――――どんな事でも知りたい。お前の事は全部。全部、知りたいんだ。それがどんな意味をもつものだとしても、俺は知りたいんだ。
疑問すら思う事がなかった。ただ好きだと、お前の事が好きなんだとそう思ったら、何もかもが自分の中で溶けていった。呆れるほど簡単に、全ての事が自分の中で解決をしていった。
祖国を裏切った事、兄と慕った相手の死。そして自らの手で祖国を滅亡に追いやって、それでも。それでも生きたいと思った。生きてゆきたいと思った。周りにどんな事を言われても、この世界で生きたいと思ったのは全部。全部、お前という存在がここにあるから。
だから俺はこの先どんな事があっても大丈夫だと思った。何でも出来ると思った。本当に呆れるくらい単純でどうしようもないけれど、それでも俺は。俺はお前を好きだと理解した瞬間に、何もかも乗り越えられると思ったんだ。どんな事だって。
「なあ、シン」
呆れるくらいにそばにいた。わずかな時間ももったいなくて、知らなかった時間を埋めたくて懸命にお前のそばにいた。
「何だ?」
「戦いが終わったら、やっぱりサカに帰るのか?」
黙々と弓の手入れをする相手の背後に近付き、そのまま背中から抱きついた。暑苦しいと言われても、ぬくもりを感じたかったから離れなかった。
「ああ、その為に生かされた命だ。それに報いなければ同胞に申し訳ないだろう?」
「そうだよな、俺も。俺も全てが終わったらベルンに帰るつもりだ。そうしたら離れ離れだな」
自分で言った言葉に落ち込みそうになって首を振ったら相手に気付かれたらしく、弓から視線を離し呆れた顔を自分に向けてくる。
「自分で言った言葉に落ち込むな」
「だってお前と離れるなんて、俺やだ」
自分でも矛盾している事を言っていると思いながらも、止められなかった。きつくしがみ付いたら、そのまま唇を重ねられた。
「どうせお前の事だ。どんなになっても逢いにくるんだろう?」
「…シン……」
「―――俺から離れられないんだろう?」
言われた言葉に迷うことなく頷けば、もう一度唇が重ねられる。そのままシンは自らの身体を反転させ、俺を冷たい床に押し倒した。ひんやりとした床の感触が背中に当たった思ったら、次の瞬間に冷たさすらも奪う熱い腕の中に閉じ込められる。それはどんな場所よりも安心出来る場所であり、どんな場所よりも心が乱される場所だった。
―――――何故だろう、こんなにも強く思われているのに確認せずにはいられないのは。お前が俺のものだという事を、確認せずにいられないのは。
紅い血の色をしているのに、その髪は夏の太陽の匂いがした。その髪に顔を埋めながら、褐色に焼けた肌に指を滑らせれば組み敷いた身体は面白いように反応を寄こした。
「…あっ…ふっ……」
押し寄せる快楽を堪えるようにきつく閉じられた瞼にキスをしてやれば、潤んだ瞳が現れた。そこに映し出す顔が自分だけだと確認する事でひどく安堵感を覚えた。そんな事をしなくても、目の前の相手は自分だけを見つめてくるだろうけれども。それでも今は、確認したかった。
「―――ツァイス、こっちを向け」
「…あ…んっ…んんんっ……」
命じられたままに向けてくる顔を引き寄せ唇を塞いだ。音を立て濡れた口づけをすれば、積極的に舌を絡めてくる。貪るように何度も、何度も。
「…シ…ンっ…ぁ……」
名残惜しげに離れる唇を結ぶ一筋の糸がぽたりとお前の顎に伝った。それを舌で舐めとれば、それすらも感じるというように肩を竦めた。その反応を確認して、唾液の跡を舌で辿った。口の端から顎のカーブをなぞり、首筋へと。仰け反るそこに軽く歯を立ててやれば、びくんっと鮮魚のように身体が跳ねた。
「…あぁっ…あんっ……」
偶然辿り着いたとでも言うように胸の突起を口に含み舌で転がす。ぴちゃぴちゃとわざと音を立てながら舐めてやれば、耐え切れずに口からは甘い喘ぎをひっきりなしに零した。
「お前は本当にココが弱いな」
「…バカっ…そんな事…言うなぁ…あぁっ……」
初めて抱いた時はあまりの痛さに泣いていたのに、その身体は直ぐに順応し今はどんな愛撫にも面白いように反応を寄こすようになっていた。どんなささやかな反応にも。
「…ああっ!……」
震えながらも勃ち上がり始めたソレには触れずに、わざと後ろの窪みに指を埋めた。その刺激にすら、唇は甘い悲鳴を洩らす。
「―――後ろだけでイケそうだな」
