片翼



背中の翼がひとつしかなくても。空を飛ぶ事が、出来なくても。


もしもその背中に翼が一つしかないとしたら。
それならば僕が貴方の羽根になるから。貴方の翼になるから。
だからもう二度と地上に堕落しないように。
ずっとあの蒼い空を飛んでゆけるように。ずっと。


―――――ずっと貴方が…綺麗な空を、飛んでゆけるようにと。



ナバタの里を抜け、そして再びエトルリアの地へと戻ってきた。この故郷の土地を踏む自分がこうして。こうして敵方に寝返っているなんて夢にも思わなかった。西方三島に旅立つ、あの時には。
それでも今自分はロイ軍の兵士として、こうして敵としてこの地に脚を踏み入れている。この土地に、脚を。
「―――クレイン」
背後から呼ばれた声に振り返ればそこには王子が、いた。ミルディン王子。今はエルフィンと名乗っている『ただの』吟遊詩人。けれどもそんな姿をしながらも、やっぱり貴方は何処か他の人とは違っていた。どんなに紛れようとも、貴方の強い瞳は…あくまでも王者の瞳だった。
「…ミ…いえエルフィン殿どうされました?」
「私はパーシバルを説得に行く」
「―――え?……」
「背後から奴の部隊が来ている。だから私が説得に行く。お前も護衛で着いて来てくれ。他の奴らでは正体がばれるとも限らないから」
名前を聴くだけで、胸が痛む。あれだけ覚悟して、そして。そしてディークから強い心を貰ったのに。それなのに、僕は。
「…私でなければ…いけませんか?…セシリア将軍では……」
それなのに僕は怯えている。王子と向き合った貴方を見ることに怯えている。貴方にとって大事なのは王子だけ。大切なのは…王子だけ。貴方の中に僕の存在がない事を、まざまざと見せつけられるだけだから。
「お前でなければ、意味がない」
「…エルフィン…殿?……」
僕の問いに王子はもう一度だけ、言った。お前でなければ意味がないのだ、と。それ以上僕は言えずに、王子に付き添う事しか出来なかった。



――――何時からだろうか、私がその事に気付いたのは。何時からだっただろうか?


パーシバル、お前の瞳が私以外に向けられるようになっていたのは。
どんな時でも私を最優先にして、そして私の騎士であり続けると誓ったお前。
永遠に、私に剣を捧げると迷う事無く告げたお前が。


『パーシバル様、ミルディン王子』


無邪気とも言える笑顔でお前は私達の中へと入ってきた。代々王家に仕えるリグレ家の長男。騎士としての家柄ではないお前が、弓と言う武器を取った。代々優れた文官としてエトルリアを支えてきたリグレ家の長男が、武器を取った。それは全て。
全て、パーシバルの為だった。パーシバルが騎士だったから、お前も騎士になった。武器を手に取って戦う道を選んだ。迷う事無くその道を選んだ時からこんな日が来る予感はしていた。
お前は私にとってひどく可愛い存在だった。兄弟のいない私に弟がいたら、お前のような存在であればと思ったほどに。けれども『弟』は、何時しか自分にとって一番の脅威になっていた。


――――私は永遠に…王子の騎士です……


私はお前を手に入れるためならどんな事でも出来た。お前には分からないだろう。私がどれだけお前と言う存在に焦がれ、そして欲しいと願っていたか。お前には、分からないだろう。
名門貴族の家柄でもないお前を、出世欲も名誉も何も望まないお前を。ただ強くありたいと、自分の信じた道を進むだけだと、そう言っていたお前を。
お前は綺麗だった。欲に塗れた貴族達とは違う。自分の理想のためならどんな汚い手段を使ってでも成しえようとしている私とは違う。

ただお前は綺麗だった。何よりも、綺麗だった。

主君の為に全てを捧げると。自らの欲も何もなく、ただひとつの綺麗な魂。そんなお前が欲しかった。自分の手元において、そして。そして全てを手に入れたかった。
自分にないものを持つお前に焦がれ、そんなお前を何時しか私だけのものにしたいと。私だけのものに、したいと。
私の騎士になると言ったお前を。私だけの騎士になると言ったお前を。何時かその思いでなく全てを手に入れたいと、思っていた。


