原罪



―――――私の望みはただひとつ。ただひとつ、あなたの傍でこの命を静かに終わらせる事。


生きていてさえいればそれだけでいいと、そんな傲慢ともすら思える願いを幾千もの夜、繰り返し祈り続けた。祈り、願い、諦めきれずにもがき続けた。どんな些細な事でもいい、どんな小さな破片でもいい…私は『あなた』と名のつくもの全てをただひたすらに捜し続けた。
「…エメリナ様……」
愛される事、愛する事、そんな甘い幻想を夢見ていた頃が今はひどく懐かしかった。叶わない望みだと気付いた瞬間にそんな心地よい夢想は静かに終わりを告げ、私は『騎士』になる事を誓った。このひとを護る事、それが私の全てなのだと誓った。
「…は、…い……」
心に込み上げ溢れて零れる想いを必死にすり替えて、貴女をただひたすらに護るのだと。ただそれだけを胸に誓い、生きてきた――――貴女を失うその日まで。
「…エメリナ様…どんなになっても私は貴女をお護ります。どんなになろうとも私が貴女のそばに……」
私にとっての生きる意味が貴女の存在だった。貴女の優しい笑顔だった。貴女の強い意志だった。どんなにそれが脆く壊れやすい理想という名の上に成り立つものであっても、それでも私は護りたかった。どんなになろうとも、貴女をこの両腕で。
「………」
「これからはずっと貴女のおそばにいます。もう離れません…私は死ぬまで永遠に貴女の騎士です…貴女だけの騎士です……」
抱きしめる事は許されない私にとっての永遠の主君で、永遠の女。ただひとりの運命の人。私は貴女の為だけに生きて、そして貴女の為だけに死んでゆく。そんなどうしようもない独りよがりな願いこそが、貴女を愛したこの愚かな男のただひとつの願いだ。貴女を愛した私のただひとつの、望みだ。


――――白く細いその指先に口づける事だけが、憐れな私に許されたただひとつの行為だった。


貴女が、そっと微笑う。穏やかに微笑う。その奥に秘められた強い意志を、私はどうしても『捨てろ』とは告げられなかった。
『ありがとう、フレデリク…貴方には感謝しています。本当に、ありがとう』
細く華奢なその肩に圧し掛かる運命の重さと、その足が歩もうとする今にも切れそうな一本の糸。その全てが私の瞳には嫌という程鮮やかに映っている。けれども私にはそれを追い払う事も、切り捨てる事も出来ない。
『貴方がいてくれるから、私は『聖王』でいられます。貴方がずっとクロムとリズを護っていてくれるから』
けれども私は貴女自身を護る事が出来ない。出来るとはこんな風に貴女の負担を少しでも和らげる事だけ。貴女自身に襲いかかる、見えない鋭い刃物を私はどうする事も出来ない。
『―――いえ、もったいないお言葉です…エメリナ様…私はまだまだ未熟です……』
瞳を重ねれば、少しだけ時間が戻ったような気がした。まだ貴女が『聖王』になる前のただの少女だったあの頃に。私も騎士ではなくただの貴女に恋をする少年だったあの頃に。
『同じです、私もまだまだ未熟です。この国を護る王としての器は私にはありません。けれども…それでも私はこの場所から逃げたくはありません。だからフレデリク…』
貴女の瞳はずっと優しかった。貴女の瞳はずっと淋しかった。それはあの頃からずっと。ずっと変わらない事。それはきっと貴女は自らに課せられた運命を知っていたから。
『…これからも、二人の事をお願いします……』
それが貴女の願いならば私は自らの全てを掛けて二人をお守りしよう。それが私にとって貴女に出来るただひとつの事ならば。貴女の理想を捨てろとも告げられず、それでも貴女だけを護りたいと願う…矛盾した私にとってただひとつ明確に出来る事ならば。


―――――この手を取り、世界の果てまで逃げる事が出来たならば。あなたとふたり、何処までも全てを捨てて逃げる事が出来たならば。


生きてさえいればいいと、貴女がこの世界に存在してくれればそれだけでいいと、それだけでいいと思っていた筈なのに。
「…貴女の理想を…私は誰よりも理解していた筈なのに…なのに…私は貴女に全てを背負わせてしまった……っ……」
なのに私は望んでしまう。貴女の笑顔を貴女の声を、貴女の微笑みを…貴女の優しく淋しい瞳を……。
「…貴女の願いを否定しても私は貴女のそばにいるべきだった…どんなになろうとも私は貴女のそばに……」
騎士である事よりも愛する人を護る男である事を選んでいれば、私はこの手を取って何処までも逃げていたのかもしれない。何処までも卑怯な男であったならば、貴女をこんな表舞台に立たせなかったかもしれない。けれども貴女の綺麗な心は、それを許しはしないから。
「…綺麗な死なんかよりも…醜くてもいいから生を貴女には選んで欲しかったなんて…そんなの私のエゴでしかないと分かっていても…生きて欲しかった…生きていて欲しかった…貴女の望む理想とする世界でなくても、それでも生きていて欲しかった…っ!」
貴女の犠牲の上に成り立つ世界に、一体何処に真実の平和があるのだろうか?醜くても這いつくばっても生きて、そして作り上げて欲しかった。綺麗でなくてもいい、優しくなくてもいい、それでも貴女自身の手でこの世界を。それを私は見たかった。それを見る事が出来たならば、この永遠の恋も忠誠という名のものにすり替えられたかもしれない。私の騎士としての唯一の誇りになれたかもしれない。けれども。
「…それでも貴女は…貴女は……」
喉の奥から込み上げてくる熱いうねりを、私は沈める事が出来なかった。出来ずにそれは目尻から雫となって溢れてくる。止めどなく溢れてくる。ただ、ただ溢れて流れてくる。
「…『聖王』として…生きたのですね…生きて…死んでいったのですね……」
ここにいる貴女は『聖王』でも『エメリナ様』でもないただひとりの『ひと』だ。記憶をなくしたただの少女だ。けれども。
「…それでも…エメリナ様です…私にとっては…貴女はエメリナ様です…ただひとりの…私の全てを掛けて護ると誓ったただひとりの…主君で…そして……」
永遠の片思いでもいい。甘い夢想など、永遠に夢のままでもいい。私の愚かな恋心など、ただの妄想でもいい。だから、だから。
「…ただひとり…私が愛したひとです………」
だから、生きてください。もう一度微笑ってください。貴女にとって優しくない世界でも、貴女にとって辛い世界でも、それでも。それでももう一度『生きて』ください。この世界の中で。


――――その為ならば私はどんな事でもするから。どんなことだって、出来るから。


そっと、白い手が伸ばされる。
「…よし、よし……」
白い指先が、そっと。そっと頭を撫でる。
「…よし…よし……」
それは哀しい程に、優しかった。


何時しか貴女は、あの瞳をまた見せてくれるのだろうか?何よりも綺麗でそして何処か淋しいあの瞳を。その時私は貴女の瞳にはどう映っているのだろうか?貴女を護る立派な騎士なのか、それとも貴女に恋をするただの愚かな一人の男なのだろうか?けれどもどんな姿であろうとも、私は貴女のそばにいる。どんなになろうとも貴女のそばに。そばに、いる。


―――――そして貴女のそばで静かにこの命を終わらせたい。愛する貴女のそばで。それだけが私の望み。騎士である事よりも恋する事を選んだ愚かな男の…ただひとつの望みだった。