憧憬



―――――私の罪は、決して許されるものではないだろう。


何時も自分を真っ直ぐに見つめる瞳があった。紫色の綺麗な瞳が、真っ直ぐに。真っ直ぐに自分を見つめてくる。それは時に心地よく、それは時に苦しいものだった。


『パーシバル様』
何時も、その瞳が見上げていた。
『僕も騎士になりたいです』
小さなお前が私を見上げて、そして。
『パーシバル様みたいな騎士に…なりたいです』
そして穢れなき瞳が何時も私を射貫く。


あまりにも穢れなき真っ直ぐな瞳だから。だから私はお前の前では一番、綺麗な自分を見せなければならなかった。醜い欲望も、汚い心も全部。全部お前の前でだけは見せる事は出来なかった。
私は決して綺麗な道を歩んではいない。お前が憧れるほどの人物では決してないのだ。私は人並みの欲望も、誰もが持つ悪しき感情も、全て。全て持っているただの人間だった。けれども。

けれどもお前は真っ直ぐな瞳を私に向けるから。
一途とも思える瞳を私に向けるから。

私は綺麗でいなければならなかった。精錬でなければならなかった。騎士でいなければ…ならなかった。その綺麗な瞳を、紫色のその瞳を穢す事は出来なかったから。


『…パーシバル様……』


何時からだろうか?何時からだったのだろう。
その声が、私を呼ぶ声が意味の違うものへと変わっていったのは。
何時からだったのだろうか?
それを私は何処かで気付いていながらも、それでもまだ夢を見ていた。

お前だけはずっと綺麗なのだと。その瞳はずっと純粋なままなのだと。

けれども微妙に崩れたバランスは元には戻る事無く加速し。
加速しそして。そして私達を戻れない場所へと連れて行った。


私が騎士軍将になった時からお前はわざと距離を置くようになった。前のようにパーシバル様と呼ばなくなり、将軍と。そして一人称も何時しか僕から私へと変わっていた。その時に私は何処かでほっとしていた。そして同時にどうしようもない寂寥感に襲われていた。それはどちらも自分にとっての真実で、そしてどうしていいのか分からなくなっていた。
分からないまま、説明のつけられない想いを抱きながら、それでも私は王子の騎士として戦い続けた。王子にこの剣を捧げる事が全てだと言い聞かせ、くすぶる想いを閉じ込めた。
お前が距離を置いたことをいい事に、解決しなければならない想いを閉じ込め…そうする事で逃げていた。


―――けれどもあの瞬間、全てが崩壊した。


私が唯一生きる意味だと全てを捧げた王子が亡くなり、何もかもが失われたと思った。今まで自分が築き上げた来たものが、自分がこうして形成している意味ですら。そんな事すら全てが私にとって失しなわれたものになった。何もかもがなくなった。何もかもがなくなって、私はただの抜け殻になった。空っぽになった。そう、思っていた。なのに。


『…貴方が微笑ってくれるには…どうしたらいいですか?……』


お前は微笑った。そっと、微笑んだ。
何よりも綺麗な顔で。何よりも綺麗な瞳で。
そっと微笑み、私を見上げた。

欲望のままその身体を犯したのに。乾いたままの器官を強引に貫いたのに。

なのにお前は微笑う。綺麗な瞳で、微笑む。
私が唯一穢してはならないと思ったものを自らの手で穢したはずなのに。
なのにお前は綺麗で。哀しいくらい綺麗で。
私の罪を、贖罪を、全て赦そうとする。全てを赦そうと、する。


私は綺麗なんかない。私は穢れている。
お前に映る瞳の私はまやかしで、本当の。
本当の私はただの血に塗れたただの男だ。
こうして無茶苦茶にお前を犯してしまうほどの。


それでもそんな私をお前は受け入れ、そして赦そうとする。いやそれ以上に……


護りたかった。ただお前を護りたかった。
何よりも純粋な瞳を持つお前を、ただ。
ただ護ってやりたかった。それだけだった。

お前の瞳が綺麗なものだけを見てゆけるように。
お前の道がひたすらに綺麗なものであるように。

その為ならば私は自らを偽る事すら容易に出来た筈だった。


なのに、あの日。酔っ払った私はお前の身体を組み敷いた。暖かいお前の肌が触れて。触れた瞬間に、私は。私は確かに理性を失っていた。
酔っ払っていたからとか、絶望していたとかそんないい訳では説明できない『欲』が確かにあの瞬間、自分の中に芽生えていた。

その身体を滅茶苦茶にしてやりたいと。
その白い肌に紅い痕を刻み、自分だけのものにしたいと。

あれだけ必死に護ってきたものが、あれだけ大事にしてきたものがあの瞬間に壊れて。壊れて、そして。そして気が付いた。


私は自らを偽っていたのは…こんな風にお前を思っていたことを打ち消す為だったのだと。



「…すまない…クレイン……」
こんな形でしか、気付く事が出来なかった。こんな形でしか自分の想いに気付く事が出来なかった。こんな形でしか…お前の想いに答えてやれなかった。
「…本当は…私もお前の事が……」
一途に向けられる瞳の先にあった答えに気付いていながら。私を見つめる瞳の意味に気付いていながら、自分の醜さを暴くのが怖くて私は逃げていた。
本当はこうしてお前の身体を抱きしめ、そして想いの全てを注ぎ込みたいと思っていたのに。
「…すまない…クレイン……」
それなのに向き合う事すらせずに、私は逃げていた。お前を穢したくないと言う大義名分に、逃げていた。それを決してお前は望んでなどいなかったのに。


抱いて、気が付いた。身体を重ねて、気が付いた。
お前は私に綺麗な想いだけを、望んではいない事に。


お前がロイ軍に寝返ったと聴いた時、自惚れだと思いながらも私から逃げたのだとそう確信した。それだけではない要素があっただろう。自分の正義を見つけ出したのだろう。けれどもそれ以上に…私から逃げたのだろうと、思った。

私がお前の気持ちに向き合う事から、逃げたように。

自分勝手な男だから、私から逃げて正解だったと思う。こんな勝手な男には関わらない方がいい。所詮私は王子の騎士以外のものにはなれない堅物なのだから。
今こうしてエトルリアに無意味と思いながらも仕え続けるのは、正義が何処にあるのか見えていても仕えるのは。ただひとえに私が王子の騎士であり続ける最期の誇りでしかないのだから。こんなちっぽけなものにしがみ付く私など、お前は関わらない方がいい。


―――愛する者よりも、騎士としての誇りを選ぶ私など……


ともにいてもしあわせにはなれない。
私が選ぶものが決まっている以上、それ以外の道を選べない限り。
私とともにいればお前が傷つくだけなのだから。
だからこれで、いい。これでいいんだ。




私にとってお前は永遠の…憧憬…手に届かない綺麗なもの、それでいい。