one more kiss・3



泣き顔で微笑うから、どうすればいいのか分からなかった。最期にそんな顔を見せるから、俺はどうすればいいのか…分からなかった。


この関係に明確な区切りも境界線もなくて、ただ一本の見えない透明な糸で結ばれているだけだった。だから、簡単だった。この糸を千切るのも、何もなかった事にするのも。とても、とても簡単だった。なのにお前は、微笑うから。泣き顔で、微笑うから…。
『―――元気でな、カイン。軍を離れても俺はずっと君を見ているよ』
差し出された手のひらを握り返す。それは変わる事のない友情の証。変わる事のない絆の証。ずっと、変わらないのだと。
『…ああ、アベル…ありがとう……』
けれどもその指はもう俺には触れない。その唇は俺の名前を囁かない。別の誰かの名前を呼んで、別の誰かを抱きしめる。当たり前だ、俺は男でそして二人の間に在ったものは『恋愛』じゃない。男女が囁き合う愛の言葉も、未来の約束も何もなかった。ただ少しだけ日常からはみ出して、逃げ出しただけなのだから。
『ずっと、君を見ているよ』
けれどもどうして。どうしてそれならば、お前はそんな顔をするのか。どうしてこんな時になって、こんな顔をするのか?―――どうして?


もしもあの時、お前に問いかけていたならば、何かが少しだけ変わっていたのかもしれない。けれどもその答えを聴いたとしても、きっと俺は変われなかった。


アベルが軍を去っても俺の日常は変わる事はなかった。アリティアの騎士として自身を高め、訓練を重ねただひたすら高みを目指す日々。マルス様の為に、アリティアの為に生きてゆく日々。何も変わらない。何一つ変わらない――――お前が隣にいないという以外には。
「今年の新兵は優秀なのが多いので楽しみだ」
以前ならばアベルが務めていた筈の新人への講義を引き受けてくれたのはフレイだった。そんな彼が目を細めながら告げる言葉にこくりと頷く。話すことよりも先に身体が動く自分にはあまりにも不向きで、不得意な分野だったからありがたかった。
「そうだな、特に第七小隊のメンバーは皆粒ぞろいだ」
「カイン殿もそう思うか。何れ彼らが中心になってアリティア軍を率いてくれるようになってくれればと」
「そんな事を言うのはまだ早すぎだ、フレイ。俺達はまだまだアリティアとマルス様の為に頑張らねば」
「ははは、カイン殿らしい言葉だ」
こんな会話こそが俺の日常だ。こんな風に軍の事を考え、国の事を思い、マルス様への忠誠を誓う。それこそが俺の『日々』だ。
けれどもその日常には何時もお前がいた。俺の隣には、お前がいた。考えることよりも先に身体が動く俺を止めるのは何時もお前で。お前がいたから俺は迷う事も考える事もしなかった。ただ心の赴くままに動く事が出来た。――――お前が隣にいたから。
「そういえばこの間アベル殿に会ったよ。店の方は順調にやっているようだ。エスト殿との仲も睦まじく……」
けれども今お前の隣にいるのは俺じゃない。俺以外の相手が隣にいて、そして微笑っている。そう、それは当然のことだ。だって俺は男で、彼女は女なのだから。俺は自分の事は自分で護れるけれど、彼女はお前が護らなければならない相手だから。
「――――フレイ様、カイン様、お疲れ様です」
自らの思考に沈みかけていた意識を取り戻したのはその声だった。ひどく耳に通る声と、自分を見つめる真っ直ぐな瞳。それは何故だかひどく心地悪かった。痛い程真っ直ぐに貫く視線が、ひどく。
「ロディか、今まで訓練をしていたのか?感心だな」
「フレイ様、ありがとうございます。急いでいますので私はこれで」
礼儀正しく頭を下げ去ってゆくその姿に何故かひどく心がざわついた。何故だろう、とその疑問を心に反芻する前にフレイの声によってそれは中断した。


