崩壊



――――このまま壊れてしまいたいと、願う。


そうしたら楽になれるのかと思った。
何もかもを全て思考から奪ってしまえたら。
そうしたらもう。もうこんな不安に怯える事もないのだろう。
もう何も、考える事すらなければ。


一度『死』というもので一番綺麗な場所に閉じ込められた王子が、再び貴方の元に生きて現れた瞬間。今度は本当に、貴方にとっての『永遠』の存在になるのだろう。
もう僕の入る隙間などないほどに…ううん初めから、そんなもの何処にもなかった。それでも。それでも浅ましい自分は何処かで思っていた。もしかしたら、と。もしかしたら何時か振り向いてくれる日が来るかもしれないと。
「…僕は……」
床に素足のまま座り込んで、僕は自らの思考に陥っていた。いい加減寝ないと明日に響くのに、眠る事すら出来なくなっていた。ひどく頭は冴えて、そして。そして何よりも…。
「…パーシバル様……」
貴方に抱かれた事を思い出して、身体が火照るのを抑え切れない。指の感触を、耳元に囁かれた声を、思い出して。
あの時の行為に愛なんてものはなかったのは分かっている。それでも。それでも抱いてくれたのは、貴方だから。
しばらく消えなかった痛みですら、貴方の存在を身体が感じられて、僕は嬉しかった。そんな事で喜ぶ自分がひどく惨めだったが、それでも想いは未だに止められないでいる。本当にどうしてこんなにも貴方が好きなのか…自分ではどうにも出来なくて。
「…パーシバル…様……」
僕はそっと自らのシャツのボタンを外した。そして微かに熱を帯びた胸の突起に指で触れる。それだけでジンっと先端が痺れた。
「…はぁっ…ぁ……」
何を僕はしているんだろうと思う。それでも指の動きが止められない。自らの手で胸を弄りながら、感じやすい部分を攻めたてる。紅く熟れた果実をぎゅっと指で摘みながら、カリリとソレに爪を立てた。痛みを伴う刺激に、思わず声を上げる。
「…あぁっ…あ…パーシバル…様……」
あの時貴方が触れてくれたようにわざと乱暴に愛撫をした。あの時のように強く胸を甚振って、そして。
「…はぁぁ…あ……」
空いた方の手が胸からわき腹、そして臍の窪みへと愛撫を施す。敏感になっている肌は触れるたびに熱を帯びて、熱くなってくる。
「―――ああっ!」
下腹部へと滑らせていた手が、僕自身に触れる。微妙に形を変化させ始めたソレを手のひらで掴むと、そのまま指を滑らせた。もう、止められなかった。
「…あぁっ…あ…んっ…パーシバル様……」
大きな手が、僕を包み込んだ。長い指先が僕の先端をなぞった。貴方の瞳が僕を見下ろし、触れる肌は熱を伴っていて。
「…あぁ…あぁぁ……」
何時しか胸を弄っていたはずの手が、自身に添えられる。僕はだらしなく脚を広げながら、両手で自らの欲望を扱いた。
シャツは肩からずり落ち前は肌蹴られ、尖った胸が痛いほどに張り詰めている。そして僕は両手で一心に自身を追い立てていた。
「…ああ…もおっ…はぁっ……」
ぽたりと目尻から快楽の涙が零れる。肌はしっとりと汗ばみ、雫が零れていた。自身の先端からは先走りの雫が零れていて、もう限界を主張している。それでも僕は最後の刺激を与えなかった。
一端手を離すと、そのまま上半身を床に擦り付けた。胸が床に、当たる。それを擦り合わせながら、僕は双丘を突き出し秘所を暴いた。そして先走りの雫で濡れた指をひくひくと蠢く媚肉へと埋めこんだ。
「―――くんっ!」
くちゅりと音が、する。それを全身で感じながら、指で中を掻き乱した。その間にも何でも身体を揺すり、胸の突起に与えられる摩擦の刺激を感じる。その痛いような刺激が今の僕には、欲しかった。
「…くふっ…はぁぁっ…あ……」
あの時のように、激しく。性急に追いたてる刺激が。貴方から与えられたあの刺激が、僕は。僕は欲しくて。
「…パーシバル…様…僕は…あぁ……」
貴方の指と舌で追い立てられ、そして貴方の楔で貫かれ。熱い貴方の欲望が、体内に注ぎ込まれて。僕は…。
「…もう…ああっ…あぁ……」
指の本数を増やして中を広げた。もう一方の手で内壁を広げて、ぐちゃぐちゃと中を掻き乱す。それだけで僕自身は反応をした。自身に触れずとも、後ろだけの刺激で。
「…パーシバル…様…パーシバル様っ…!!」
目を閉じ貴方の顔を思い浮かべながら、僕は果てた。飛び散った液体が身体に跳ねたが、しばらく僕は動く事が出来なかった。