『パーシバル様、僕も騎士になりたいんです』
ただひたすらに可愛いと思っていたその存在は、何時しか私にとっての一番の怖いものになっていた。脅威になっていた。大事に育んでいた無邪気な存在が何時しか。
『パーシバル様みたいな騎士に…なりたいです』
私が手に入れたいと願っていたものを、奪ってゆくのではないかと思って。その無邪気な瞳が。無邪気さゆえの、残酷さで。
『買い被り過ぎだ、クレイン』
お前が微笑う。そっと微笑んだ。それは私には見せた事のないひどく。ひどく穏やかな笑みだった。それはひどくお前の『素』の笑みだった。
『いいえ、僕は…僕は貴方を誰よりも尊敬しているのです』
私に対して持つ尊敬、そして敬愛。でもお前がクレインに持つ感情は別物だった。私がただ可愛いと慈しむ感情とも違う、もっと。もっと別のもので。そして。
そして何時しか気がついた。それと同じ感情を、クレインも持っている事に。


何時しかこの天使のような少年が、その背中の翼で。
私にはない真っ白な穢れなき翼で。お前を。


――――お前を連れ去ってしまうのだろう、と……



二人で歩く道はただひたすらに長く感じられた。昔は王子と二人でいる時間は楽しいものでしかなかったのに。自分の兄のような存在で、そして尊敬する王子。けれども今はただ。ただ僕にとっては苦しいだけの存在でしかなかった。
「………」
言葉が、出てこない。何か会話をしようとしても浮かんでくるのは貴方の顔だけだった。自分でも嫌になるくらい…貴方の事以外考えられない。

――――パーシバル様…と声に出しそうになるのを、必死で堪えるしか出来ない。

ディークがリグレ家を去って、貴方が王子の護衛に着くようになってからよく三人で。三人で過ごすようになっていた。僕は二人に追いつきたくて何時も必死で後を追いかけていた。
違う本当は。本当は二人の中に、入ってゆきたかった。ふたりだけの世界の中に、少しでも自分という存在を認めてほしかった。
分かっている、それはただの嫉妬でしかない。貴方を独占出来る王子がただ。ただ羨ましかっただけで。尊敬し大好きだった王子なのに何時しか。何時しか僕は…。
「クレイン」
僕の少し後ろを歩いていた王子が不意に名前を呼んだ。その声に振り返って後悔をした。そこには疑いようのない強い瞳がある。この瞳がある限り、貴方はずっと。ずっと永遠に王子の騎士であり続けるのだろう。
「何ですか?王子」
「――――私がお前を殺したいと言ったら、どうする?」
「え?」
王子の言葉の意味が理解できなくて、もう一度僕は聴いた。すると王子はひとつ、微笑った。それは他人を惹きつけずにはいられない魅惑的な笑みだった。そして。そして冷たい瞳だった。僕はそんな王子の瞳を、初めて。初めて、見た。



「…殺したいと言ったら、どうする?……」



もう一度、私はお前に告げた。その言葉にただひたすらに向けられる紫色の瞳は、綺麗だった。綺麗過ぎて、残酷だった。無垢と言うものがどんなに恐ろしいものか、多分お前が一番知らないのだろう。穢れたものにとって、それがどれだけ恐ろしいものかを。
「いいですよ、王子」
お前は微笑いながら言った。本当に構わないという顔で。構わないのだと、無邪気とも言える顔で。それがひどく。ひどく胸に突き刺さる。



王子の言葉に僕は頷いていた。いいと、思った。
今ここで王子が僕を殺してくれたなら、見なくてすむ。
貴方が王子の為だけに向ける瞳を見なくてもすむ。
ここで死んでしまえたら、何も苦しい事はなくなるのだから。


