――――こんな風に、ずっと。ずっとただ。ただ、抱きしめていられたならば。
過去も未来もいらない。何もいらない。今この瞬間があればいい。この時だけがあればいい。もう他には何もいらないから。いらないから、このままで。
「俺が、願ったんだ。あんたのそばにいたいって。俺が…願ったんだ」
見上げてくる瞳の痛い程の真っ直ぐさが。揺るぎないまなざしが、ただ今は。今は…苦しかった。
「…ラディ……」
「それ以外の理由を、あんたは求めるの?それ以外の理由が必要なの?」
何処までも無邪気な笑顔で、けれども紅い瞳の奥に在るのは燃えるような炎で。それはきっと触れたら、溶かされてしまうのだろう。それでも触れてみたいと思った。触れて、そして噛みついてみたいと。真っ赤なその果実に。
「あんたが好きだ。俺にとってそれが全てだ」
伸びてくる指先にそっと触れた。そこから伝わるぬくもりは、命を感じる暖かさで。命を感じる、暖かさだったから。
「―――ラディ…俺もだ…俺もお前だけが……」
そのまま引き寄せ、抱きしめた。きつく、抱きしめた。その瞬間に心の奥底から広がった切ない程苦しい感情が全身を支配して、この腕を解く事が出来なかった。
違う生き方をしたいから、剣を置くよ。あ、でもあんたから離れたい訳じゃない…あんたが好きだから、戦うことよりも違う道を見つけたいんだ。あんたを好きだって、気付いたから。
だから、もっと。もっと闘う以外で…しあわせになれる方法を捜したいんだ。甘い考えかな?でも俺は剣よりも、この道を進むよりも、ずっと。ずっとあんたが大事なんだ。あんたが、大切なんだ。
…戦火の中で恋に落ちて剣を置くなんて…中々ロマンチックだろ?
重ね合った身体の隙間を吹き抜ける風が、ひどく優しい。優しくて、暖かかったから。だから、苦しかった。どうしようもない程に、苦しかった。
「あんたにとって大事なものは俺にとっても大事なものだ。俺にとっても大事なんだよ」
額を重ね合わせる。睫毛をそっと触れ合せる。唇が触れるか触れないかの距離で言葉を紡ぐから、声が心に降ってくる。ぱらぱらと、降ってくる。
「だからって一度剣を置くと決めたお前がまた傭兵に戻る事はない。妹の薬代ならば、俺だけでなんとか―――」
その先の言葉を告げるのを許さないとでも言うように、唇が塞がれた。それは不器用でけれども懸命なキスだった。一生懸命なキス、だった。
「…一緒に…いたいんだ…俺はあんたと……」
唇が離れても睫毛は離れなかった。間近にある紅い瞳は何処までも真っ直ぐで、何処までも真摯で、どこまでも…強い意志を持つ瞳だった。
「どんな些細なことでも、どんなちっぽけな事でも、どんなくだらない事でも、俺は」
伸びてくる手が髪に触れた。何かを確かめるように指先が髪を滑ってゆく。何度も何度も、指先が。
「――――俺はあんたと一緒に感じたいんだ」
「…痛みすらもか?…」
髪からそっと指が離れる。そのまま滑るようにその手が頬に触れた。ぬくもりを確かめるように、暖かさを確認するかのように。そうしてこくりとひとつ、頷いた。
「俺が抱える苦しみも、戦場で流す血も、ぎりぎりの命の駆け引きも、全部。全部お前は俺と分け合うつもりか?俺が…お前から遠ざけたかったものを…共有したいと言うのか?」
「そんなもの、あんたに比べれば大したことじゃない。あんたの存在に比べたら」
綺麗な笑顔で、剥き出しの笑顔で、太陽のように微笑う。そこには一点の曇りもなく、ただ。ただ眩しい程の光があるだけで。眩しい程の、強さが。
――――知っている。それがお前の強さで、お前の唯一の弱点だという事を。俺が一番、知っている。
俺が死ねと言えば、お前は迷わずその命を差し出すのだろう。俺が望めば、お前はどんな事でもするだろう。いや、俺が望まない事でも、お前は『俺』という存在の為ならばどんな事だってするだろう。そして。そして何よりもそんなお前の心を、嬉しいと思う自分がここにいる。
そんな事を決して望んでいる訳じゃないのに…それなのに喜んでいる自分を否定できない。
初めに惹かれたのは、どっちだったんだろう?
「俺にとって一番は、あんただから」
どっちが気付いたのだろう?互いの視線の先に。
「…好きだ…シーザ…大好きだ」
その先に在ったものが同じだったのだと。
――――どっちが先に、気付いたのだろうか?それとも、気付いた事すら同じだったのか?
何もいらない。あんた以外。俺の世界にあんたがいればいい。ただそれだけでいい。その為ならば俺、何でも出来る。どんな事だって、出来る。あんたが喜んでくれるならば、あんたが幸せでいてくれるならば、あんたが微笑ってくれるならば。
だって俺、どうしようもないくらいに好きなんだ。あんたの微笑った顔、好きなんだ。
額を合わせて、言葉にすらする事を躊躇う想いで、ふたり。ふたり、きつく結びあう事が出来たならば、きっと誰よりもしあわせ。何よりも、誰よりも、しあわせだ。
抱きしめる腕を離したくなくて、そのまま。そのまま伝わるぬくもりを感じていた。暖かい陽だまりのようなそのぬくもりを。そっと髪に顔を埋めれば太陽の匂いがする。同じように血塗れの道を選び、戦火の中に身を堕としても、こんなにも。こんなにも暖かくて光の匂いがするのは、きっと。きっと、俺すらも穢す事の出来ない無垢な魂と、怖い程純粋な瞳が在るからなのだろう。それは羨ましくもあり、焦がれるものでもあり、そして。そして閉じ込めたいと願うものでもあった。
「…シーザ…大好きだ…あんただけが…大好きだ……」
何度も迷うことなく告げてくれるその言葉すら、自分だけの中に閉じ込めてしまいたいと心の中で思っている。お前という存在から零れるもの、全てを。その醜いまでの独占欲を心の奥に飼いながらも、それでも永遠に閉じ込める事は叶わないのだろう。どんなになってもお前の全てを、俺の中に。
――――だってお前は俺にとっての永遠の焦がれてやまない…憧憬なのだから。