one more kiss・2



―――――目覚めのキスは、優しくてそして切ない。だからこそ願った。もう一度、と。もう一度キスをして、と。


別れの言葉はなかった。友情は永遠に続くものだから。だからさよならはなかった。けれども確かに終わったものがある。二人の中で誰にも告げることなく、誰にも知られる事なく、終わった事がある。

―――――…している…カイン……

抱かれた後、意識が途切れる寸前にひとつ告げられた言葉。その言葉だけが二人の秘密を知っている。



汗でべとついた真っ赤な髪を掻き上げながら、意識なく閉じられたその顔をロディは見つめる。前髪を上げて暴かれた形良い額に唇を落として、目を閉じてもなお強い意志が込められているその顔を見つめた。
「――――貴方は何も覚えていないのでしょうけど…ずっと私は貴方を……」
その先を言いかけて、けれども諦めてロディは口を閉じた。その先の言葉を告げた所でどうにもならない事は分かっている。どんな理由であろうともどんな状況であろうとも、上官である相手をレイプした事実は消えない。無理やり犯した罪は消えない。
それでも欲しかったんだと。このひとがどうしても欲しかったんだと。ただそれだけを告げればいい。それだけが、伝わればいい。
「好きですよ、ずっと貴方だけを。私は―――」
もう一度意識のない唇にひとつ唇を落とした。それは何処か切なくて、そして苦しかった。


騎士になろうと決めたのは、家族を養うためだった。貧乏な家の子供が金を稼ぐ手段は多くはない。汚い手や身体を使えば手っ取り早く稼ぐ事も出来ただろうが、そんな汚れたお金で親や兄弟を食べさせたとしても、それが知られた時の家族の悲しみを思えば手を出す事は出来なかった。
貧しいからこそ、きちんとしたお金を稼ぎたかった。貧しくても努力をすればちゃんとしたお金を手にする事が出来るんだという事を証明したかった。だから迷わずに騎士になる事を決めた。そして、それ以上に。それ以上に確かめたい事があった。確かめたかった事があった。だから、騎士になった。

――――人の命に違いなどない。この地に生を受けた命は全て平等だ。何一つ、違いはない。

自分の生を呪った事は一度もなかった。生まれながらに貧しかった家を恨む事もなかった。どんな生まれであろうともどんなに貧しくとも、この生を祝福してくれた両親がいる。愛してくれる家族がいる。それだけで、生まれてきてよかったんだと自分は思いながらこうして生きてきた。誰に否定される事も何を否定する事もなく、こうして生きてきた。
「―――金がいるのだろう?だったら、どうすればよいのか君ならば分かるだろう?」
脂ぎった唇がぬるぬると蠢き、それがひどく醜い生き物のように思えて吐き気がした。このまま唾を吐きだして、その醜く太った顔に吐きつけたいとも思った。
「言っている意味が分かりません」
「ククク、これはまた可愛い事を言う…まあよい。何も分からぬ子供でもないだろう?」
近づいてくる息すら臭く、顔を背けたくなった。その巨体が近づくたびに趣味の悪い金色のネックレスがジャラジャラと音を立てる。無駄なほど着飾り自分の財力を誇示する醜い塊―――それが『貴族』という存在ならばあまりにも哀れで無意味なものだと思った。
「用がそれだけならば、失礼します」
「待て、私を誰だ思っているっ!逃がさんぞっ!!」
踵を返して屋敷を後にしようとした瞬間、きつくを手首を掴まれた。それを振り解いて扉を開けた瞬間、頑強な大男が二人そこに立っていた。
「…な……」
「ククク、聞き分けのない子にはお仕置きせねばならんな…連れてゆけ」
「は、離せっ!!」
「安心しろ…後でたっぷりと可愛がってやるからな、ククク」
両腕を背後からがっちりと掴まれ、そのまま抵抗する間もなく連れて行かれた――――地獄の入口へと。


