――――初めから答えなんて、ひとつしかなかったのに……
思考の迷路の中に迷い込み、その答えを出す事が出来ずにもがいている。どうしていいのか分からずに、ただ気付いてしまった想いを反芻してはその先に在るものを思い描き、そして否定した。違うんだと、否定する。けれどもどんなに否定しようとも、無駄でしかなかった。
『…俺『は』…好きだ……』
言葉にして声にして、気付いた事。覚えた違和感の先にあったものの存在に気付いたその瞬間。けれども分からない。どうしていいのか分からない。どうすればいいのか分からなくて、ただ。ただ、想いの意味を確かめる為に心の中で繰り返す事しか出来なかった。
「―――駄目だ、それは…だって俺たちは『相棒』だろ?」
口にして見てその言葉の重みを実感した。やっと出逢えた迷うことなく背中を預けられる相手。アリティアの騎士としてともに戦い互いを高め合える相手。やっと出逢う事の出来た理想の相棒。それなのに自分は。
「…何で俺…こんな……」
どうしてこんなに想いが溢れてくるのだろう。どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。どうしてこんなにも、切なくてもどかしいのだろう?どうして、こんなにも。
「駄目だ、こんなんじゃ俺―――もっとしっかりしないと」
首を左右に振って気持ちを切り替える。そうだこんなんじゃいけない。自分が進むと決めた道は、険しく厳しい。そんな時にこんな。こんな感情を覚えるなんて許されはしない。
もう一度首を振って、カインは込み上げてくるものを必死になって否定した。それは騎士としてこれから進もうとする自分にとっては必要とはしない感情なのだから…。
淫らな夢を見て何度も頭の中で犯している。その屈託のない笑みを苦痛と快楽に歪ませ、その唇に自らの名前を呼ばせ、何度も何度も貫いて―――そしてそのまま、きつく抱きしめて……。
紅い髪が風に揺れる。まるで炎のような紅い髪。それ以上に真っすぐで、それ以上に熱い紅い瞳。その瞳が逸らされることなく相手を射抜き、全力で剣を振るう。どんなに格下相手でも手を抜く事はなく、全力で立ち向かってゆく。何時でも、どんな時でも。そんな不器用とも思える懸命さを羨ましいと思いつつも、何処か苛立つ自分がいる。誰に対しても同じように、懸命である事が。誰にでも同じように、真っすぐな事が。
「―――お疲れ、カイン」
訓練を終えタオルで汗を拭う相手に声を掛ければ、はぁはぁと荒い息とともに視線が自分へと向けられる。微かに上気した表情にどうしようもなく色香を感じる自分を、どうしようもない程に愚かだと思いながら。
「…あ、アベル……」
「相変わらず君は、真面目だな」
褒めているのか皮肉で言っているのか、それとも別の感情で言っているのかは、自分には分からなかった。ただどうやろうとも自分は彼と同じには出来ない。ある意味対極の相手だった。
どんな相手にも全力で向かう彼と、相手の力量を見据えて最小限の労力で戦おうとする自分。だからこそこうして。こうして正反対だからこそ、見えてくるものがあるのだろう。互いのない部分を補い合える関係。そして何よりも互いの力量を分かっている相手。だからこそ、背中を預けられる唯一の相手だと互いが認めたのだから。
「戦うしか能がないから。お前と違って頭良くないし」
「それは皮肉か?」
「褒めているんだ。俺は考えるよりも先に身体が出てしまう。だから―――」
何かを言いかけた唇が不意に止まった。常に頭よりも先に言葉が出る彼にしては、それはひどく珍しいもので。その先を促すように瞳を見つめたら…そっと瞼が閉じられた。そしてきつく唇を閉じる。何かを飲み込むかのように。
「…だから、俺は…いや何でもない。俺ちょっと急いでいるから…じゃあな!」
そして瞼と同時に開かれた唇から出た言葉はひどく。ひどく、ぎこちないものだった。
――――羨ましくて、妬ましくて、それ以上に眩しくて。目を細めるのが悔しかったから、その手を掴んだ。掴んで、自分と同じ場所へと引きずり下ろした。
掴まれた手の予想外の強さに、カインは驚いて目を見開く。けれども掴んだ相手の顔はひどく冷静で、それが逆に怖かった。初めて目の前の相手を怖いと思った。
「…アベル?……」
自分でもみっともない程に動揺しているのが分かる。声だけじゃない、身体全体がそう告げている。
「君はすぐに思っている事が顔に出るから、分かりやすくていい」
「そっ、それは俺が単純って事か?!」
「そういう事じゃないよ」