それに…王子に殺されたと知れば…貴方のこころに、刻まれるから……


僕では駄目だけど。僕自身では駄目だけど。
王子がした事なら全て。全て貴方の中に。貴方のこころに。
刻んで、そして消えない記憶を作るから。



「お前は残酷だ、クレイン。その一途さが、私を苦しめる」



私にはないものを。私が持ちえないものを。
お前は最大の武器として持っている。それが。
それがパーシバルのこころを動かしたと気付かずに。
気付かないまま、お前は。お前は私の前に立つ。


もし私がお前を殺しても、パーシバルは私に仕えるだろう。私の騎士としてあり続けるだろう。けれども。けれども二度と。二度と私の手の届かない場所へと行ってしまう。



――――お前がその白い翼で…連れ去ってしまう……



もしもあの頃に戻れたならば。何も知らず、何も気付かず、ただ。
ただ楽しかったあの頃に戻れたならば。
けれどももう私達は『あの頃』に戻るにはあまりにも、痛みを伴い。
あまりにも色々なことがありすぎた。あまりにも、苦しい事が。
そして。そして気付いてしまった。気が付いて、しまった。


――――絡み合った糸の先に、繋がった答えを……


私は国の為に、この手を汚す事を厭わなかった。どんな酷い事も躊躇う事無くやってきた。それこそが人の上に立つ者の痛みだと、そう思ってきたから。理想だけで国は作れない。綺麗ごとだけで民を導く事が出来ない。それをお前は分かっていた。分かっていても、それでもお前は綺麗だった。

『ミルディン様、私は貴方の剣になり盾になることが全てです』

そんな私にお前は何処までも着いてきた。その瞳でお前は私がしてきた汚い事全てを見てきた。時にはともに手を穢す事もあった。それなのに。それなのにお前だけはずっと。ずっと綺麗なままだった。
こころが清廉である限り、騎士であり続ける限り、お前を穢す事は誰にも出来ないのだろうと。出来ないのだと、そう思った。そして。
そしてそんなお前の前に現れた、ただひたすらに無垢な魂が。一途とも言える想いをお前に向けた存在が。今ここに。ここに私の目の前に立っている。


私の背中が漆黒の翼しかないとしたら、お前の背中には白い羽が生えている。私にはないもの、そしてパーシバル自身すらも持っていなかったもの。
「…王子?……」
それをお前は持っていた。そしてそれこそが…パーシバルが心の奥で欲しがっていたもの。
「―――私はずっとお前が好きだったよ。可愛い存在として、とても大切にしてきた」
前だけを見て、そして誰よりも強く。真っ直ぐに生きてきたパーシバルにとっての、弱さと癒し。それは。それは……
「お前には不思議な魅力があった。傍にいる者をひどく優しくさせる、ひどく暖かくさせる…殺伐とした世界に生きていた私には…随分と心安らぐ存在だったよ」
誰よりも強くあろうと、どんな時でも騎士であり続けようとした心が。心がふとした瞬間に求めたものが。前だけを見ようとしてそして振り返った先にあったものが。

―――それがパーシバルにとっての『お前』の存在だった……


「でもそれを思ったのは私だけではなかった」
「―――王子?」
「パーシバルもそう思っていた。私以上にお前の存在に救われていた」
「…そ、そんな事は……」
「それが、私には羨ましくもあり…憎くもあった」
「…王子……」
「殺したいと、思うほどまでにね」



王子の瞳が僕を見つめ、そして静かに微笑んだ。その瞬間に僕は分かった。王子がこの言葉を本気で言っている事を。本気で僕に…告げている事を。
「…何でそんな事を言うのですか?……」
あの人は王子のものなのに。全て王子のものなのに。あの人の全てを手に入れているのに、どうして。どうして僕にそんな事を言うのか。
「―――お前が私からパーシバルを奪うから」
「…何で…どうして…そんな……」
貴方は王子だけのもの。貴方の心は王子だけに、向けられている。貴方の心に僕が…僕が入る隙間なんて何処にもないのに。それなのに。それなの、に。
「だって将軍は…将軍は王子の騎士ではないですか?王子だけの……」
「クレイン、ならば聴く。お前はパーシバルをどう思っている?表向きの答えを言うな。正直に言え」
王子の言葉にひとつ。ひとつ僕は息を飲みこんで。そして。そして、告げた。嘘偽りない想いを。王子に何を言おうとも、見破られてしまうのが分かっているならば本当の事を告げるしか他にないのだから。


