのか?だったら抜いてやるよ」
そう言って身体を引き剥がそうとすれば、脚に腰が絡みついてきて俺を離さなかった。目尻からはぽたぽたと涙を零しながら、それでもお前は必死に俺を咥え込む。血を流しながら、俺を受け入れる。
「…やだっ…抜くなっ…やだっ……」
「痛いんだろう?」
「…痛くっ…ないっ…だからっ…だからっ!……」
震える手で俺にしがみ付いてくる。苦痛に歪む顔で、俺を必死に求めて来る。そうだ、どんなことをしても。どんな風に扱っても、お前は俺を…求めて来る。
「…そんなに俺が…好きか?……」
繰り返し聴いていた。今思えば俺はこの質問を、繰り返し。何度も何度もお前に問い掛けていた。まるで確認するように。お前の気持ちを、確認するように。
「…好きだ…好きだから…お前だけが…好きだから……」
そうだ、確認しているんだ。俺はこうやって。こうやってどんなことをしても、お前が。お前が俺を好きでいるかを。好きで、いてくれるかを。こうやって、俺は。
「…好きだ…シン…お前だけが…だから……」
お前を怖いと思ったのは。お前に怯えたのは。それはお前という存在が俺の中に食い込んでいる事よりも。それよりも、俺は。
「――――俺も…だ…ツァイス…俺も……」
俺はお前が何時しか俺の元を離れるのではないかと、真っ直ぐな思いを向けられなくなるのかと。そうだ…俺はお前を失うことに怯えているんだ。お前を失うことが怖いんだ。



今まで欲しいものなどなかった。執着したものなんてなかった。
何時も自分などどうでもよかったから。本当にどうでもよかった。
こうして自分が生きているのは、ただ。ただ部族の為だけで。
滅ぼされたサカ族の誇りの為だけだったから。それ以外はどうでもよかったから。
だから『自分自身』の事なんて、本当に。本当にどうでもよかったのに。

なのに今は、怯えている。なのに今は、怖いと思っている。

初めて失いたくないものが。初めて自分から執着したものが。
今ここにあって。今自分の腕の中に在って。けれども。
けれども俺は分からない。分からないんだ。どうやったら。
どうやったらそれをずっとそばに置いておけるか。どうすれば。
どうすれば、それを確認出来るのかを。どうすれば、ずっと。


――――ずっとお前が俺の、そばにいてくれるのかを……



だからこんな風に、扱ってしまう。こんな方法でしか確かめる術が分からない。こんな風にしか、お前を抱けない。
「…あああっ…あぁぁっ!!」
意識をなくすほど乱暴に扱って。壊れるほど中を抉って。感覚が痺れるほど欲望を吐き出して。それでも。それでもお前が俺を『好き』だと言ってくれる瞬間しか。
「…シンっ…シンっ…あぁぁぁっ!!」
俺はお前の気持ちを、確かめることが…出来ないんだ。



「…好き…シン…お前が…すげー…好き……」



―――気付いているかな?お前、気付いている?

お前の瞳が、すげー苦しそうなの。苦しそうなの、気付いている?
こんなに無茶苦茶に俺扱うくせに。ヤリたい放題ヤリまくってんのに。
なのにお前の瞳が、すげー苦しそうだから。だから、俺。
俺さー、何時も。何時も考えている。何時も思っている。どうしたら。
どうしたら、お前の瞳が穏やかになってくれるかって。どうしたら。
どうしたら、お前の瞳が微笑ってくれるかって。何時も、考えている。

でもその前に大抵意識が飛ばされちまうんだけどな。


俺、知ってるから。お前の瞳がすげー優しいって事。
多分知ってるの俺だけだから。俺だけの秘密だから。
あの瞳が本当のお前だって、分かっているから。だから、さ。
だから俺どんなことされたって平気なの。何されてもいいの。
だってお前は本当に苦しそうな瞳で俺を抱いて、そして。
そして誰よりも優しい瞳で、俺を見てくれるから。


何時も、一瞬だけ。一瞬だけ、優しい瞳してくれる。
気を失う前、好きだと言うその瞬間。


それを知っているのは俺だけだから。絶対に俺、だけだから。
だから離れない。どんなになっても、絶対に俺はお前から離れない。



月明かりがお前の横顔を照らす。気を失って微かに白く照らされた顔を。血のような真っ赤な髪を。
「―――ツァイス……」
その髪に指を絡めて、そのままひとつ唇を落とした。そこから広がる微かな薫りは、やっぱり汗と甘さの混じった匂い。この匂いを知っているのは俺だけだという事が、ひどく。ひどく俺の心を満たした。嫌になるくらいに俺を、満たしていった。




…月の明かりよりも、本当は。本当はお前が俺を、狂わせるのだろう……