「…そんなっ…ぁぁっ……」
中指で中をかき乱し、抜き差しを繰り返した。指の本数を増やし、勝手気ままに動かした。決して自身に触れる事なく蕾だけを刺激した。
「…あぁっ…シンっ…もぉっ…ぁ……」
背中に廻された腕に力がこもる。無意識に膨れ上がった自身を押し付けてくる。一度も直接触れていないのにどくどくと脈を打ち始めたソレを。
「しょうがない奴だな、お前は」
「…あっ……」
弄っていた指を引き抜き、腰を引き寄せ入り口に自身を充てた。その感触に安堵するような溜め息が口から零れた。その様子にひとつ口許だけで微笑って、そのまま一気に貫いた。
「――――っ!ああああっ!!!」
喉をのけ反らせて喘ぐ相手に息をつく間もなく、腰を打ちつけてやった。狭い入口に自身を捻じ込み、最奥まで突き入れる。媚肉を掻き分け、一番深い場所へと。
「…ああっ…ああんっ…シンっ…シンっ…あぁぁっ……」
背中にきつく爪を立てられた。もっと、立ててもいい。俺の背中に爪を立てていいのはお前だけだ。お前だけが、俺の肌に刻む。俺の心に刻まれる。
「…ああっ…もうっ…もうっ…俺っ…ああぁっ」
「イけ、ツァィス」
「!!!あああああっ!!!!」
弾ける音とともに熱い液体が腹の上にぶちまけられる。その瞬間に千切れる程に自身を締め付けられ、その刺激で自分もその身体の中に欲望を吐き出した。
初めて抱いた時、何のためらいもせずに身体を預けてきた。激しい痛みにも逃げる事なく俺を受け入れた。疑いも迷いもせずに、俺の全てを受け入れた。
「…お前って…本当に…上手いな…」
まだ口からは荒い息を洩らしながら告げる言葉に苦笑を隠しきれない。比べる対象もいないのに、告げてくる相手に。
「―――俺に教えた相手が上手かったんだ」
「…って何で…そういう事言うんだよ…相手が気になるだろう……」
「お前が聞いた癖に」
「…う、うるさい…っ……」
そのまま顔を伏せてしまった相手を余所に、衝動的にその相手を思い出し自分の心が思いの他ざわついている事に驚かせた。そう、無理もない…再び出逢ってしまったのだから。
無造作に伸びた漆黒の髪、穏やか過ぎて底の見えない瞳。口許に湛えるのは穏やかな笑み。それは自分の記憶とは何一つ変わってはいなかった。それ相応に年を重ねてはいたが、あの頃のまま何処か男を狂わす瞳は変わる事はなくて。そう、何も変わってはいなかった。
「―――俺は…別の人間に見えたかもな……」
何気に呟いた言葉に対して問いかけはなかった。隣から聴こえてくる微かな寝息のせいで。目を閉じ眠りにつくその姿は、年不相応なほど子供だった。先ほどまでこの腕の中で淫らに喘いでいた相手とは全く別人のような無邪気な寝顔だった。
「お前のせいだ。お前が土足で俺の心に入ってきたせいだ」
鏡のような存在。自分と同じ瞳を持ちながらも、決して一番近い場所まで辿り着けなかった存在。けれども誰よりも自分を理解してくれた相手。一番近くて、一番遠かった相手。
「―――お前が俺の中に入ってきたせいだ……」
だからすぐに分かった。今俺とあんたは全く違う場所にいるという事が。本当に違う場所に立っているのだという事に。
――――だって俺は、知った。知ってしまったんだ。大切なものを失いたくないという想いを。どんなになっても失いたくないと思う相手を。そして自分が本当にいるべき場所を。
子供のような無邪気な瞳が、俺を映しだす。そこに映る自分の姿を俺は好きだと思った。生まれて初めて自分を好きだと思えた。お前の瞳に映った自分を。
「お前が俺を逸らす事なく真っ直ぐに見つめてきたから」
初めて出逢った時の言葉に出来ない衝撃も、存在を知ってからの理由のない苛立ちも、自分を知りたいと告げられた時の愉快な気持ちも、全部。全部、お前が俺に与えた。当たり前のものでありながら、それを遠い昔に置いてきた俺に、お前だけがそれを。
「…だから…逸らせなくなったんだ…あまりにも真っ直ぐに見つめてくるから……」
他人に対する感情すらも湧きあがらない俺に、お前だけがそれを呼び起こさせた。全ての感情をお前だけが俺に引き出させた。
「…ツァイス…俺はお前が思っている以上に…お前に執着している…それでも俺のそばにいたいと言うか?」
聴かれる事のない問いかけ。それでも今告げたかった。昔の自分を思い起こさせる相手に再会した自分は、きっと。きっと何処かで怯えている。知ってしまった事への恐怖を理解した自分は。