「――――僕は…パーシバル様が…好きです……」



告げる瞳に迷いはなく。紫色の瞳はただひたむきに。
ひたむきに想いを告げる。ただひとつの、想いを。
それは私のこころを抉るほどに…真っ直ぐだった。


何時かこの少年が私の大切なものを奪ってゆくのだろうと。
「…好きです、僕は…あの人のことが……」
無垢なゆえの一途なゆえの想いが。私にはないその想いが。
「…好きなんです……」
何時かその背中の翼が、連れ去ってゆくだろうと。


「…王子しか見てないと分かっていても…僕はパーシバル様が好きなんです……」


私は泣けない子供だった。泣く事は人に立つ以上、許されない事だった。
他人に涙を見せる事は、出来なかった。そしてそれ以上に。

あまりにも醜いものを見過ぎて、汚い世界を見過ぎて。
涙なんてものが何処かへと消えてしまっていた。


「泣けるほどに…パーシバルが好きか?」
私には出来ない事だ。こんな風に無防備に涙を見せるなど。こんな風に躊躇う事無く自らの想いを剥き出しにするなど。
「…好きです…あの人が好きなんです……」
それは羨ましく、妬ましい。そして何よりも、尊いものだった。私がお前に癒されていたのは、その素直な剥き出しのこころだった。その真っ直ぐなこころだけが、私を癒し傷つけていた。
「ならば私から奪うか?」
「…奪えるならば…奪いたいです…例え敬愛する…王子であっても……」
「ならば奪え、私の前で」
真っ直ぐな瞳が見つめる先にあるもの。その瞳の先にあるもの。それを私では遮る事も障害になる事も、出来ないと分かった以上。
「…王子?……」
私の存在よりも彼を選ぶと言うのならば、それならば私から奪うがいい。私から奪ってみるが、いい。それこそがお前にとっての一番欲しいものだと言うのならば。
「その位しなければ…パーシバルは決してお前のものにはならないぞ」
小さく可愛いお前が。誰よりも護ってやりたいと思った存在が、私にとって一番の脅威になる。けれどもそれ以上に。それ以上にやはり私にとってお前は…。
「―――奪ってみろ…私から……」
どんなに憎いと思おうと、どんなに傷つけられようも…愛しい存在だったから……。


分かっていた。私ではパーシバルを癒せはしない。
主君として君臨し、そして支配する事は出来ても。

…そのこころを癒せるのはお前だけだ…クレイン……




「――――パーシバルだ…クレイン……」



王子の言葉に僕ははっとして顔を上げた。遠くから馬の蹄の音が聴こえてくる。その音が近付き、そして。
そしてエトルリア最高と言われる騎馬部隊が僕等の前に立ちはだかる。僕等の前に。


「…パーシバル…様……」


太陽の光が、その髪に零れる。きらきらと、零れる。
それを何よりも綺麗だと思いながら、僕は。
僕は近付いてくる貴方を見つめた。貴方だけを、見つめた。


――――ただ独り…貴方だけを……



あの頃のまま、いられたならば。あの頃の、何も知らない日々のまま。
ただ毎日が楽しく、ただしあわせで。そこにあるものは本当に、純粋な。
純粋な想いだけだった。国を思い、未来を語る。そんな思いだけだった。


それが今。今僕らはそれぞれの逃れられない想いを抱えながら、この場所に立っている。


ずっと僕は貴方だけを、見つめていた。貴方だけを、ずっと見ていた。
『ミルディン王子!生きておられたのか…?本当に…』
王子は迷う事無く貴方の前に立った。間違えて攻撃を受けるのを覚悟で。迷う事無く貴方の前に立ち、そして。そして騎馬隊に囲まれながらも、貴方の前にその正体を現した。
『長く心配をかけた…あの時私が暗殺された時から、もう一年以上になるか』
そして語られる真実。落馬事故ではなく暗殺されかけた事を、王子は淡々と語った。背筋が凍るほどの事実を、まるで他人事のように冷静に。冷静に、王子は語る。