――――カチャリ……



それは突然気付かされた。今まで俺にとってただ無邪気でしかなかった存在が、実はひどく淫らで別な生き物だと言う事に。
「――――っ!」
ノックもせずにドアを開けた自分が一番悪かったのかもしれない。けれどももしノックしていたとして、自分は扉を開けなかったのかと言われれば…返事はノーだった。
微かに聴こえてきたお前の声が苦痛に歪んでいるように思えて俺は気になってドアを開けた。その瞬間に自分の目に飛び込んできたものは…お前の顔をした別の生き物だった。


荒い息のまま俺を見上げる。その紫色の瞳は夜に濡れていた。
「…ディーク……」
白い肢体が惜しげもなく暴かれ、その肌が快楽に朱に染まっている。
「すまねー、クレイン。お前に何かあったのか思って……」
唇は紅く濡れ、綺麗な顔と身体に自身の吐き出した欲望で汚れ。
「…ディーク……」
お前はのろのろと立ち上がり、俺の前に立つ。その瞬間ぽたりと瞳から涙が、零れた。


「…僕を…無茶苦茶にして……」


自分で何を言っているんだろうと思った。何を、言っているんだろうと。けれどももう。もう僕には失うものもなくすものも何も。何も、なかった。
貴方は決して僕のものにはならない。そして僕が唯一『子供』でいられるはずの場所も。その場所も、今。今この瞬間に失われた。
唯一僕が貴方を好きでいる前の、ただの無邪気な子供でいられる場所は、今この瞬間に。


――――もう僕には何もない。何も、ない……



「…お前何を言って……」
白い手が、伸びてくる。俺の頬に伸びてくる。
「…もう…いいんだ…もう…全部……」
滑るように頬を撫で、しなやかな身体が擦り寄ってきて。
「…全部…僕にはもう……」
そして淫らに濡れた唇が強引に俺の唇に触れた。


突き放そうとして…出来なかった。瞳から零れる涙はあの頃のままだったから。あの頃の『クレイン坊ちゃん』のままだったから。そして。そして胸に飛び込んできた華奢な肩が、小刻みに震えているのに気が付いたから。


それでも俺にとってお前はずっと。ずっと、大切な護るべき存在で。
ずっと、ずっと護るべき小さな坊ちゃんであって。こんな風に、お前を。
お前を欲望の対象として見ていた事も、感じた事もなかった。けれど。


けれども今。今初めて気がついた。お前があの頃の『坊ちゃん』ではないという事に。


「…ディーク…抱いて…もう何も考えたくない……」
霞めるような熱い吐息。睫毛の先から零れる雫。濡れた唇。
「…僕を…壊して……」
延ばされた白い腕が俺の背中に廻り、きつく身体を押しつけてくる。
「…もう何も…考えたくない……」
髪から薫る微かな汗の匂いが。上気した肌の色が、その全てが。


