太陽



『こんな事、なんでもないよ。平気だよ…俺別に女じゃないし、だから…だから笑ってよ。よくやったって俺を褒めてくれよ…』


何時でもお前は俺に言う。頑張ったから、褒めてくれと。それは時にとても小さな些細な事だったり、身の丈に合わないほどの大きな出来事だったり、様々な事柄を俺に告げて、そして言う―――頑張ったから、褒めてくれと。
「これであの娘の薬代、払えるね」
差し出した金貨と向けられる無垢な笑顔。どんな場面でもどんな瞬間でもお前はこの笑顔を俺に向ける。それはまるで太陽のような眩しい笑顔だった。
「…ラディ……」
「これで払えるよ、良かったねシーザ」
真っ直ぐな視線、真っ直ぐな笑顔。そしてその先にお前が告げる言葉を俺は知っている。そうだ、何時ものようにお前は俺に告げる。
「…俺…頑張ったよ…だから褒めてくれるよな…」
苦しい程の笑顔でお前は告げる。残酷なほどの無垢な笑顔で、俺に告げる。それが何一つ変わらない事が、何よりも苦しかった。


光のない闇だけが支配するこの空間で、散らばるようにシーツの上に吐き出された男たちの欲望だけが、ただ一つのこの部屋に在る歪んだ色彩だった。そのシーツの上に動く事すら億劫とでも言うようにだらしなく脚を広げ、身体中に朱の痕を散らばらせながら見上げてくる紅い瞳。その瞳だけが嫌になるほどに純粋で綺麗だった。全てが乱れ穢れた空間の中で、それだけがぽつんとひとつ、透明だった。
「褒めてくれるよな。シーザ」
向けられる笑顔の純粋さと、子供のような笑顔。けれども今抱きしめれば何時もの陽だまりの匂いはしない。他の男たちの精液の匂いがするだけだ。けれども、それでも。
「…ラディ……」
抱きしめた。きつく、抱きしめた。他の男たちが貪った身体。欲望を吐き出した身体。汗の匂いがまだ残っている身体。それでも抱きしめる。だって、これは俺だけのものだから。

――――お前は俺だけの、ものだ……

息すら出来なくなるほどきつく抱きしめても、きっと。きっとお前は分からない。永遠にお前には分からない。
「…何でこんな事をした?こんな風に稼いだ金を受け取って俺が喜ぶと思ったのか?…」
「嬉しくないの?だってあんたお金、どうしても必要だったんだろ?」
「だからってこんな―――っ!」
手が、伸びてくる。そのまま俺の髪に触れる。そうして向けられる瞳に映る俺の顔は自分でも哀れになるほどに醜い顔をしている。そしてそんな俺を映しだすお前の瞳は、ひどく怯えていた。まるで叱られた子供のように。
「…俺はあんたの役に立ちたいんだ。その為なら何だってする…それにこんな事俺女じゃないし平気だ…それよりもあの娘の薬の方がずっとずっと大事だ」
髪に絡まる指先は、ずっと昔からのお前の癖だった。こうして俺の髪に触れる事が、安心材料とでも言うように。
「あの娘と、あんたの方がずっと大事だ」
褒めてくれると思ったのだろう。よくやった、ありがとうと。俺の役に立てる事が何よりものお前にとっての『大事』な事だから。けれどもそれは叶わずに俺に叱られ、不安になってこうして髪に指を絡めてくる。縋るように、その指先を。
「――――ラディ…お前は……」
そんなお前にはきっと。きっと一生分からない。きっと永遠に理解出来ない。俺の想いを、俺の願いを。俺のただ一つの気持ちを。
「大事なんだ、俺にとっては」
お前がそう告げる言葉以上に、俺にとってお前の存在はかけがえのないもので、そして。そしてお前が想像すら出来ないほどに。俺はお前を独占したいと願っている。醜い程の欲望で、自分だけのものにして、何処へもやらずにこの腕の中に閉じ込めてしまいたいと。


太陽の匂いのするその髪も。真っ直ぐに見つめてくる紅い瞳も。しなやかに駆けるその脚も。剣を握るその指先すらも、全て。その全てを、この腕の中に。


お前の無邪気な純粋さは、何時も俺を傷つける。
「…それでももう…こんな事はするな……」
俺だけに向けてくる、ただひとつのその想いが。
「…あんたがそう言うなら…もうしない……」
傷つき、狂わせ、そして。そして壊してゆく。


「…しないよ、シーザ。俺は…俺はあんたの喜ぶ顔が見たいんだ」



どうしたらあんたに喜んでもらえるんだ?俺その為なら何だって出来るよ。だって俺はあんたの相棒だもん。だから、だから。何でもするよ。あんたの為なら俺、何でも出来るよ。
「―――絶対にこんな事はするな。ラディ」
俺その為に頑張ったのに。本当はあんた以外の男とセックスするなんて嫌だったけれど、それでも大金が入るからって。あの娘の薬代分稼げるからって。だから、セックスしたのに。なのに俺はあんたを喜ばせられなかった。あんたにこんな顔をさせてしまった。違う、俺は。俺はただ喜んで欲しかっただけなのに。それなのに、こんなにも。こんなにも苦しそうな顔をさせてしまった。俺のせいで。他の誰でもない俺自身があんたに。
「しない。もうしないよ。だからそんな顔しないで。お願いだから」
大好きなシーザ。本当に俺はあんたが大好きなんだ。あんたの為なら何だって出来るから。何だってするから。だからお願い、何時ものように微笑って。俺が一番大好きな静かで優しいあの笑みを見せて。――――大好きな笑顔を、見せて。


髪に絡まった指先が離れて、そのまま。そのまま互いの指先に絡まった。差し出した金貨は弾けるような音とともに床に散らばる。けれどもそれを拾い上げることよりも、今は。今は触れてくる唇の方が大事だった。重なり合う唇の方が、大切だった。

――――大事なものなんて、他にない。あんたよりも大切なものなんて俺にはないから。

触れて離れる唇は、ひどく切なくひどく苦しい。そこに甘い疼きはなくて、ただ。ただ胸の底が抉られるだけだった。痛い程に引き裂かれ、苦しい程に貫かれ、そして。そしてどうしようもない感情だけが、湧き上がってくる。どうにもならない想いだけが、身体中を駆け巡る。


「…好きだよ、シーザ…大好き……」


そう告げる瞳は何処までも真っ直ぐで、何処までも純粋で。嘘も偽りも何一つないただひとつの想いだった。綺麗過ぎて残酷な、ただひとつの愛だった。