瞼から、消えないもの。ずっと、消えないもの。それは貴方だから。
ロイ軍に加入してから僕はよく笑うようになったと、妹は言った。以前は時々お兄様は思いつめたような顔をなさっていたから…と。それがなくなって今はよく笑っているから安心だとも。
でも本当は、違う。本当は前よりももっと…もっと自分は追い詰められている。
微笑うのは、貴方の事を悟られないため。わざと楽しそうにして、少しでも。ほんの少しでも自分の気持ちが零れてしまわないようにする為。そして自分を、護る為。
少しでも油断したら僕は。僕はこの想いに押し潰されて、そして。そして壊れてしまうから。
だからわざと。わざと大げさに、楽しそうに微笑っていた。
今でも身体中に、指の感触が残っている。瞼を閉じればあの時の夜が鮮明に浮かんできて、そして。そして僕をどうにも出来ない想いへと導いてゆく。
「…パーシバル…様……」
与えられた個室に戻り独りになってやっと。やっと自分はその名前を口にする事が出来た。本当はあの時…あの時、貴方の名前を呼びたかったけれど。貴方の名前を、呼びたかったけれど。
「――――」
西方三島から返ってきた僕らに、貴方は僕等の前に立ちはだかった。エトルリアの『侵略者』である僕等の前に。
分かっていた事だった。自分が正義だと信じた道を進めば貴方と立場を別つ事になるのは。それでも僕は自分で見たものを感じた事を信じたかったし、そして何よりも。何よりも、僕は。
女々しいと言われようと、これ以上貴方のそばにいたくなかった。
指先の感触が、まだ僕の身体に残っている。ずっと消えないで残っている。一度だけ。一度だけだと。ただの一夜の幻だと、そう割り切っていたはずなのに。
「…パーシバル様…僕は……」
ミルディン王子が暗殺された日。エトルリアの全てが変化してしまったあの日。国よりも王子に対して絶対の忠誠を誓っていた貴方は。貴方は、壊れた。
「…僕はずっと…貴方の事だけを……」
僕は救いたかった。どんな事をしても貴方を救いたかった。そのためなら僕はどんな事でも出来た。貴方のためならばどんな事でも、出来るから。
「…ずっと貴方だけが……」
自暴自棄になり絶望に陥った貴方に、僕は。僕は一度だけ…抱かれた……。
「…クレイン…お前か……」
ずぶ濡れのまま貴方は自分の部屋で転がっていた。外からは雨の音がまだ降り続けている。やっとの事で部屋に戻った貴方は身体を乾かそうともせず、アルコールを浴びるように飲みながら床に倒れていた。
「…パーシバル将軍…風邪を引きます、早く着替えてください……」
どんなに酒を飲んでも顔色一つ変わらない貴方が。そんな貴方がこんな風に。こんな風に乱れる姿を見せるのは…見せるのはただ独りの王子を失ったから。
貴方にとって常にこころを占めるのは王子の事だけ。それを失った貴方は何も見ることは出来ない。生きている意味すら、見出せなくなっている。その事が僕には。僕には、辛かった。
「…私に構うな……」
ふらりと立ち上がり僕の前に貴方は立つ。その瞳が絶望に深く沈み、僕は見上げるのを耐えられなかった。何時も前だけを見つめている強い瞳が、こんな風になるのを。
でも、見つめた。反らす事無く、見つめた。貴方の瞳だから。どんな姿でも、貴方だから。
「そんな事出来ませんっ私はっ!」
貴方が好きだから…そう言いそうになって言葉を飲みこんだ。今貴方に告げればもしかしたら同情で受け入れてくれるかもしれない。けれどもそれはただ。ただ貴方の絶望に着け込むだけの、卑怯な行為だから。
…それに貴方は。貴方はどんなになっても、永遠に王子の騎士…だから……。
どんなに貴方を想っても。どんなに貴方を想い続けても。
永遠に貴方の心は王子のもので。今こうして死と言うものが。
それが貴方の心の王子を一番綺麗な場所へと閉じ込めた。
それはどんなに僕が足掻いても手に届かない場所で、そして。
そして僕は永遠に…貴方への想いが届く事はない。
それでも、好き。貴方だけが、好き。貴方が少しでも救われるのならば僕はどんな事だってするから。
不意に貴方の脚が縺れてそのまま。そのまま私の身体に覆い被さってきた。そしてもつれ合うように身体が床に打ちつけられる。
「こんなに酔っ払って…パーシバル将軍…早くシャワーを……」
「……んなんだ………」
「――――え?」
「何故お前がここにいる?お前は私の何なんだ?」
息が掛かる程近くで見つめられ、僕は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。吹きかかる吐息はアルコール臭く、その瞳には闇しか見えなくても。それでも。
「…私は…パーシバル将軍…貴方が心配だから……」
それでも、貴方は貴方だから。僕がずっと。ずっと想い続けていたただ独りの人。貴方にとって王子の存在が絶対ならば、僕にとって絶対なのは貴方の存在だから。
