motion



不意に顔を上げたら間近に見慣れたその顔があって、そっと瞳が和らいだからそのまま盗むようにキスをした。その瞳を自分だけのものにしたいとそんな事を思いながら。
「へへへ、不意打ち」
「―――お前は……」
唇が離れた瞬間に現れたその表情は何時もの呆れた顔だった。もうずっと見慣れているその表情も、こんな場面では嫌じゃなかった。その呆れ顔と溜め息交じりの答えのその後に。その後に伸びてくる大きな手のひらがあるから。
「だって俺あんたが大好きなんだもん。だからキスもいっぱいしたいの」
大きな手のひらがこうしてくしゃりと髪を撫でてくれる。それだけで嬉しくなれる。それだけで顔が綻ぶ。それだけで幸せになれる。
「大好き、シーザ」
背中に腕を廻して抱きつけば、呆れながらも受け止めてくれる。顔を上げて目を閉じれば『しょうがないな』の呟きの後に唇が降りてくる。それだけでもう何もかもが満たされて幸せになれる。

――――大好きだから。大好きだから、ずっと。ずっと一緒にいよう。

呆れるほどに告げる言葉はただひとつ好きという想いだけ。それだけが在ればいい。それだけが伝わればいい。他の何もかもが伝わらなくても、好きだという想いだけが届けばいい。それだけで、いい。
「なあ、シーザ。俺はこれからもお前の相棒でいて…いいんだよな」
「何を今更。嫌だと言っても付いて来る癖に」
「まあ、そうだけど」
背中に廻していた手に少しだけ力を込めて、そのまま熱い胸板に顔を埋めた。ここは自分だけの場所だと確認して、それから顔を上げて見つめた。真っ直ぐに、見つめた。
「…でも…戦争は終わってマルス様から頂いたお金であの子の病気は良くなったし…そうしたらあんたが傭兵をやる理由がなくなる。そうしたら俺も剣を握る意味がなくなる……」
二人で傭兵をやる理由はあの子の薬代を稼ぐため。けれどもそれは今回の戦争が終わってその必要がなくなった。それでもこうしてそばにいる為の理由を問いかける自分が馬鹿なのだろうか?問わずにはいられない自分が。
「なら何故お前は俺のそばにいる?」
「そんなの決まってる。俺はあんたが好きだから。あんたと一緒にいたいから」
伝えたい想いはただひとつ。伝わればいいと願う事はただひとつ。ただひとつ、この想いだけ。この気持ちだけが、伝わればいい。
「ならばそれでいいだろう。それ以外の理由は必要か?」
「…ううん…いらない。これだけで、いい」
背中に廻した手に無意識に力がこもる。それに気付いて少しだけ手を緩めれば、代わりにきつく抱きしめてくれる。その腕の中で目を閉じて命の音を感じる瞬間が、きっと。きっと何よりもしあわせだ。


戦う意味は何かと問われれば迷うことなく答える事が出来た。大切な人を護る為だと。それはあんたにとってはあの子の命であり、俺にとってはそんなあんたの想いだった。あの子を必死で護るあんたの奴に立ちたくてこの剣を取った。そしてその想いは何時しか、あんた自身へと変わっていた。あんたの役に立ちたいという想いは、何時しかあんたに認めてもらいたいという願望になっていた。あんたにとって必要な人間になりたいとそれだけを願うようになっていた。
「俺はあんたがいれば…それだけでいい」
笑われてもいい、馬鹿だって言われてもいい。それは本当にあんたが好きで、どうしようもないくらいに大好きで。みっともなくてもカッコ悪くてもそれでもこの想いがあんたに届けば…それだけでいい。
「――――本当にお前は……」
「…シーザ……」
頬に手を充てられてそのまま顔を上げさせられると、そっと額が重なった。そこから伝わる肌のぬくもりが心地よい程に優しくて。
「呆れるほど馬鹿だなと言っても、それは俺のせいだな」
「うん、だから責任取れよ。責任取ってずっと俺をあんたのそばに置いてくれよ」
「そんな事言われなくても――――」
俺はと告げるその先の言葉は、重なってくる唇のせいで言葉にはならなかった。けれどもそれは何よりも、言葉よりもずっと。ずっと伝わるものだった。



俺が願ってやまないものをお前はいとも簡単に捨てるから。どんなに努力してもどうやっても手が届かないものがある。その生まれ持った才能を、剣を振るうその腕をお前はいとも簡単捨てる。俺が好きだとただそれだけの為に。
「しあわせだな、俺。あんたと一緒にいられて。あんたのそばにいられて」
どんなに書物を読んで知識をつけようともどんなに訓練を重ねて剣の腕を磨こうとも『本物』に叶わない事は俺が一番良く知っている。誰よりも目の前の相手を見てきた自分が。

―――――お前が俺と同じ事をすればきっと。きっと俺の手には届かない場所まで登り詰める事が出来る事を。

それでもお前は俺の手を取る。俺が願ってやまないものをいとも簡単に捨てて、この手を取る。他の何もが必要ないとでも言うように。
「しあわせだ、シーザ」
屈託のない笑顔。子供のようにくるくると表情を変える瞳。隠される事のない真っ直ぐな想いと、その瞳の奥に映る紅い炎のような情熱。その全てを俺に向け、全てをこの手に与えてくれる。
「――――ありがとう、ラディ」
お前が望めばもっと。もっと高い場所に辿り着けた。お前が手を伸ばせば、もっと違う道を選び取ることが出来た。それでも。
「…シーザ?……」
それでもお前は俺を掴む。必死になって俺の手を掴んでくれた。他のどんなものよりも、この手を。
「…俺のそばにいてくれて…ありがとう……」
妹の為にしか生きられない俺を、迷うことなく選んでくれて。お前よりも大切な者の存在が在る俺を、それでも一番だと言ってくれて。お前がそばにいてくれて何よりも救われていたのは、本当は俺の方なんだ。お前がいたからこそ、俺は妹の事だけを考える事が出来たから。
「そんなお礼いらないよ。だって俺は」

「――――俺はお前の『相棒』なんだから。だから、一緒にいるんだ」

ああ、そうだな。そうだな、俺達はずっとそうやって。そうやって、生きてきたんだ。そして生きていくんだ。今までも、そして。そして、これからもこうしてふたりで。
「ああ、そうだな。これからも頼む」
「任せてくれよ、相棒」
屈託のない笑顔。子供のような無邪気な笑顔。そこには迷いも戸惑いも何もない。ただひとつの強い意志がある。ただそれだけが、在る。


――――― 一緒にいよう。ずっと。ずっと、ふたりでいよう。



見つめあった先にあるそっと和らいだ瞳が。その瞳がずっと。ずっと俺のものでありますようにと。あんたのその瞳がずっと。ずっと続いてくれますようにと。俺はそっと心の中で祈った。この大切な瞬間に。