――――俺を誘惑し、戻れない場所へと導こうとしていた……



何も知らなかった、あの頃の自分。優しい両親と可愛い妹と、そして兄のような存在の彼と。優しく穏やかな光に包まれて、ただひたすらに。ただひたすらに『子供』である事を享受しながら生きてきた日々。大きな悩み事もなく、夢だけを見て生きてこられた日々。

――――もしもずっと。ずっとあの頃のままでいられたならば……

お前が僕達の元を去ってから、僕はその淋しさを埋めるように騎士になる道を目指した。お前がいなくなって家族を護るのは自分しかないと、そう思ったから。獅子に追いかけられて泣いていたあの頃の僕じゃないと。もう自分で戦えるようになるんだと。

…そんな時、僕はあのひとに出逢った……


『クレイン、パーシバルだ。次の騎士軍将の最有力候補だよ』
綺麗な金色の髪が、風に揺れていて。深い色をした蒼の瞳が真っ直ぐに。
『…ミルディン王子…何を……』
真っ直ぐに王子だけを見ていて、そして。そしてゆっくりと僕を見下ろした。
『いや本当の事だ。私を護るのはお前しかいないと決めている』
その瞬間、理由のない衝動に僕は襲われ…言葉すら出なくなっていた。
『クレインだ。リグレ公の長兄だ、私にとっては弟のように可愛い存在だ』
きっと僕はひどく変な顔をしていただろう。呆けたように貴方を見つめ、そして。
『初めまして、クレイン』
そしてそうやって差し出された手ですら、触れる事を戸惑っていた事に。


エトルリアの王宮には何度も出入りしていたのに、僕が貴方と出逢ったのはあの時が初めてだった。そうした社交的な事に興味のない貴方は、ただひたすらに己の腕を鍛える事にのみ気持ちが向けられ王宮に現れる事は滅多になかった。それでも噂だけは、嫌でも耳にする。
それは女の人達の貴方への想いや、他の貴族達の妬み。それほど地位の高い家の出ではない貴方が王子のお気に入りである事が気に入らないらしい。更に際立った容姿も他の男達の妬みを買い、女たちの欲望の格好の餌食となった。
けれどもそんな出世にも色恋沙汰に何一つ興味のない貴方は、ただひたすらに強くなる事だけを…王子を護る事だけを考え生きていた。
「パーシバル様」
最初は様って、呼んでいた。まだ貴方が騎士軍将になる前は。その時はまだ僕は貴方と距離を置く事なんて考えていなかった。
「クレインか、どうした?」
ううん、あの頃はただひたすらに。ひたすらに貴方に近付きたかった。理由なんて分からない。けれども貴方をもっと知りたく、そして貴方のそばに行きたかった。ただそれだけだった。
「あの、僕にも剣を教えてくれませんか?」
ディークを兄のように想っていた気持ちとも違う。王子を尊敬していた気持ちとも違う。もっと別の。別の言葉では言えない想いが。
「剣?どうしてだ?お前には弓がある」
「弓では貴方とともに前線で戦えません」
その硬質な蒼い瞳が、ふと。ふと柔らかくなる瞬間がある。ひどく優しくなる瞬間がある。その瞬間を見られるだけで僕は。僕はどうしようもないくらいに胸が締め付けられて、そして。そして苦しいほどに切なくなって。
「クレイン、弓兵の援護があるからこそ我々騎士は安心して前線で戦える。それもまた必要な事だ」
「…僕は必要ですか?……」
その瞳をずっと。ずっと見ていたいと思った。その瞳を僕だけに向けて欲しいと。でも。でもそれが叶わない事もまた何処かで気付いていた。
「当たり前だ、背後の安全なくして前線は安心して戦えない」
気付いていた、貴方が『王子』の騎士である限り…その瞳を向けられる相手はただひとりしかいないと。


