白い冬



頭上から零れ落ちる細かい白い雪が、そっと。そっとふたりを隠してゆく。世界の片隅にぽつりと居るふたりをそっと隠す。


「―――もう何処にもいかないか?もう何処にも……」


その問いかけにひとつ微笑えば、ひどく安心したように君は笑顔を見せた。剥き出しの子供のような笑顔。その笑顔を本当はずっと。ずっと、見てゆきたかった。どんな時でもどんな瞬間でも、ずっと。
「行かないよ、もう。君のそばにいる事が…俺にとっての最期の答えだ」
伸ばされた指先をきつく握り締めた。もう二度とこの手を離さないようにと。もう二度とこの繋がった指先を解かないようにと。
「―――良かった…俺にとって一番の相棒はお前だから。お前だけだから」
「うん、カイン。俺にとっても背中を預けられる相手は君だけだ。君が最期の場所だ」
指先を絡めたまま、空いた方の手で抱き寄せた。抱き寄せて髪に顔を埋めれば、眩しい太陽の匂いがする。今ここに眩しい光はなかったけれど、暖かい日差しはなかったけれど、それでも確かに在った。いまま、ここに。この髪先に見つめてくる眼差しに、この地上に。
「…愛している…カイン…俺はやっと君に…この言葉を言える……」
そっと降ってくる雪が、ふたりを隠してくれたから。冷たい白い世界がふたりを閉じ込めてくれたから、だからキスをした。そっとその唇に、キスをした。


全ての罪と贖罪と、葛藤と絶望の果てに見つけた答えはただひとつ。ただひとつ、君だけだった。


選べなかったんじゃない、選ばなかったんだ。本当は、答えは一つしかなかったのに、それを全て否定してその笑顔と共に全ての矛盾を飲み込んだ。それこそが廻りの全てを傷つける事に気付かずに。
『知ってるよ、私。アベルが本当に見ている相手を。だって私が一番アベルを見てきたんだから』
子供のような無邪気さに惹かれた。明るい笑顔に救われた。彼女と共に生きてゆけば、心の奥底にあるこの許されない感情を、忘れさせてくれると思った。彼女を愛せると、思った。それなのに。
『いいよ、もう。もう私は大丈夫だから。こうやって私の事捜しだしてくれた…それだけで、充分だから…ありがとうアベル…だからこれからはアベルの思うままに生きて』
自分の元から消えた彼女を捜しだして、告げられた言葉が何よりもの答えだった。それが全ての答えだった。どんなに心の奥に閉じ込めても消せなかったもの、どんなに必死になってかき消しても決して消えなかったもの。そうだ俺は知っている。『愛せる』とそう思った時点で『愛して』はいなかった事を。
『ごめんなんて言わないで。そうしたら私が可哀想になるから。だからありがとうって言って』
向けてくる笑顔は俺の知っている子供のような笑顔じゃない。けれども愛しいと思った。何よりも綺麗に微笑う彼女がどうしようもなく愛しいと。愛しくてたまらなかった。けれども…愛してはいなかった。そうだ、愛してはいない。それが全ての答えだった。
『―――ありがとう…エスト…本当に…ありがとう……』
君といてとても楽しかった。本当に楽しかった、それは嘘じゃない。けれどもそれでも俺はどうしても捨てられないものがあって、どうやっても消すことが出来ない想いがあるから。だから。
『うん、それでいいんだよ。それが私の好きになったアベルだから』
だから、もう。もう自分に嘘は付けない。自分を誤魔化せない。もう…この想いを隠す事は出来ない。


―――何もいらないから、そばにいてくれ。何も欲しくないから、そばにいてくれ。


気持ちは結ばれていたのに無理やり引き千切ろうとした。こんなにも互いに切り刻まれてぼろぼろになったのに。それでも無理やり引き千切って、全てを断ち切って。
「手が、冷たい。ずっと俺を待っていてくれたのか?」
傷ついて、傷つけて。何も生み出さず痛みだけを与えるしかなかったのに。それなのに、君は手を離さないでいてくれた。結ばれていた気持ちを解かずにいてくれた。
「ずっと待っていた、アベル。お前がエストを追って姿を消した日から…ううん、もっと。もっと前からずっと…」
仕掛けたのは自分からだった。無邪気とすら思える君の心に忍び込んで、身体を開かせて手に入れた。そうして自分の欲望だけで手に入れたのに、君は俺を信じてくれた。真っ直ぐな想いを向けてくれた。それが過ちだと理解していて、それでも君は俺を受け入れてくれてたんだ。
「―――ごめん、カイン……」
それなのに逃げ出したのは俺で。君の綺麗な未来とか世間体とか、そんないい訳を並べて君から離れた。本当は出来ない事など分かっていたのに。

――――出来る筈はない。だって俺はどうしようもない程に君を愛して、そして君が欲しいのだから。

君の全てが欲しかった。心も身体も、全部。全部欲しい。君の名のつくものは全て俺だけのものにしたい。誰にも渡したくなんてない。俺だけのものにしたい。そんなどうしようもない欲望が俺を支配して、飲み込んでゆくのが分かったから。だから君から離れたのに。
「…ごめん……」
なのに君は俺を受け入れてくれる。凍えた手で俺を掴んでくれる。こんなどうしようもない俺を…愛してくれる……。


冷たい手を暖めて。そっと、暖めて。
「謝るくらいなら、そばにいろ」
白い世界の中にふたり埋もれても。
「―――俺のそばにいろ」
こうして繋がった指先は、暖かいから。


冷たい世界の中にぽつりとふたり閉じ込められても、こうして指先が繋がっている限り寒くはないから。


抱きしめて、きつく抱きしめて。そして互いのぬくもりを感じた。布越しで抱き合っているのに、どうしてだろう?肌を重ねていた時よりも、ずっと。ずっと暖かいと思うのは。どうしてだろう?肌を重ねている時よりも、ずっと。ずっと気持ちが伝わるのは。
「…うん、もう離れない…俺はずっと君のそばにいる……」
細かい雪が髪先に睫毛に降ってくる。それは綺麗で。とても、綺麗で。だからキスをした。髪先に睫毛に、君の綺麗な物を全て俺だけのものにするために。


「――――何処にも行かないよ、カイン…俺はずっと君だけを見てゆくから……」