そしてふたりは、



当たり前の日常が何よりもかけがえのないものだと気付けたのは、貴方がいたからでした。何気ない会話が、繰り返しの日々が、穏やかに流れる時間が、その全てがかけがえのない宝物でした。貴方とともに過ごす日々が、何よりもの宝物でした。


街角で売られている小さな花束を買った。窓際に置いてある花瓶に飾るために、ひとつ。
「おかえりなさい、サムソン」
「ただいま、シーマ」
長い髪を束ね、シーマは窓枠の汚れを掃除していた。普段掃除はこまめにしているつもりだが、それでもどうしても汚れは溜まってしまう。今もこうしてこびり付いてしまった汚れを落としているところだった。
「外は寒かったでしょう?」
いったん作業を止め、玄関に立つサムソンを迎えた。靴を脱ぎ終えるのを待って、抱えている荷物を受け取ろうとして、ふとその手が止まった。
「これ、どうしたの?」
頼んでいた日常品とは別に小さな花束が手に握られていた。目を引く鮮やかな色ではないけれど、淡い色彩を持つ可愛らしい花束が。
「窓に花瓶があっただろう?何もなかったから、飾ろうかと思って」
ちょうど掃除をしていた窓枠にそれは飾られてあった。空っぽの花瓶。以前二人で町の市場に出かけた時に見つけて購入したものだ。シンプルなデザインだったけれど光に翳すと硝子の部分がきらきらと光って、それがとても綺麗だったから手に入れたものだった。
「…あ、ありがとうサムソン……」
思いがけないささやかな贈り物に、シーマの口許に戸惑いと同時に柔らかい笑みが浮かぶ。幸せだと、思った。幸せが溢れて零れてしまわないか心配になる程に。


花瓶に花を飾った。優しい色合いの花を見ているとひどく心が暖かくなる。こんな暖かさこそが、何よりも欲しかったものだった。どんなものよりも願ったものは、こんなささやかな幸せと、平凡だけど暖かい日常だった。
「あのね、サムソン」
掃除を終えてリビングにあるソファーに腰掛ける。隣ではコートを脱ぎ一休みしているサムソンがいる。そっと寄り添えばまだひんやりと冷たい。けれどもこうしてふたりで寄り添えば、すