種を蒔く人



不思議と戦場にいる時の方が、今は安らぎを覚えた。こうして何も考えずにただ戦い続ける事が、頭を空っぽにして戦い続ける事が。そうして身体がボロボロになって、やっと。やっと夢すら見ずに眠れる夜が来る。


――――何処にも、ないから。もう何処にもないから。包み込んでくれるその腕は、何処にもないから……。


頭上から零れてくる光の眩しさに、ミレディは思わず瞼を閉じた。けれどもその光はこうして目を閉じても残像として瞼の裏に消えない光を作る。消したくても消えないものを、作り出す。
「………」
諦めたように瞼を開き、周りの景色を見渡した。戦いは小康状態を保ち、かりそめの平和な時間がしばらくの間続いていた。それを現わすかのように瞳に映し出された世界はひどく穏やかなものだった。穏やか過ぎて、苦しくなるほどに。
「…眩しいわね……」
呟いた言葉に意味はない事はミレディが一番分かっていた。心の奥に湧き上がってきてしまう思いから逃れる為に、呟いたに過ぎないのだから。そう、この心の奥に決して消える事のない棘から逃れる為に。

けれども決してそれから逃れられる事のない事も、また自分は知っている。

どんなに心を閉じ込めようとも染み出して来てしまう想い。後悔という言葉は自分にはないと言い聞かせても、どうしても。どうしても自分が手放してしまったものの大きさを否定出来ないから。自分の進んだ道に間違えはないと胸を張って言うは出来る。けれども。けれどもその為に支払った代償はあまりにも大きくて。
「…戦いたいな……」
戦っていれば、全てが忘れられる。何も考えることなく、考える暇もなく、ただ生きる為だけに戦っていれば。思考が入る隙間すらないほどに、感情など何処にも付け入る隙がないほどに、戦っていられれば。
「…戦い……」
再び呟いた言葉は無意識だった。無意識に零れた言葉だった。思考する事を否定した自分が零したどうしようもない無意味な言葉。けれどもそれは――――最後まで言葉として零れる事は、なかった……。