それこそが、貴方の主君。貴方が永遠に、剣を捧げた相手。

そして貴方は信じられないと言った顔をしながらも、それでも喜びを隠しきれない表情で。王子だけを、見つめて。何よりも綺麗な瞳で、王子だけを見つめて。そして、微笑った。
ずっと見たかった、貴方の笑顔。ずっと見ていたかった貴方の笑顔。あの日以来無くしてしまった、貴方の笑顔。それを出来るのは王子だけ。それを造ることが出来るのは…王子だけ。


『どうかご命令を。私が剣をささげた主はあなた一人です。ミルディン王子』


貴方の瞳に迷いも曇りもなくなって。そして王子の前に跪き、その手を取り口付けた。その瞬間の貴方の顔を、僕はずっと忘れないだろう。どんなになっても、僕は忘れない。

僕の一番好きな貴方の顔。そして一番辛い貴方の、表情。

僕では作る事は出来ない。僕では見る事は、出来ない。何よりも誇らしく、そして清廉な貴方の騎士の顔。護るべきものを持つ、仕えるべき者を持つ、そんな貴方の笑顔を。僕は絶対に貴方に損な顔をさせることも、見る事も出来ないから。
このまま消えようと、思った。奪えと王子は言った。貴方を王子から、奪えと。けれども僕には出来ない。僕には、奪えない。
だって僕は今の貴方が何よりも好きだから。自分の進むべき道を、歩むべき道を持っている貴方が。そんな貴方が、好きだから。
だからこれで、いい。これでいいんだ。僕にとって一番好きな貴方がここに在る以上、それを壊す事なんて出来はしないから。
だからもう。もう、僕は消えよう。一番大切な貴方を、取り戻す事が…出来たから。


それでもこれだけは、伝えたかった。一言、伝えたかった。
ずっと貴方だけが、好きだったと。ずっと、貴方だけ見ていたと。
本当に僕はどうしようもないくらいに貴方が好きだって。
ずっと、ずっと、好きだったって。そして。そしてこれからも。
これからも貴方だけが、好きなんだと。


笑うなら笑ってもいい。本当に僕にとって一生に一度の恋だった。
本当にこの先誰か他の人を好きになれといわれても、きっと出来ない。
ううん、出来るはずがないんだ。だってこんなにも。
こんなにも僕のこころに貴方が刻まれ、そして植え付けられている。
馬鹿みたいに貴方の事だけを、想っている。それを若さゆえのものだと。
何も知らない子供だからと、言うのならば。言うの、ならば。

この胸の痛みを。このどうにも出来ない想いを。
誰か説明して欲しい。誰かちゃんと言葉にして欲しい。


しあわせなのかも、しれない。こんなに誰かを想える事は。
本当は僕は誰よりも、しあわせなのかもしれない。
こんなにも好きになれた人が、いるのだから。こんなにも。
こんなにも誰かを、愛する事が、出来たのだから。


こんな想いを、貴方がくれた。貴方だけが、僕にくれた。


パーシバル様、ずっと。ずっと僕は貴方が好きです。貴方だけが、好きです。誰に何を言われても、今。今この想いだけが、僕にとってのただひとつの真実なんです。ただひとつの本当の事なんです。誰に何を言われても、僕は。僕はずっと貴方を好きでいます。

無理だから。想いを止める事は、それだけは出来ないから。

貴方の事を思い出した事など一度も無かった。ずっと貴方の事を考えていたから。思い出すと言う行為すら、僕にはなかった。そのくらい貴方の存在で、貴方の存在だけで、僕は埋められているのです。貴方と言う名の水が、僕の全てに注がれているのです。