見慣れている筈の穏やかな笑みなのに、自分が追い詰められているような気分になる。それを背中に当たる壁の冷たさのせいだと思おうとしたが無駄だった。相手の空いた方の手が壁を押さえ、自分の身体を逃げられないように囲んだせいで。
「俺は君に何かをしたのか?カイン」
「…何言って……」
「何じゃないよ。こんなにも分かりやすく俺を避けようとしているのだもの。そう思うのが普通だろう?」
真っすぐに見つめる視線の強さに、カインは瞼を閉じずにはいられなかった。普段ならこんな事があれば迷わず相手を見返す自分にとって。それはどんなに不自然なことだろう。けれども今瞳を閉じなければ、全てが見透かされてしまいそうで。全てが、暴かれてしまいそうで。
「…そんなのお前の気のせいだ……」
「―――強情だな、君も。でもそんな所が俺は…好きなのだけれどね」
好きという言葉にびくりと自分の心が反応する。その言葉の意味に、他意などない筈なのに。それなのに、自分は……
噛みつくように口づけて、その唇を奪って。君の言葉を閉じ込めて、伝わる真実だけが欲しい。唇から伝わる真実だけが、欲しい。
きつく閉じられた瞼と瞳を見たら、強引にそれをこじ開けたくなった。閉じられた先に在るものを見たくなった。そう思ったら、止められなかった。きつく手首を掴んだまま。そのまま、覆いかぶさるように閉じられた唇に口づけた。
「――――っ!」
唇を重ねたまま薄く瞼を開けば驚いたように見開かれる紅い瞳がある。それをひどく綺麗だと思いながら、そのままゆっくりと瞼を閉じた。綺麗な瞳を瞼の裏に焼きつけながら。
「…んっ!んんんっ!」
やっと自らの置かれた状況に気付いたのか、必死になって身体をはがそうとする。けれども壁に押し付けていたお陰で、相手の思うように身動きは取れなかった。それをいい事に強引に舌を忍び込ませ、口中を貪った。
「…んんっ…んんんっ……」
きっとキスなんてしたことないのだろう。やり方すら分からないのだろう。そんな何も知らない相手を自分が好きなようにしているのだと思ったら、ひどく満たされた。暗い悦びで満たされた。
「…はぁっ…ぁっ……」
息すら奪うほど口内を貪って抵抗を閉じ込めた所で、唇を解放した。呑み切れない唾液が口許を伝う。それを舌で舐め取っても、抵抗する事はなかった。ただ茫然と、潤んだ瞳で自分を見つめるだけで。
「君が答えないから、ココに聴いてみた」
指先が濡れた唇を辿る。触れた瞬間にぴくんっと肩が震えるのをひどく冷静な気持ちで見ている自分がいた。ひどく冷静な気持ちで相手を観察している自分がいた。
「…アベ…ル……何で……」
「何で?だって君が答えないから」
潤んだ瞳も、上気した頬も、微かに喘ぐ唇も、そのどれもこれもが頭に描いていたものよりも、ずっと。ずっと欲情するものだった。想像よりもずっと現実は劣情を呼び起こすもので。このまま。このまま無茶苦茶にしてしまいたいと思うほどに。
全部暴いてしまいたい。全てを暴いてしまいたい。その心も身体も、全てを。そうしたら俺は全てが満たされるの?君の全部を手に入れられたならば。
離れた唇の感触が消えなくて、どうやっても消えなくて。けれども目を瞑ればまた唇が奪われるような気がして、出来なかった。
「…俺は……」
全てを見透かすような碧色の瞳。ううん、きっと。きっと全てが見透かされている。だからこんな風に。こんな風に自分にキスをしたんだ。この想いが、見透かされているから。
「…アベル…お前が……」
もう相棒ではいられない。もう友ではいられない。初めて背中を預けられると思った相手なのに。やっと見つけた相手なのに。それなのにこうして違う想いが生まれ、その相手を自分自身が否定している。もっと違うものを…望んでしまっているせいで。
「俺は…お前が……」
でも逃げられない。でも逃れられない。この視線に嘘はつけない。全てを見透かされた瞳の前では、きっと。きっと自分はちっぽけで無力なんだ。だから。
「…好き…なんだ……」
―――もしも、なんて意味がない。そんな仮定には意味がなかった。だって答えはひとつしかないのだから。ひとつしか、ないのだから。この気持ちの答えはひとつしかない。
気付いてしまった気持ちに。内側から目覚めてしまった想いに。
「…俺はお前が…好きなんだ……」
どうしていいのか分からなくて。どうすればいいのか分からなくて。
「…相棒じゃない…友でもない…もっと別の……」
立ち止まる事も出来ずに、振り返る事も出来ずに、ただ。
「…別のものに…なりたいって…そんな風に……」
ただこうして想いを。こうして言葉を。伝える事しか出来ないから。
――――何処にゆくのか、何処に辿りつくのか、分からない。分からないけれど、これが答えだ。この想いだけが、答えなんだ。