幻惑



――――目覚めた瞬間に思い出す。もうあの方は何処にもいないのだという事に。


幻でいいからもう一度逢いたいと願う自分は、どれだけ愚かでどれだけ情けないのだろう。どれだけ惨めでどれだけ女々しいのだろう。そんな事を嫌という程に分かっていながら、それでも願ってしまう。もう一度と。―――もう、一度…と。
「…ハーディン様……」
呟いた言葉のあまりにも乾いた声に自嘲気味に笑ってみた。口許に笑みの形を作り一つ声を上げて。けれども虚しかった。どうしようもなく虚しかった。どんなに口許を笑みの形に変えても、そこにあるのはただの虚像でしかない。ただの偽装でしかない。
「――――俺は…あの時あなたと共に……」
共に最期まで居るべきだったのか、そんな自問自答を数え切れないくらいに心の中で繰り返してきた。それでも答えは出なかった。出る筈がない。何よりも大切な主君と、何よりも大切な仲間と、自分が抱いてきた信念と、その全てが混じり合った。混じり合ってぐちゃぐちゃになって、答えというものを永遠に失わせた。どの選択肢を選んでも必ず後悔と後ろめたさを残すという事を嫌という程に理解している以上、自分はこの選んだ選択肢を進み続ける以外にはなかったのだから。
「…あなたと……」
それでも瞼の裏に思い浮かべる顔がある。優しかったあの方の笑顔、真っ直ぐに前だけを見つめる瞳。力強く逞しく、そして。そして生きるための道を示してくれたその背中が。
「…あなたのそばに……」
唇から零れる吐息は震え、ただひたすらに切なかった。けれどもその吐息は永遠に拾われる事も掬われる事もなく、ただ零れ落ちてゆくだけだった。誰にも気づかれずに、この空気の中に溶かされてゆくだけだった。


――――代わりでも構わなかった。そこに愛などなくてもよかった。それでもあなたがほんのひとときでも救われるのならば、安らげるのならば。


多分誰でも良かったのだろう。何故ならばもうあの時、あなたは壊れていたのだから。闇に落ち光を見失い、深い深い絶望の中で見出した安らぎがこの行為だとしたならば、俺には拒む事は出来なかった。
『―――ハーディン…様っ?!…な、何をっ……』
髪を掴まれそのまま乱暴に服を引き裂かれた。優しい愛撫など何もなく、ただ。ただ欲望を満たすためだけに、何も準備をしていない乾いた器官にソレを捻じ込まれた。
『―――っ!!くっ!ああああああっ!!!』
痛みに意識が飛びそうになりながらも、貫く楔がそれを許してはくれなかった。抜き差しを何度も繰り返され、欲望のままに精液を注がれる。何度も、何度も。擦り切れるほどに捻じ込まれ、溢れるほどに注がれてやっとの事で解放された時には、もうあの頃の優しいあなたは何処にもいなかった。

それでも、目を逸らした。それでも、否定した。それは錯覚なのだと、あなたは何も変わってはいないのだと。

本当は何処かで気付いていた。あの頃のあなたはもう何処にもいないのだという事を。俺が焦がれ追いかけていた背中はもう何処にもないのだという事を。それでも目を閉じ、耳を塞ぎ、あなたの破片を捜した。
『そうだ、ウルフ。もっと腰を振れ、もっと俺を楽しませろ』
あれから毎日のように寝室に呼び出され欲望の玩具にされた。けれども俺はそれを拒む事は出来なかった。命じられたままに服を脱ぎこの身体を差し出した。
『あああっ!!ああああっ!!』
根元まで肉棒を飲み込み、女のように淫らに腰を振る。何時しかその行為が痛みだけではないものを生み出し、俺の口から零れる声は悲鳴ではなく喘ぎになっていた。
『いいぞ、もっと、もっとだ。あの女よりもずっといいぞ、ウルフ』
『あ、あ、あ、ハーディン様っ!!ハーディン…さまっああああっ!!!』
後ろだけでイク事を覚えた。女のように犯される事で得られる快楽を知った。欲望を注がれる事で、身体が火照る事を知った。もう戻れなかった。戻れなくてもいいと思った。