気付いたのは、貴方が正式に『騎士軍将』になった瞬間。
名実ともに王子の騎士になった瞬間。僕は、気が付いた。

―――この想いの本当の正体を。このどうにもならない想いの、答えを。

その日から僕は貴方を将軍と呼ぶようになった。一人称も私に変え、そして。そしてせめて言葉の上だけでも貴方と距離を置くようにした。そうでもしなければ、僕は。僕はこの想いを抑える事が、出来なくなってしまうから。
気付いてしまったから。気が付いて、しまったから。こんなにも貴方が好きで、貴方が欲しいと持っている自分を。
貴方が、好き。どうしようもないほど、好き。どうにも出来ないほど、好き。こんなにも激しい想いを自分が持っているとは知らなかった。こんな風に誰かに恋焦がれる自分なんて、知らなかった。こんな自分は…知らない。
それでも止められなかった。止める事が出来なかった。貴方が好きでどうしようもなくて、本当に狂いそうなほどに貴方だけを想って。

――――どうすればいいのか…分からなくなっていた……




「…ディーク……」
華奢な肩が、震えていた。それは獅子に追われ泣いていたあの時のお前のままだった。あのままだったから、俺は。俺はそっとその背中に腕を廻し、身体を抱きとめた。
「…クレイン坊ちゃん……」
坊ちゃんと言って、そしてその言葉の違和感に俺は戸惑った。抱きとめた身体はあの頃の小さな身体ではない。ひどく淫らで、そしてひどく。
「…もう僕は子供じゃない…だから」
「―――クレっ……」
もう一度強引に唇が塞がれる。引き剥がそうとして身体を離した瞬間、お前の腕がきつく背中にしがみ付いて来た。そしてそのまま俺の口中に舌を忍ばせると、深い口付けをしてきた。
「…んんっ…ディーク…ん……」
そのまま廻していた手をひとつ解くと、しなやかな指が俺自身に触れた。布越しからなぞるように淫らな指先が。唇を深く合わせながら、俺自身を指が弄る。熱い肌を押し付け、甘い吐息が俺の理性を奪ってゆく。
「…ね、ディーク…このまま……」
唇が離される。とろりとした唾液がお前の口許を伝い、それが顔にこびり付いている精液に交じり合って、ひどくお前を淫蕩に見せた。それは俺がずっと大事に護ってきたあの小さな坊ちゃんと、同じ生き物とは思えないほどで。
「…このまま……」
淫らでそして。そして何処か壊れている瞳。壊れている、瞳。そこから染み出す傷が、お前を傷つけ内側から崩壊させている。それを止める事は俺には…出来ない。それでも。
「―――分かった…クレイン……」
それでもこのまま突き放す事も、また。また俺には出来ない。


大事に護ってきたものだった。大事にしてきたものだった。
それは欲望や情欲は一切絡まない、ただひたすらに。ひたすらに。
純粋で、綺麗なものだった。護ってやるというただひとつの。
ただひとつの穢れなき、だひたすらに純粋な想い。

――――そこに欲望も、淫らな想いも、何一つない。

それを今俺は自分の手で、壊そうとしている。この手で、それを壊そうとしている。護りたいという想いは何も変わってはいないのに。俺の気持ちに何一つ変化はないのに、それなのに。それなのに俺は、この手で。
「…あっ……」
首筋に舌を這わせば蕩けるような声がその唇から零れた。一度欲望を吐き出した身体はひどく刺激に敏感になっていた。
「…やぁっ…ん…あ……」
胸の果実に指を這わせればそれは直にぷくりと立ち上がる。その痛いほどに熟れた果実を指の腹で擦ってやれば、金色の髪がシーツの上で波打った。
金色の、髪。汗に濡れて光る、金色の髪。その髪を見つめながら俺は。俺はふと、別のものが脳裏に浮かんだ。別の、ものが。
「…クレイン……」
それを振りきるように腕の中の、相手の名前を呼ぶ。呼べば紫色の瞳は見開かれ、俺を潤んだ瞳で見つめてきた。紫色の、瞳。違う、俺は……。
「…ディーク…止めないで……」
胸を指に押しつけてきて、もっともっとと快楽をねだる。白い肢体が淫らに揺れ、全身で俺を誘う。下手な女よりもずっと魅惑的に俺を。
「…あぁっ…ん…あん……」
焦れたように両手が俺自身へと伸びてくる。ジィっと音とともにファスナーが降ろされ、直接指が絡んでくる。細くしなやかでいて、そして淫らな白い指が。
「…ディーク…ディーク……」
…白い指が、俺に絡んでくる。白くて、細いその指が……。