―――――貫くように真っ直ぐに向けられるその視線が、ひどく痛くて。そして何故だかとても苦しかった。


絡みあう指先から伝わる熱が、ひどく優しかったから。何も生み出さない筈の行為なのに、どうして。どうしてこんなにも、お前は優しく激しいのか。
『…カイン…こっち向いてくれ……』
『…あ、…アベ…はっ…あっ……』
快楽のせいできつく閉じられた瞼にそっと唇が降りてくる。それに弾かれるように瞼を開けば、深い碧色の瞳が自分を見つめていた。真っ直ぐに、見つめていた。
『俺だけを見て、カイン』
『…アベ…っ…あぁっ……』
言葉に従おうとしても、身体を滑る指がそれを許してはくれない。的確に弱い部分を攻め立てるその指先が、俺の口から言葉を奪い甘い声を上げさせる。
『――――俺だけをずっと見ていてくれ…カイン……』
『…ああっ…あああっ!!』
その先の言葉を聴きたかったけれど、飛ばされてゆく意識のせいでそれは叶わなかった。激しく貫かれ、思考を弾けさせ、熱に溺れてゆく。もう何も考えられなくなって、出来る事といえばその背中に爪を立てる事ぐらいで。その広い、背中に。
『もぉっ…アベっ…駄目だっ…ああああっ!!!』
最奥まで貫かれ、どくどくと熱い液体が注がれる。それを感じながら俺自身も欲望を吐き出し、そして意識を手放した……。


――――…いしている…カイン……


何時も行為の後に囁かれる言葉があった。けれどもそれを俺は聴く事が出来なくて。聴く前に意識が飛ばされて、確認する事が出来なくて。聴きたかったのに。その言葉を俺は、聴きたかったのに。お前から、聴きたかったのに。――――その言葉、を。



聴いていたら、どうなった?その言葉を告げられたらどうなっていた?何かが変わっていた?それとも何も変わらなかった?
「…お前も…同じ事を…言うんだな……」
重たい瞼を開いた先にある瞳は俺の知っている碧色の瞳じゃなくて、心をざわつかせる強くて真っ直ぐな瞳だった。何処か壊れていて、ひび割れている瞳だった。
「…あいつと同じ事を……」
自分でも何を言っているのか分からなかった。同じ事?だって俺はその言葉を知らない。聴いてはいない。聴いては、いない。
「―――幾らでもいいます。カイン…私は貴方を愛している。貴方だけをずっと」
嘘だ、本当は。本当は、知っていた。本当は、ずっと知っていた。初めて肌を重ね合った時から、ずっと。ずっと俺は、お前の言葉を聴いていた。


俺は変わらない。俺はどんなになっても変われない。お前の言葉を聴いても、お前の問いかけを聴いても、変わらない。だって、俺は。


「…俺は…ずっと…アベル…お前が…好きなんだ…ずっと…俺は……」


女みたいに泣き叫んで縋れば良かったのか?行くなと告げれば何かが変わったのか?俺以外に触れるなと。俺以外隣に置くなと。俺以外の誰かを抱くなと、俺以外にキスをするなと。お前が好きなんだと、そう告げれば良かったのか?

―――――何処にも戻れなくても、何処にも帰れなくても、それでも告げれば良かったのか?

一時の気の迷いだと思い込まずに、ただの逃避行動だと片付けずに、心の折り合いすら捨てて想いのままに告げれば良かったのか?
「知っていますよ、そんな事。そんな事ずっと知っていますよ。それでもいいんです。私のものになってください」
「…俺は…アベル…お前が…ずっと…ずっと……」
喉の奥に閉じ込めていた言葉がとめどなく溢れて、そして弾けた。勢いよく弾けた飛沫はもう止める事は出来ずに、流れ落ちてくる。零れて、落ちて、溢れてくる。
「…ずっと…お前だけがっ……!」
「――――知っていますよ、あの人を好きな貴方ごと、愛したのだから」
抱きしめる腕は思いのほか優しかった。さっきまで自分の身体を好き勝手していた腕とは違う、優しい腕だった。優しすぎて、苦しくなるほどに。苦しくて、どうしようもなくなる程に。