――――こんな刹那の快楽でも、あなたが少しでも満たされ救われるのならば。


乱暴に衣服を引き千切り、無理やり開かされる脚。その最奥に在る秘所に乾いた指を突っ込まれる。
「…あっ…ふっ……」
こんな風に勝手気ままに中を掻き乱される。こんな風に媚肉を押し広げられ、何本も指を捻じ込まれる。
「…ハーディン…様っ…くふっ…はっ…あっ……」
根元まで指を埋めて中を掻き廻した。わざと乱暴に掻き乱しながら、乾いたシーツに尖った乳首を擦り合せた。あの方にされたように前には触れずに、後ろだけを甚振った。
「…ハーディン…さまっ…あぁぁっ…ふあっ……」
何時しか媚肉はぐちゅぐちゅと音を立て、指の刺激を貪欲に咥え込んだ。そして告げる。指じゃ足りないと。もっと巨きなモノが欲しいと。巨きくて熱くて硬い肉棒で中を掻き乱してほしいと。
「…ぁぁっ…ああんっ…もっと…もっとっ……」
ひくひくと切なげに蠢く内壁が何を求めているのか知っている。けれどもそれはもう永遠に得られる事はない。どんなに欲しいと淫らに腰を揺すっても、中を犯してくれる事はない。―――どんなに、願っても……


「…ウルフ?……」
「―――っ!!」


イキたくてもイケない身体を震わせながら腰を蠢かしたその時、聴き慣れた声が耳に飛び込み咄嗟にウルフは顔を上げた。そこには―――自分が選んだ…相手がいた…。
「…ザガロ……」
そう自分が選んだ選択肢。それを与えた相手。ハーディン様と共に滅びる事よりも生きろと、そう告げた相手。
「…お前…何を……」
驚きに見開かれた瞳を見つめた。その中に居る自分を見つめた。唇を紅く染め、濡れた瞳で雌猫のように欲情している自分を。
「…何をって…見れば分かるだろう…ガキじゃねーし……」
一番知られたくない相手だった。けれども心の何処かで望んでいた相手だった。その瞳に映る自分は何よりも強い狼騎士団の長でありたいと願っていた。何処までも強く、そう自分がハーディン様を見つめるような…そんな風に映っていて欲しいと。
「…ザガロ……」
けれども別の心の声が告げていた。その腕が欲しいと。その唇が欲しいと。その肉が欲しいと。自分がハーディン様の欲望の玩具になった時から、心の何処かで思っていた事…今自分を犯している相手が、目の前の男だったらと。
「―――!」
唇を、奪った。そのまま強引に舌を忍び込ませ、根元から吸い取った。息すらも奪うように、全てを奪うように唇を重ねた。
「…止めろ…っウルフ…っこんな……」
「…んんっ…ザガ…ロっ…ふっ…んんんっ……」
唇が離れた瞬間に零れた言葉を塞ぐように再び唇を重ねた。そしてそのまま髪に指を絡め身体を押し付ける。既に充分に熱を持ったソレを押し付けると驚いたように後ずさりする。
「…逃げるなよ…お前だって…こんなになっているくせに…」
「―――っ!」
引き剥がそうとした下半身に手を伸ばしズボンの上からザガロのソレを撫でた。それはウルフの言葉通りに、微妙に形を変化させている。
「…俺が気持ちよくしてやるよ…」
「…止め…駄目だ…ウルフっ…!……」
股間に当てていた手をズボンの金具に伸ばしそのまま降ろして、ザガロ自身を外に晒す。冷たい空気にソレは一瞬竦んだが、直に別の生暖かさに包まれ形を変化させた。
「…んんんっ…ふぅっ…んんんっ……」
生暖かい粘膜に包まれザガロ自身が膨張してゆく。それを戸惑うことなくウルフは呑み込んだ。根元まで咥え込んで、口を窄ませる。強く吸えば口の中に先走りの雫が広がった。
「…駄目…だ…ウルフ…このままじゃ……」
「…このまま出せよ…俺の中に……」
上目遣いに相手を見上げれば、唇を噛みしめ湧き上がる欲望に必死に堪える姿があった。その姿に驚くほどに欲情している自分がいた。そう誰よりも綺麗に映っていたいと思っていた相手が、自分のせいで穢れてゆく。自分が穢してゆく。それはひどく。ひどく甘美なもののように思えた。
「――――っ!」
「んんんっ!!んんんんっ!!」
先端をきつく吸い上げ、同時に側面を撫で上げた。その瞬間白い液体が弾け飛ぶ。それがウルフの顔面に飛び散り、受け止めきれなかった液体がぽたりぽたりと床に落ちる。その液体を、舌を伸ばしてウルフは掬いあげると、そのまま呑み込んだ。ごくりと飲み込むたびに喉元が動く。それがひどく卑猥な生き物のようにザガロの瞳に映った。
「…ウルフ……」
「もっと気持ちよくさせてやるよ」
濡れた瞳が上目遣いに自分を見つめてくる。それは自分の知っている『ウルフ』とは全くの別人のようだった。けれども間違えなく『ウルフ』だった。自分が見つめ続け、一番そばにいた相手。自分がその背中を護り続けたいと願った相手。
「―――だから……」
伸びてくる手が、ザガロの身体を冷たい床に押し倒した。ウルフはその上に跨った。そのまま果てたばかりなのにまだ適度な硬度を持つザガロのソレを握ると、自らの入り口にあてがった。ひくひくと淫らに蠢く秘所に。
「…だから…俺を…っ…あああっ!!!」
ずぶずぶと濡れた音を立たせながら、ウルフはサガロの肉棒を体内に埋め込んだ。腰を落とし根元まで咥え込む。そのまま迷うことなく腰を振った。がくがくと欲望のままに。
「…あああっ!あああっ…あああんっ!!イイっ…イイよぉっ!!」
喉をのけ反らせながら喘ぎ、何度も何度も腰を上下に振った。そのたびに中を貫く肉棒が存在感を増し、ウルフの声を淫らにさせる。
「…ザガロっ…ザガロっ…ああああっ!!」
「――――くっ!!」
がくんっと身体がグラインドした。ザガロが耐え切れずに下から突き上げる。その瞬間ウルフの中に熱い液体が注がれる。それを感じながら、ウルフもザガロの腹の上に精液を飛び散らせた。