「…ずっと貴方が…好きでした…パーシバル様……」



貴方の顔が滲んで、そして歪んでゆく。喉から零れそうになる嗚咽を必死で堪えながら、僕は。僕は二人に気付かれないように、その場を去っていった。いや気付かれる事すらないだろう。あの二人には…ふたりにはもう…もう互い以外見えていないのだから。



真っ直ぐに私を見つめる深い蒼の瞳が、微かに揺れてるのを私は見逃さなかった。それは本当に僅かな揺れで、よっぽどの事が無ければ見逃してしまうほどの。それでも、私はその『揺れ』を決して見逃しはしなかった。
「…パーシバル……」
お前の想いは、伝わった。私が生きていた事への喜び、そして忠誠。あの頃のまま変わらない想いを私に真っ直ぐに伝えた。私に向けられるのただひたすらに、揺るぎ無い忠誠と騎士の誇り。それはあの頃と何一つ変わらないまま。そう、何一つ変わらない。
「…ミルディン王子……」
だからこそ。だからそこ、それが私にとって辛いものとなる。お前の想いがあの頃と何も変わらないままだと言う事が。何も、変わらないと言う事が。それはお前にとって私は永遠の主君だと、そう告げている以外の何物でもないから。
「――――お前は永遠に私の騎士か?」
「はい、私は永遠に王子の…王子だけの騎士です…」
その言葉に何一つ偽りは無い。何一つ、嘘は無い。だとしたらお前が見せた揺らぎは、ただひとつ。ただ、ひとつだけだ。それこそが、お前にとっての何よりもの障害なのだろう。私の騎士であることへの、障害。そして私にとっての何よりもの、傷。
「ならば何故お前の瞳は、揺らぐのだ?」
そうお前の心を奪い、そしてお前のこころに消えない傷と癒しを与えた…ただ独りの少年の存在。
「…王子…何を?……」
「私を見くびるでないよ、パーシバル。お前のその揺らぎに気付かないほど…私は、耄碌はしていない」
「――――」
「…お前にとって…そういう存在なのだな…クレインは…」
「!」
私の言葉に初めて。初めてお前は『部下』ではない生身の表情をした。それこそが…それこそがずっと。ずっと私が望んだものだった。私が、欲しかったものだった。けれどもそれは。それは私の手では、作り出す事は出来ない事もまた分かっていた。



どうして、と思った。何故だと、思った。どうして私の、心の奥底の想いを…王子は気付いたのか。気が、ついたのか?
「…王子…言われている意味が…分かりません……」
王子が私の前に現れた瞬間、全ての迷いが消えたはずだった。死んだはずの王子が生きていた。そして再び私は騎士として生きられる。迷いは何も、ないはずだった。
私は生涯王子のために剣を捧げ、そして生きてゆく。この命の続く限り永遠に。永遠に私は王子の騎士として生きてゆく。それ以上の願いも望みも何もない筈だった。
「分からぬか?ならば……」
その為ならば全てを捨てられると、その為ならば全てを切り捨てられると。今そう心の中で誓った。もうそれ以外のものは何も…何もないはずだった。
「ならば直接、逢うがいい」
そう何も、何もないはず。ない、はず?…違う、ないんだ。ないと言い切らなければいけないんだ。それ以外のものは切り捨て、他の想いは全て封じ込め…封じ込まなければ、ならない想いが…。そう封じ込まなければ、広がる想いが私には…私、には……。


愛する者よりも主君を選ぶ自分。
大切にしたかったものを傷つけてまでも。
自分を望んでくれた想いすらも。
その想いすらも、傷つけて、壊した自分。


…そんな私にお前を愛する資格はない。お前を想う資格などない……。


それでも、心の何処かで。何処かで、私は。
私は想っていた。想って、いた。
もう一度、お前に逢えるのだと。もう一度。
もう一度お前と同じ場所に立てるのだと。


――――王子の元へ行けば…お前にもう一度…逢えるのだと……


それが嬉しくもあり、不安でもあった。
もう一度お前に逢いたいと願いながら、もう二度と。
もう二度とお前には逢わないと決めていた。
その矛盾した想いが、確かに。確かに私には。
私には、あった。私の心の奥で、芽生えていた。