『…ディーク……』
深い闇を思わせる瞳が、俺を見つめていた。
『…俺は…ディーク……』
俺を見つめ、そして。そしてぽたりとひとつ。
『…ずっとお前の事が……』
ぽたりとひとつ俺の頬に熱い涙が落ちて。


その雫を白くて細い指が、そっと。そっと、拭った。


夢だと、思っていた。ただの夢だと。
長い髪が俺の頬に当たり、そのまま。
そのまま唇がそっと重なったのも。
柔らかい唇が押し当てられたのも、あれは。

――――あれは、ゆめだと、おもっていた。



「…くっ…クレイン……」
何時しか俺はベッドの上に座らされ、その間にお前の身体が忍び込んでいた。そしてそのまま形を変化させ始めていた自身をお前の口の中に含まれる。生暖かい舌がびちゃりと俺を舐め、その刺激に俺自身を硬くさせた。
「…んんっ…はっ…ふぅ……」
口いっぱいに俺自身を頬張り懸命に奉仕するお前の顔に、俺は欲情した。その白い顔に思いっきり欲望を吐き出したいと思った。自らの精液で綺麗な顔を汚してやりたいと思った。でも、それは。それはただの一時的な欲望でしかない事もまた、分かっている。一時的な…欲望でしかない事も。
「…ん…はぁ…はんっ……」
先端の割れ目に舌を這わし、側面を指で撫で上げる。袋の部分を手で揉みしだきながら、俺を追い詰めてゆく。それはどんな娼婦よりも、どんな女よりも淫乱に見えた。けれども。

―――けれども、壊れていた。内側から、壊れていた。



頬にそっと触れる指。白い、指先。
『…好きだ…ディーク……』
同じ剣を持つ手とは思えないその指先が。
『…お前が、好きだ……』
俺に気付かれないようにとそっと撫でながら。
『…お前だけが……』
撫でながら、零れる雫を拭う。お前が零した雫を。



「―――ルトガー……」



先端に歯を立てられて、その刺激に俺はお前の口の中に自身の欲望を吐き出した。
吐き出しながら、俺は。俺は、その瞬間別の顔を思い浮かべていた。




必死で隠してきたものが、閉じ込めてきたものが、抉じ開けられた瞬間。
溢れて零れて、そして。そして後は流れて、壊れてゆくだけだった。


背中に爪を立てたかったけれど、解かれない手がそれを叶えてはくれなかった。それでも爪を、立てたかった。少しでいいから貴方に『僕』を刻みたかった。ほんの少しでいいから、貴方の場所に…僕を置いてほしかった。何処でもいいから、僕を。僕を、貴方の場所へと。
「…ディーク……」
僕は最低で、僕は卑怯だ。満たされる事のない想いから逃れたくて、こうして。こうしてお前を犠牲にしている。最終的にお前は絶対に僕を拒めないと分かっていたから。けれども。
「―――クレイン……」
飲みきれなかった精液が口許を伝う。それを拭う大きな手は…優しかった。優しかったから、惨めだった。こんな僕に、自分勝手な僕にお前が優しくする理由はない。本当は無茶苦茶にしてほしかった。無茶苦茶に、ぼろぼろにして欲しかった。
「…僕を…嫌いになって……」
ただ犯してくれれば良かった。欲望のままにあの人のように、ただひたすらに。それなのにお前は戸惑いながらも僕に優しくするから。その優しさが、辛くて。辛かった、あの人との違いが見えたから。