「…それでも…俺のそばに…いてくれるか?……」
生まれて初めて失いたくないと願った存在。生まれて初めて怖いという感情を与えてきた存在。生まれて初めて愛という言葉の意味を教えてくれた存在。それがお前、だった。
――――何でも知りたいよ。お前の事ならどんな事だって。だって俺はお前が好きだから。好きだから、全部。全部、知りたいんだ。
剣を振るうその姿があまりにも綺麗であまりにも残酷で、目を奪われずにはいられなかった。この男を見ていると綺麗と恐怖は同義語なのだという事を思わずにはいられなかった。
息ひとつ乱さずに人を切り刻み、華のような艶やかな笑みをこちらへと向けてくる。それは今の今まで剣をふるっていた男とは思えない穏やかな笑みだった。
「相変わらず、その腕は衰えを知らないんだな。いやあの頃よりももっと進化している気さえする」
「―――君はあの頃よりももっと…もっとイイ男になったね」
無数の死体のそばで告げる言葉は何よりもこの場面に相応しくない言葉だった。けれどもこの男の口から零れれば、それすらも自然に聴こえてくる。
「俺が誰か分かるのか?カレル」
「君を忘れるほど耄碌はしていないよ、シン。ただ君はあの頃とは随分と変わってしまったね」
「変わったとあんたは思うのか?」
「ああ、私には君がとても遠くに感じる」
想像通りの言葉が相手の口から零れて、ひどく心がざわついた。理由は分かっている。この居心地の悪さの意味も。そうだ、一番近くにいた相手が、今は一番遠い場所にいるからだ。誰よりも自分を理解していた相手と自分は全く別の場所に辿り着いたからだ。もう、自分には分かる事はない。永遠に相手の心の奥を、分かりあえる事はない。
「君は出逢ったのだね。そして知った」
近付いてくる相手を見下ろした。あの頃は見上げるだけのガキだったけれど、今は。今はこうして相手を見下ろせるほどの身長になっていた。それだけの時が、二人の間には経っていた。
「ああ、俺は分かった。あんたの言っていた言葉の本当の意味が、今は分かる」
「失う前に君は出逢えたのだね。大切なものに」
手が伸びてくる。それは剣を握る手だった。細かい傷のある節くれだった手。でも綺麗だと思った。何よりも綺麗なものだと。
「出逢えた。こんな俺でも出逢う事が出来た。だから」
頬に重なるその手はひんやりと冷たくて。近付く唇は血のように鮮やかに紅くて。どんな男も惑わされるその表情に吸い込まれながらも、真っ直ぐに瞳を捉えた。そこに映っている自分は、確かに別の人間だった。あの頃彼の鏡のような瞳に映っていた自分とは違う存在だった。
「―――だからあんたにも…出逢って欲しい……」
そのまま近付いてくる唇に自らの唇を重ねた。そこに在るものは、愛ではない別の想いだった。けれども確かに二人の間には存在した想いだった。ふたりだけが共有した想いだった。
「相変わらず上手いキスだ」
「あんたが教えたからな」
微笑う。艶やかに、けれども穏やかに微笑む。俺はこんなにも綺麗な生き物を、他に知らない。こんなにも綺麗で残酷で、そして哀しい生き物を。
「―――あんたが俺に教えてくれた。だから俺は見つけられた」
「…シン……」
俺にはきっと触れる事すら許されない相手だったのだろう。本当なら触れてはいけない存在だったのだろう。それでも俺はあんたに触れる事を許された。そしてあんたは教えてくれた。後悔する前に教えてくれた。自らの傷口を抉る事になっても、俺に教えてくれたんだ。
「…好きだった、カレル…俺の初恋はあんただったよ」
「それは光栄だな」
「俺にとってあんたはどんな理由であろうとも消せない人だ。それだけは本当の事だ」
あの頃の瞳のままで俺を静かに見つめる相手を、抱きしめる腕は俺にはなかった。その権利は俺にはない。俺にないのだから。
「ありがとう、シン」
こんな場面ですら、その瞳は決して全てを見せはしなかった。穏やかで深く底の見えない瞳でただ。ただ静かに微笑うだけだった。
「――――初恋は実らないものだよ…それは私が一番身を持って知っているからね……」
誰に聴かれるでもなくぽつりとカレルは呟いた。自分から一番遠い場所へと旅立った相手の後ろ姿を見つめながら呟いた。その呟きは血塗れの大地に吸い込まれて、そっと。そっと消えていった。