追いかけていた相手と、追いかけて欲しかった相手。どちらも俺にとっては大切で大事で。どちらを選んでも後悔する事は分かっていた。どちらを選ばなくても救われない事も。それでも俺は。俺は……。
「…ザガロ…俺を軽蔑するか?…」
お前の瞳に映る自分は誰よりも強い存在でありたかった。狼騎士団の隊長として誇りある男でいたかった。けれども。
「――――そんな事は…絶対にない……」
けれどもそれ以上に、俺は。俺は気付いてしまった。ハーディン様の腕の中で、気付いてしまった。お前を欲望の眼差しで見ていた事に。お前をどうしようもなく欲しいと願っていた事に。
「…俺は…どんな事があってもお前だけは…ウルフ……」



「…お前だけは…俺はずっと…ずっと見てゆくと…そばにいると……」



それが恋なのか、それが想いなのか、それが欲望なのか、それが嫉妬だったのか。今となってはその全てが正しくて全て間違っているのだと分かったから。そうだ、俺は。俺はずっとウルフお前を…。
「…ザガロ……」
ずっと知っていた。お前とハーディン様の関係を、気付いていながら俺は何も言えなかった。言えずにただ。ただ嫉妬していた。そう、ハーディン様に。その時に気付いた、気がついた。お前への想いが憧憬でも友情でもなくもっと別のものだという事に。だから、嬉しかった。嬉しかったんだ。俺の声を聴いてくれた事に。ハーディン様でなく、この場所を選んだくれた事に。この生在る場所に。
「見てゆく、どんなお前でも。俺は見てゆく。だからウルフ」
お前と生きたかった。生きてゆきたかった。例えこの想いが永遠に閉じ込められても、それでもお前が生きているという以上の喜びを俺は選べなかったから。ハーディン様よりも…お前の『生』を望んでしまったから。
「―――ずっとお前の背中を護らせてくれ…俺に……」
お前が生きて、そして微笑ってくれる事。それだけが望みだった。俺の願いだった。それだけだった。


何時しか伸ばされた手が互いの背中に廻る。そしてそのまま。そのままきつく抱きしめあった。きつく、抱き合った。それが答えだった。選んだ選択肢の、答えだった。