それからの事は思い出すのも吐き気のする日々だった。屋敷の地下と思われる場所に閉じ込められた同じ年ごろの少年たち。皆虚ろな目をし、まるで人形のようだった。そんな人形たちを玩具のように弄ぶ貴族たち。抵抗する気力すらなくし、脚を開いて凌辱を受け入れる人形たち。そしてそんな貴族たちがいなくなれば、門番達に犯される日々。その部屋は何時も精液の匂いだけが充満し、男たちの満足気に吐き出す荒い息と、少年たちの懇願に似た喘ぎだけが、世界の音の全てになっていた。
「―――全くお前は何時までたっても、生意気な目をしているな。まあ、その方が屈服しがいもあるがな、はははっ!!」
伸しかかる巨体を見たくなくて目を閉じれば、それを許さないとでも言うように激しく突き上げられる。前戯すらされずに乾いた器官に醜い肉棒が突き入れられ、耐え切れずにソコからは真っ赤な血が滴った。
「幾ら睨んでも無駄さ。所詮お前らはこうする事しか価値のない者どもだからな。我々選ばれた貴族様とは違うんだ」
はあはあと息遣いが荒くなり、腰を振る動きが激しくなる。その姿はただの―――醜い豚でしかない。それなのにこの豚は言う『偉い貴族様』だと。
「ほらっ出してやろう。貴族様の精液だ、ありがたく受け止めるんだな」
人の命に違いなんてない。どんな命も同じようにかけがえのない大切なものだ。なのに『貴族様』はこうして自分たちを欲望の玩具にする。それが当然だというように、当たり前だというように。
「ち、何だこいつ…壊れちまったな。おまけにヤリすぎでガバガバだせ。捨てちまうか」
「貧乏な子供なんて変わりはいくらでもいる。また買ってこればいいさ。こいつはもう使い物にならない―――捨てちまいな」
「―――っ!」
その言葉に目を見開き伸しかかる巨体を跳ねのけようとしても、それは叶わなかった。再び最奥まで貫かれ、言葉を奪う。悲鳴に似た喘ぎにすり替えられる。

――――手を伸ばしたのに。せいいっぱい、この手を伸ばしたのに。

空っぽの人形がまたひとつ、この部屋から消えてゆく。壊れて動かなくなった人形が。そしてまた。また新しい玩具がやってくる。貴族様に犯される為だけに。欲望の玩具にされる為だけに。
人の命に違いなんてない。貧しく生まれた事を恨んだ事もない。自らの生を呪った事などない。けれども、けれどももう…もう限界だ。どうして貧しく生まれただけで、こんな目にあう?貴族だというだけで全てが許される?どうして、どうして?命に違いなんてない筈なのに、どうして?

「・・・ハハハ・・・・ハハハハハハハハハハっ!!!!!」

腹の底から声が出た。可笑しくて声が出た。もう私は狂ってしまったのかもしれない。あの捨てられた人形たちのように、狂ってしまったのかもしれない。狂って―――――
「何だこいつも壊れたか。せっかくイイ具合だったのによぉ。仕方ないこいつもおさらばか」
手を掴まれる。重たい身体が引きずられる。このまま何処に連れて行かれるのか分からない。でも終わりだ。これでこの地獄の日々からは、逃れられる。もうこんな奴らに身体を開かなくていい。もう…もう……
「――――これまでだっ!!!!お前らっこんなっこんな許さんっ!!!!!!」
突然眩しい光が一面に広がった。――――否、広がった気がしただけだった。けれども確かにそれは強い光だった。


曖昧な記憶の中で瞼に焼き付いたのは鮮やかな紅い髪。真っ直ぐな揺るぎない瞳。そして。そしてみすぼらしく惨めな玩具である私達の為に流された涙。
「…何で…こんな…こんな…お前らは生かして帰さんぞっ!!」
「げっ、アリティア騎士団…何でこんな所に…」
「ふざけるなっ私達は貴族様だっ!!あんたら騎士なんかに手を出せる相手ではないっ!!!!」
「だそうだ、カイン。だが残念だな…俺たちも哀しい事にあんたらと同じどうしようもない『貴族様』なんだ」
「…そんな事は…どうでもいいアベル…それよりも……」

「――――人の命に違いなどない。この地に生を受けた命は全て平等だ。何一つ、違いはない!!!」

ああ、その言葉は本当なのですか?本当なのですか?ならばどうして。どうして、私達はこんな目にあうんですか?教えてください。教えて、ください。
「俺は絶対にこんな事は許さないっ!!!」
泣く事すら諦めた私達の代わりに泣きながら、醜い豚を殺める貴方にその答えを聴きたい。曇る事のない真っ直ぐな瞳を持つ貴方にその答えを聴きたい。本当に命に違いはないのですか?命の重みは同じなのですか?それを、聴きたい。

―――――曇り一つない真っ直ぐな紅い瞳を持つ、貴方に聴きたい……


胸を抉られる記憶の中で、ただひとつだけ鮮やかに浮かぶものがある。それが苦しみよりももっと違う想いが湧き上がってきた瞬間、それを確かめたいと思うようになった。確かめたいのだと。
「…あの中に私はいたのですよ…貴方は気付かなかったでしょうが……」
絶望の中に現れた光に恋をしたなんて、あまりにも俗世過ぎて笑いが止まらなかった。けれども不思議と生きている事を実感した。思い違いだろうと思い込みだろうと、恋をしたという事実に生を感じた。自分は生きているんだと、感じた。
「…貴方の涙に…恋をしたのです……」
同じだと思った。あれほど憎み嫌悪感しかない『貴族様』たちと自分は同じなんだと。こうして無理やり犯した事はどんな理由であろうとも『同じ』なんだと。


――――それでも貴方は告げてくれますか?命に違いはないんだと、言ってくれますか?


もう一度キスをしたくて、その髪に触れる。そっと、触れる。まるで宝物に触れるように、そっと。そっと、触れた。