「心配?そんなものは私には必要ない。私の事は放っておいてくれ」
「そんな事出来ませんっ!身体だってこんなに冷たく……っ!」
手を伸ばして貴方の頬に触れた瞬間、その手を掴まれた。そして。そして噛み付くように口付けられる。
「…んっ…んんっ!……」
顎を捕らえられ強引に口を開かされれば、そのまま生き物のような舌が忍びこんできた。そして逃げ惑う僕の舌を捕らえると、そのままきつく絡め取った。
「…んんんっ…んん……」
アルコールの味がする口付けに、僕は思わず目をぎゅっと閉じた。けれども口付けは開放される事なく、何度も何度も口中を舌で弄られる。その刺激に耐えきれずに僕はぴくんっと睫毛を震わせた。
「…んんっ…はぁっ…止め…パーシバル…将軍……」
やっとの事で解放された唇からは唾液の糸がとろりと伝う。それを貴方の舌が掬い上げた。その刺激だけで身体が震えるのを、止められない。
「私に関わるな。これ以上関わると言うならお前を、無茶苦茶にするぞ」
そう言うと貴方は僕の両手首を掴むと、そのまま頭上に掲げさせる。そして僕の服を引き裂くと、その布で僕の手首を縛り上げた。
「止めてくださいっ!将軍っ!!」
引き裂かれた布の音と縛られた手首の恐怖に無意識に僕は叫んでいた。けれども。けれども僕は…この場を逃げる事は…出来なかった。
「嫌なら行け。そしてもう二度と私の前に現れるな」
「…い、嫌です……」
「ならばどうなるか…分かっているのだろうな?クレイン」
そう言われても僕は逃げなかった。逃げたいとは思わなかった。こんな風に乱暴に扱われる事は辛かったが、それでも。それでもここで引いてしまったら僕は。僕は貴方を…救うチャンスすら永遠に失ってしまう事になるから。
…それに。それに本当は。本当は…ずっとこころの何処かで……
「―――将軍…いえ…パーシバル様……」
浅ましいと、思った。どこまでも自分は、浅ましいと。
「…私は…いいえ…『僕』は……」
例えどんな理由であろうとも、貴方の腕に抱かれたいと。
「…貴方に…笑って…欲しいんです……」
そう思っている自分が、確かにいる事を否定できない。
「――――そんなもの…もう私には…分からない……」
首筋に唇が、降りて来た。そしてそのまま舌を滑らせ、剥き出しになった胸の果実に触れる。その刺激に敏感な僕のそこはたちまちに朱に染まった。
「…あっ…止め……」
柔らかい愛撫は、与えられなかった。乱暴に指が胸を弄り、痛いほどに摘まれる。唇で強く突起を吸われながら。その痛みを伴う刺激に、僕の目尻から涙が零れ落ちた。それでも貴方の手は、唇は、決して止まる事はない。
「…やぁっ…あぁ……」
分かっている。ここにあるのは愛じゃない。貴方の一方的な暴力なんだ。それでも。それでも僕にとっては違うものだった。貴方がそのつもりで僕をわざと乱暴に扱おうとも、その裏に見えるものがある限り。こうして伝わるものが、ある限り。
「…止め…パーシバル…様…あぁんっ……」
貴方の哀しみと、貴方の絶望と。それがこんな行為で救われるとは思えない。けれども少しでも。少しでもどんなになろうとも貴方を想う気持ちが伝われば。どんなになろうとも…僕だけは貴方のそばにいるという想いが…少しでも。
「嫌と言う割には、随分と感じているなクレイン」
「…はぁっ…ああっ……」
その言葉を確認するように貴方の手が僕自身に触れる。それは乱暴で性急な愛撫にも関わらずに、感じて形を変化させていた。貴方が僕に触れていると思うだけで、僕は感じた。
「こんな風に抱かれるのは、初めてじゃないのか?」
「…ち、違います…僕は…あっ!」
ぎゅっと大きな手のひらで僕自身を握られる。その強さに身体が、竦んだ。けれども長い指が先端の割れ目に触れると、たちまちに僕のソレは形を変化させ熱く脈打った。
「…ああっ…ああんっ…あ……」
溢れる涙を止めることが出来ず、僕は喘ぎ続けた。どんなに乱暴に弄られても、貴方が触れられている限り僕の身体は敏感に反応を寄越す。直接的な刺激よりも、心が求める想いの方が今の僕には勝っていたから。
「―――ひぁっ!」
先走りの雫が零れて、イキそうになった所で入り口を指で塞がれる。そうしながらしばらく貴方は僕を見下ろした。
「…や…止めて…ください…パーシバル様…僕…もうっ……」
腕を拘束され、自分では解放する事は許されなかった。けれどもそれ以上貴方はソレに刺激を与えてはくれない。イキそうでイケないもどかしさに僕は身体をくねらせるだけだった。そしてそんな僕を貴方の冷めたような瞳が見下ろしている。闇だけを映した瞳が。
「…もう…僕…許し…て…はっ……」
無意識に腰が動き、自然と身体が刺激を求め媚びていた。そんな僕を貴方は内心で冷めた笑いを零しているのだろうか?それとも淫乱な生き物だとして呆れているのだろうか?