「物好きだなあ、あんたは」
この穏やかな景色に溶け込む程ののんびりとした声が背後から聴こえてきて、思わずミレディは言葉を止め振り返った。振り返って、そして少しだけ後悔した。自分の表情がひどく硬いまま、振り返ってしまったから。
「戦いたいなんて、あんた本当に物好きだなあ」
「トレック殿…何時から……」
「ついさっきだよ。ここ最近お気に入りの昼寝の場所なんだ」
聴かれたくなかった呟きを聴かれてしまったことへの後ろめたさなのか、それとも別の感情から来るものなのか、ひどく複雑な感情がミレディの中に生まれる。その感情を抑える事が出来ずにひどく強張った表情のまま見返したが、相手は気にすることなく何時もののんびりとした顔のままその場に座った。
「ここは暖かくて芝生も柔らかい。眠るのに最高の場所なんだなあ」
「…そうですか……」
「あんたもどうぞ」
何だか居たたまれなくてその場を去ろうとしたら、ぽんぽんと芝生を叩かれて座るように促された。断る事も出来ずに、ミレディはトレックの隣に腰掛ける。
「あんたなんか眠たそうだから、ここで寝るといいよ」
「私が眠たそうですか?」
予想外の言葉だった。あの日以来ぐっすりと眠れた日々なんて数えるほどしかない。それも全て戦いに疲れ果て肉体が限界を迎えた時だけだ。自分はもう物理的にしか眠る事が出来なくなっていた。
「うん、そう見えるよ。ぐっすりと眠たそうだ」
「…それは当たっているかも…しれませんね」
「だったら寝ればいい。ここは暖かいから気持ちいいと思うんだがなあ」
そう言っている相手の方が眠たそうだった。今にも瞼が閉じられようとしている。その横顔を見ていたら、何故だろう?何故か、ふと…。
「…トレック殿……」
「ん?何だい?」
「以前貴方は私に言いましたよね『ひょっとして ベルンに大切な人がいたんじゃないかなーとか』って」
「あ、そんな事も言ったっけたなあ。でも俺のカンだから外れたんだよなあ、確か」
何処までも穏やかな口調。その声を聴いているとひどく自分がちっほけな存在に思えた。けれどもそのちっぽけさが今は何故か救われた。自分の心の想いすら何だかちっぽけなものに思えて。だからだろうか?だからなのだろうか?
「…あれ…本当は…当たっています……」
こんな風に。こんな風に胸の奥に必死になって閉じ込めた想いを、吐き出したいと思ったのは。こうして言葉にしてしまいたいと思ったのは。
「…私はギネヴィア様とともにある為に…大切な人と別の道を歩みました…ベルンを捨てる事は…あの人との別れでした……」
こうして言葉にしてもどうにもならない事だけど。言葉にしてもどうする事も出来ないけれど。それでも。それでも、溢れてしまった想いは止める事が出来なくて。
「私が選んだ道に迷いはない筈なのに…それなのに私は考えてしまう…あの人のことを…覚悟してここまで来た筈なのにっ!」
好きだという想いだけではどうにもならない事がある。気持ちだけではどうしようもない事がある。それは嫌というほどに分かっていた筈なのに。嫌というほどに理解していた筈なのに。それなのに気付けばこんなにも。こんなにも、自分は……。
「んーそれでいいんじゃないかなあ?」
「…トレック殿?……」
「そうやって悩んで迷うのが人間なんじゃないかなあ。あんたが大切な人と別れて悩まない人なら、それは『大切な人』が気の毒だ」
「――――」
「だからあんたが納得するまで悩んで、そんで答えを出せばいいんじゃないかなあ?」
「…トレック殿……」
「あんたの大切な人なら、きっと誰よりもあんたのことを分かってくれているのだろう?それならばあんたの出した答えも納得してくれるだろう」
ふわりと暖かい空気が廻りを包み込む。不思議だった。さっきまで眩しい日差しが苦しかったのに、今は。今はそれがひどく暖かく優しいもののように感じる。そうまるで、今目の前の相手のようにひどく暖かいものに。
「…貴方と話していると…私は何だか気が緩んでしまいそうです……」
「いいんじゃないか?あんた何時もなんか張りつめているから、そんなんだと疲れちゃうだろう?」
「…確かに…そうですね…張りつめてばかりでは…疲れてしまいますね……」
無意識に口許に笑みが、浮かんでいた。こんな風に自然に笑みが出るのは何だかひどく久しぶりのような気がする。こんな風に、何も考えずに微笑うことが出来たのは。
「うん、そんな時は眠るに限るよ。ここは本当に暖かいし気持ちいい。俺は眠るからあんたも一緒に眠るか?」
「ふふ、何ですか?その誘いは」
自然と口許に笑みが浮かんでくる。それはひどく穏やかなもので。ひどく暖かいもので。そしてひどく、優しいもので。
「笑われるとは思わなかったなあ。俺は本気なんだがな。でも」
「―――でも?」


「笑ったあんたは、綺麗だな。うん、ずっとあんたはそうやって笑っていた方がいいと思うなあ」


静かに胸の奥に降りてくるものがある。そっと、降りてくるものがある。それはとても暖かくて、それはとても優しくて。それはとても…とても……。
「その誘いお受けします、トレック殿」
ひどく泣きたくなった。けれどもそれは哀しくてじゃない。苦しくてじゃない。あまりにも暖かくて優しかったから。だから泣きたく、なった。
「あ、でもここは少しゴツゴツしているなあ。これじゃあちょっと痛いかもしれないなあ。じゃあ、こうして」
「―――トレック殿?!」
驚く間もなく、自らの頭がその膝の上に乗せられる。何が起きたのか気付く前に軽く頭を撫でられて……。
「うん、これでいい。これであんたの頭も痛くないから、ぐっすり眠れる―――おやすみ」
その言葉と同時に頭上から微かな寝息が聴こえてくる。大きな手は頭に乗せられたままで。
「…もう…トレック殿ったら……」
こうなってしまっては体勢を動かす事は出来なくて、仕方なく膝枕されたままミレディは瞼を閉じた。頭に掛かる大きな手の感触を感じながら。暖かい手のひらの感触を感じながら。全てを包み込んでくれる穏やかさと暖かさを感じながら。



――――夢すら見ないほど、穏やかな眠りの中へと………