乱暴に、無茶苦茶にしてくれたら。僕は瞼を閉じてあのひとを思い浮かべるだけで壊れる事が出来たのに。

「…嫌いになってくれ…そして僕を無茶苦茶に…して……」
嫌になるくらいに、僕は。僕はあの人以外の事を考えられない。こんなになってまでも、想い続けるのはただ一人のひとで。あのひとの広い背中を、金色の髪を、冷たいサファイアの瞳を、求め続けている。求め、続けている。
「それは出来ねーよ…クレイン坊ちゃん……」
ふわりと大きな手が、そっと。そっと僕の髪をくしゃりと掴んだ。そうして髪の毛を乱して、ひとつお前は笑った。あの頃のような、笑顔で。あの頃の、笑顔で。
「お前はずっと俺にとっては大事な坊ちゃんだからな」
その笑顔がひどく。ひどく僕の胸に焼きついた。そしてひどく胸が、痛かった。


――――今、気が付いた。僕とお前が抱えているものは同じだったのだ、と。


「…名前…呼んでたね……」
身体は中途半端に火照ったままだけど、けれどもこの先に進む事は出来ない。無茶苦茶になりたい僕を壊せないお前と、そして。
「…ん?……」
そしてイク瞬間にお前が零した名前を、僕はこの耳で聴いたから。それは、同じ。僕と、同じ。あのひとを思い浮かべ抱かれようとした僕と、同じだから。
「僕の口に出しながら、違う人の名前呼んでいた」
「…あ、…あれは……」
珍しくお前が困ったような顔をしたのが可笑しくて笑ったら、ひどく。ひどくお前は優しい瞳を僕に向けてくれた。
「…いや…そうだ…否定は出来ねー…でも……」


「…でもお前だって…そーだろう?…俺に誰かを重ねていただろう?」


うん、そうだよ。重ねている。僕はずっと捜している。
「…お前好きになれば…良かった……」
貴方の代わりを、ずっと。いないと分かっていて、いないと分かっているのに。
「…そうしたらこんなに苦しくなかった……」
貴方でないと駄目なのに。貴方でなくちゃ…駄目なのに。
「…こんなに…苦しく…なかった……」
…貴方以外の存在なんて…僕には考えられないのに……


ああ、そうだ。貴方は貴方だけ。僕を壊すのも救うのも、貴方だけなんだ。


「ってまた泣く…お前は……」
壊れられる訳がない。お前に抱かれたとしても。
「何だかんだであの頃のままだな」
誰に抱かれても、僕は壊れる事なんて出来ない。


――――それ以上の想いで、貴方を愛している限り……


「クレイン、泣いちまえ。何をお前が心に貯めているか分からねーけど、今はな」
そっと髪を撫でられ、抱き寄せられた。広い胸に顔を埋め僕は声を上げて泣いた。あの頃のように、泣いた。獅子に追いかけられ、お前に助けられたあの時のように。あの時のように、僕は子供みたいに泣きじゃくった。
「お前を救う事は出来ねーけど…泣く場所ぐらいは…やるからよ」
お前の言葉を聴きながら、僕は泣き続けた。声が枯れるまで、ずっと。ずっと、ずっと。その瞬間だけ僕は。僕はあの頃の『クレイン坊ちゃん』に戻っていた。



ちっちゃなガキだった。えらく綺麗なガキだった。女みたいな顔で、でも気持ちだけは立派な『兄貴』になっていて。必死に俺の後を着いて来たお前。家族のぬくもりや肉親の暖かさを知らない俺には、どんなにお前が。お前という存在が暖かかったか、どんなに愛しかったか。
家族のない俺には、お前が…クラリーネが、そしてリグレ家の人達がどんなにかけがえのないものだったか。