でもこんな風に僕を乱れさせるのは貴方だけだ。貴方以外に僕はこんなにも。こんなにも感じない。
「…もう…我慢…出来な…あぁ……」
先端を摘まれたまま、そっと自身を撫でられた。その刺激だけで僕の身体は狂いそうになる。イキたいのにイケないもどかしさが何時しか苦痛に摩り替わるほどに。
「―――淫乱だな、お前は本当に…ならこのまま望み通りに犯してやろう」
先端を塞いでいた手が解かれ、そのまま僕は腰を掴まれた。そして。そして乾いたまま何の準備を施されていない器官に、一気に楔で貫かれた。
「――――っ!!!」
悲鳴すら、出なかった。訪れた衝撃と激痛に、僕は悲鳴すら上げる事が出来なかった。けれども。けれども必死で耐えた。苦痛から逃れたいという思いを堪えて、引きそうになる身体を押し止めて、僕は。僕は自らを貫く楔を受け止めた。
「…クレイン…お前……」
繋がった個所から血が、零れた。太腿を伝う鮮血と、侵入を拒む内壁に。その圧迫感に貴方ははっとしたように僕を見下ろす。その顔は、少しだけ違ったから。さっきまでの闇に埋もれていた貴方の瞳と、違ったから。
だから僕は微笑った。激しい苦痛の中で、微笑った。嬉しかった、から。
「…パーシバ…ル…様……」
息も声も、途切れ途切れだったけれど。けれども。
「…僕は…何も…出来ませんか?……」
けれども今、伝えなかったら。今この瞬間に伝えなかったら。
「…貴方の為に…どんな事でも…いい……」
もう二度と。二度と言えない言葉だから。
「…貴方が微笑ってくれるには…どうしたらいいですか?……」
手が、そっと。そっと僕の髪に触れた。額から零れる汗を拭いながら、そっと。そっと貴方の手が僕に、触れる。それだけで。それだけで、僕は。
「――――お前は…どうしてそこまで……」
耐えきれないと言うような顔で僕から離れようとする貴方を、僕は絡めた脚で引き寄せた。腕は使えなかったから、こうする事しか出来なかった。
「…クレイン?……」
「…このままで…いいです…このまま僕を……」
「お前が傷つくだけだ…それでもいいのか?」
貴方の言葉に僕はこくりと頷いた。僕の身体は確かに今軋むような悲鳴を上げている。けれども。けれども、僕の中にいる貴方がこうして熱く存在を主張している限り。
それがただの純粋な欲でしかなくても、こうして。こうして今貴方が僕を求めていてくれる限り。
「…クレイン……」
「ああっ!」
耳元に囁かれた声は、初めて聴く貴方の声だった。低く少しだけ掠れていて、そして。そして痛いほどに胸に響く切ない声。その声だけでもう僕は。
「…あああっ!……」
繋がった部分が擦れ合う。腰を掴み貴方は僕の身体を揺さぶった。それと同時に痛みで萎えていた僕自身に触れ、性感帯を煽る。その痛みと刺激が同時に僕を襲い、意識が呑まれそうになった。けれども。けれども、まだ。
「…あああっ…あぁ…あ…パーシバル…様…あっ!」
まだ駄目。まだ、見ていたい。まだ、感じていたい。貴方の鼓動を、貴方の息遣いを、貴方の熱さを、貴方の欲望を。
「…あっ…ああっ…もう…僕……」
何時しか僕自身は限界まで膨れ上がり解放を求めてびくびくと震えていた。そして僕の中の貴方も、熱く僕を求めていてくれて。そして。
「―――クレイン……」
「ああああっ!!」
そして激しく腰を打ちつけられる。その刺激に僕は果て、貴方の欲望が注ぎ込まれた。
「…すまない…クレイン……」
意識を失う寸前に、貴方が僕に呟いた言葉に。その言葉に、僕の瞳からは一筋涙が零れた。そんな言葉を僕は聴きたくなかった。謝って欲しくなんてなかった。それだけは…聴きたくなかった。
だって惨めになるから。貴方の僕に対する想いが…嫌と言う程に伝わるから。
それでも、好きで。どうしようもない程に好きで。
どうしていいのか分からなかった。どうしていいのか、分からない。
貴方のしあわせだけを願っていたはずなのに、気付けば。