髪を撫でる指先は俺の知っているものとは違う。
「…アベル…アベルっ……」
それでも泣きたくなるほどに優しくて。優しくて苦しい。
「あのひとの名前を呼んでもいい」
あいつとは違う汗の匂い。あいつとは違う腕の感触。
「あのひとを思っていてもいい。それでも」
あいつとは違う指のカタチ。あいつとは違う声の響き。


「――――それでもいい。私に抱かれてください」


拒む前に口づけられる。逃れる前に抱きしめられる。再び床に身体を押し付けられ、そのまま身体を開かされた。気を失う程抱かれ果てた筈なのに、敏感な個所を触れられれば再び自身が震えながらも勃ち上がってくるのを止められない。
「…駄目だっ…ロディ…っこれ以上はっ…」
首を左右に振って無意味な抵抗をする事しか出来なかった。けれども身体は正直で、与えられた愛撫に反応してしまう。
「これ以上?もう遅いですよ。だって私のココはもうこんなになってますよ。貴方の涙を見て欲情しない男なんていませんよ」
「―――!」
手を掴まれ熱く滾った肉棒を握らされた。それは言葉通りに硬く巨きくそそり立ち、どくどくと脈打っていた。
「ほら、凄いでしょ?貴方のせいですよ。貴方がこんなにしたんです」
「…あっ……」
上から手を握られ、そのまま肉棒を擦らされた。上下に無理やり手を動かされれば、みるみるうちに手の中のモノが巨きくなってゆく。手のひらでは収まりきらなくなった程の巨きさになって、やっと解放される。けれどもそれで終わりではなかった。
「さっき中に出したから大丈夫ですよね」
「―――っ!やっ…やめっ!」
足首を掴まれ、そのまま開かされる。はっとして閉じようとしても身体を中に入れられそれは叶わなかった。先ほど吐き出された精液がまだ残ったままのソコに硬いモノが当たる。そのままメリメリという音とともに内壁を押し広げられてゆく。
「…やぁっ…あああっ!!」
体内に残った精液が行為をスムーズに進めた。一気に貫かれ、楔が捻じ込まれ中を支配される。腰を揺さぶられ抜き差しを繰り返され、理性が飛ばされてゆく。
「…あああっ…ああああっ…駄目っ…駄目だっ…こんなっ…あああっ!!!」
「駄目と言いながらキツく咥え込んでいるのはどうしてですか?こんなに私自身を締め付けているのは誰ですか?」
「…違っ…俺はっ…あぁっ…俺はっ……」
「何を言っても無駄ですよ。こうして貴方は私に組み敷かれ、脚を広げて私を受け入れている。私に犯され、腰を振っている。その事実は消えないのだから」
「…そんな事…そんな事言う…なぁっ…言わないで…くれっ……」
「何度でも言いますよ。貴方が理解するまで。貴方が思い知るまで。貴方は私に犯されながら腰を振っている。無理やり犯されながらも、私のモノを咥え込んでいる。千切れるほどに、ね」
「…言うなっ…言うなぁっ…!…」
「他の男を思いながら、他の男に抱かれる貴方はどうしようもない淫乱なひとだ」
「…もぉっ…もおっ…許し……」
突き上げてくる腰の動きが激しくなる。奥へ奥へ、と。引き裂かれるように深く貫かれ、身体も心もバラバラになってしまう程に。何もかもが、ばらばらに。

「――――それでも愛している。貴方を、愛している」

注がれる熱い液体に何もかも飲み込まれ、貫かれた楔に何もかもがばらばらにされ、もう何も分からなかった。何も考えられなかった。何も、考えられる事が出来なかった。もう、何も。


――――あのとき、全てを告げていたら何かが変わったの?何かを変える事が出来たの? 


ふたり同じものを見ていたのに。同じものを目指して、同じものを追いかけていた筈だったのに。何時から、何が変わっていたのか?それとも本当は何も変わっていなかったのか?初めから少しだけふたりは違うものを見ていたのか?


『――――愛している、カイン』


告げれば良かった。俺も好きだって。俺も…愛しているんだって…意識が飛ばされる前にどんな事になっても、どんなになっても告げれば良かった。それが戻れない道でも、戻る事が出来ない場所でも――――伝えれば、よかった。


――――もう、なにもかもが、遅いのかもしれないけれど。