「…何を…王子?……」
ずっと私を見ていた瞳。紫色の綺麗な瞳。
「クレインを連れてきた」
ずっと私だけを追いかけていた瞳が。
「私よりもお前を選ぶと言った」
ただひたすらに愛しく、切ないのは。



「――――!クレインがいない…」


王子の視線の先にはただ森林があるだけだった。そこに見覚えのある姿は何処にもなかった。ただ生い茂る木々がそこにあるだけで。
「ここに来るまで、ともにいた…まさか……」
そこにお前の姿はなかった。金色の綺麗な髪も、真っ直ぐな紫色の瞳も。そこには。そこには、なかった。
「…まさか…何かあったのか?―――パーシバルっ?!」
お前が何処にも、いなかった。何処にも、なかった。


私は気付いたら駆け出していた。手に剣を握ったまま。
何よりも誰よりも優先すべき主君をそこに置いて。
置いたまま、私は気付いたらその姿を捜していた。
何も、何も、考える間もなく。ただお前の姿が見たくて。
お前の無事な姿が見たくて。何があったのではと思ったら。
…そう思ったら、私は。私は……。


…ああ…私は…こんな時になって気付くのか…こんな時になって…自分の本心に……


『パーシバル様、僕は貴方のお役に立ちたいんです』
何時も私を追いかけていた。ずっとお前が私を、追いかけていた。
『どんな些細な事でもいいから…僕は……』
それを何時しか私はこころのどこかで当たり前のように思っていたのかもしれない。
『―――貴方の役に立つ人間になりたいんです』
でも本当は。本当は私の方が。私の方がお前を、追いかけていた。


お前だけが私を癒した。お前だけが、私を包み込んだ。
お前だけが…私のこころの傷に気づき、そして。
そしてその両手で懸命に包み込んでいてくれた。



「――――やっとお前の翼が…埋まるな、パーシバル……」
お前の背中のもう一つの羽は、クレインの背中に生えている。足りないものはあの少年が持っている。そう、お前に足りないもの、それは『自分自身』。
「…私ではやはり与えてやれなかった…それでも……」
お前には自分自身がない。何時も公を優先し、騎士としての全てを優先する。自分自身の思いや欲は全て排除し、公人として騎士として生きてきた。

私はそんなお前が好きだった。何よりも綺麗な心を持つ、そんなお前が好きだった。


お前には欲望がないから、だから何よりも綺麗で洗練だった。
だからこそ、そんなお前に惹かれ、何よりも焦がれた。何よりも欲しかった。
そんなお前の『生身』が見たくて。欠けているその部分が見たくて。
私はどうしたらお前の全てを手に入れられるか、そんな事を本気で考えていた。


けれどもそうする事で気付かされた。それを考えた事によって、全てが見えてきた。お前の生身の、一番人間らしい部分は。それはクレインのそばに…いや彼が、持っていた。
「…それでもパーシバル…私は……」
唯一お前の『生身』を引き出せる人間。唯一お前の騎士である心よりも、自らの想いを優先させる事が出来る人間。クレインだけが、それをなしえた。無垢で一途なその想いだけが。それだけが、お前の奥底の抑えていたものを…引き出した。
それだけのことだ。それだけのことだった。お前の片翼は、クレインの背中に生えていた。ただそれだけの事。けれども。


けれども私も欲しかった。お前が、欲しかった。
その背中の翼をもぎ取ってまでも、そばに。
そばに置けるならば、おいておきたかった。けれども。


けれども今、この瞬間お前は気付き、そして。そして選んだ。ただひとつの片翼を。


ならば私が出来る事は、ただひとつ。
ただひとつ、お前の主君になろう。お前が望む。
お前が望む完璧な主君に、なろう。それだけが。
それだけが、今の私に出来る事ならば。それでも。




「…私は…お前を愛していたよ…パーシバル……」




お前の全てが埋まるならば。埋められるのならば。
それを見届けてやるのもまた。また、想いなのだと。



――――何時しかお前に…気付いて欲しい……