気付けば僕の心は醜い想いで溢れている。貴方が、欲しいと。
貴方だけが欲しいんだと。貴方に…振り向いて欲しいんだと。
でもそれは、叶わないから。貴方の中に死と言う名で永遠に王子が、刻まれた以上。
「…パーシバル様……」
もう一度、名前を呟いた。そこから零れるのはただ。ただひたすらに切なさしかなかった。それ以外のものを、見つけられなかった。
再開した貴方はあの頃よりももっと。もっと顔に表情がなくなっていた。抱かれたあの夜から僕は逃げるように西方三島の遊撃隊の将軍になり、そのままこうしてロイ軍へと寝返っている。
貴方の為なら何でも出来ると、貴方のそばにずっといると、そう決めていたはずなのに。
そう思ってもあの夜の貴方の一言が。その一言がずっと。ずっと耳について消える事がなくて。消えなくて、僕は耐えきれなくなって。こうして逃げている…貴方から。
「…好きです…ずっと…貴方だけが……」
他に何も考えられないほどに。何一つ、考えられないほどに。僕の髪の先からつま先まで、貴方と言う存在で刻まれている。
「…好きなんです……」
敵として現れた貴方は直に僕等の前から去っていった。ロイ軍が進撃する前にベルンの自分勝手なやり方に賛同出来ず、僕らと構える前に去っていった。―――王子が…追いつく前に。
そう、王子は生きています。貴方のただ独りの主君は生きているんです。
僕は、怖かった。僕は、怖い。死んでいたと思っていた王子が貴方の前に現れたその瞬間。その瞬間貴方の顔を見るのが、怖い。王子が生きていると分かれば迷う事無く貴方はこちら側へと寝返るだろう。だって貴方はエトルリアの騎士ではなく、ミルディン王子の騎士だから。その瞬間が来たら、僕は。僕は……。
――――僕はもう…作り笑いすら、出来ないかもしれない……
あの時も、本当は壊れそうだった。壊れてしまいそうだった。視線すら合わせる事が出来ずに、去ってゆく貴方の後姿を見つめる事しか出来なくて。
本当は今この場で声を上げて泣きたかった。けれども。けれども僕の頭上から降ってきた声が、それを繋ぎ止める。
『どーした?坊ちゃん、元気ねーな』
彼の前では微笑っていなければいけない。何ひとつ変わる事無く無邪気なままの子供のままの僕で。そんな僕でいなければいけない。
『そんな事ないよ、ディーク』
命の恩人。今の僕がこうして生きているのは彼のお陰だった。だからどんな時でもこの命を救ってくれた彼の前では、僕は元気でいなければならない。余計な心配は、掛けたくはなかった。それが唯一僕が出来る彼への恩返しだから。
『ならいいけどよ。まあ坊ちゃんは俺にとっては…弟みてーなもんだしな。何かあったら言えよ』
ぽんっと一つ僕の頭を叩いて去ってゆく彼を…僕は追いかけた。
『ディーク!』
人の思いに敏感で、そして誰にでも優しいお前だから。だから、気付かれてしまったかもしれない。でも。でも、それだけは。それだけは駄目だから。
『どうした?クレイン坊ちゃん』
何時もの笑顔。優しい笑顔。肉親に向けるような笑み。この笑みを崩す事は僕には出来なんだ。だから気付かないで。何も、気付かないで。
『もう、坊ちゃんは止めてくれって言っただろう?』
貴方への想いは、僕の中に。僕ひとりの中に閉じ込める事が出来れば誰も。誰も傷つく事はないのだから。
『はいはい、クレイン坊ちゃん』
『もう、ディークっ!』
笑う、あの頃のように子供の顔で。ふざけあいながら、微笑う。例えどんな隙間でも、零れてしまう事は許されないから。少しでも、貴方の負担になる事は。
「…パーシバル様…もう少しで…貴方の笑顔が…見られるのですね……」
けれどもそれは僕に向けられる事はない。ただ独り王子の為に向けられる笑顔。けれども、僕の願いは叶う。貴方の笑顔が見たいという願いは、貴方がしあわせになるという願いは。けれども。けれどもきっと。
――――きっとその瞬間に…僕は壊れるのだろう……