大事に思っている。お前は大事だ。大切な、護りたいものには何一つ変わりないんだ。



「…ディーク、キスしよう…最後に一度だけ…そうしたら僕達は元に戻ろう……」



唇を、重ねた。涙の痕の残るお前の頬に手を触れながら。
その口付けがひどく切なく、苦しいのはどうしてだろう?
それは俺にも…お前にも…分からないんだろう。いや。
いやきっと、分からなくていいんだ。


――――俺達のこころに確かに、別の存在がある限り……



僕の弱い心を、何時も強くしてくれたのはお前だった。
「ありがとう、ディーク」
弱くて護られる事しか知らなかった僕を、強くしてくれたのは。
「…ありがとう……」
そしてまた僕は。僕はお前にこうして力を貰っている。


真っ直ぐにあのひとを、見つめるための力を。


そして僕らは何もなかったかのように別れを告げた。明日逢った時にはこの事は夢になっているだろう。でも。でも確かに僕の心に与えられたものがあって。そしてそれが。それがもう一度僕に強くなる力を、与えてくれたから。
だからもう一度。もう一度貴方に逢えたならば、僕は。僕は、この瞳を真っ直ぐに見つめるから。



部屋に戻った途端、襲ってきたのは激しいまでの衝動だった。今まで気付かなかった事に、気付いた瞬間に。今まで見えなかった事に、気付いた瞬間に。激しく襲うのは、説明の出来ない衝動。
「―――俺は……」
大事な相棒だった。俺並に…いやもしかしたら俺以上の、剣の腕の持ち主。やっと見つけた背中を無条件で預けられる相手。それがお前、だった。それがお前だったはずなのに。
「…お前を…ルトガー……」
クレインに自身を奉仕されながら、何時しかその顔がお前に摩り替わるのを止められなかった。白い指の感触が、お前の手の感触に思えるのを止められなかった。俺は、俺は…。
「…って…今更…どーするんだよ……」
夢じゃなかったのか?あれはただの夢じゃなかったのか?お前が俺の頬に触れ、そして口付けたのは。あれは、夢じゃなかったのか?
「…お前は…俺の相棒だ…それにお前は……」
夢だと思っていた。そう思い込んでいた。妙な夢を見たと思いながらも、心の何処かでそれが自分の願望だったのかとも思った。本当は自分の願望、だったのかもと。
「…お前は…もっと別の道を……」
復讐に捕らわれ、ただひたすらに剣を振るい続けるお前が。どんなに痛々しく、そして哀しいか。そんな生き方しか出来ないお前だから、俺は共にいてやりたいと思った。そんなお前が少しでも。少しでも楽になれる生き方を見つけられるようにと。
全ての復讐が終わったら、何もかもが終わったら、お前を全てから解放してやりたいと思った。捕らわれているものを解いて、そして。そしてこんな血塗られた道じゃないもっと別な道を。
「…俺といたら…何も…変わらねー……」
俺は剣に生き、そして剣に死ぬ。それが俺の選んだ道だ。望んで進んだ道だ。血に塗れながら人を切り、そしてろくな死に方をしない一生を送る、それこそが俺が自分で選んだ道だ。

でもお前は違う。自ら選んだんじゃない。自分からこの道を選んだんじゃない。

復讐という思いが、祖国の敵を討ちたいという思いが、この道を選ばせた。それは決して俺のように望んで落ちた道じゃない。本当ならお前には暖かい家族と、優しい光があった筈なんだ。
「…駄目だ…俺じゃあ…お前をしあわせには出来ねーんだ……」
お前に必要なものを俺は。お前が欲しがっているものを俺は。俺はこの手で与えてやる事は、出来ない。どんなに与えてやりたくても、それだけは出来ないんだ。



「…お前を…しあわせにしてやりてーんだ…俺は…それが俺の手でなくても……」



閉じ込めるしか、なかった。この想いを永遠に。
内側から目覚めたこの想いを、永遠に自分の中へと。


それしか、今の俺には出来なかった。それしか見つからなかった、お前の為に出来る事を。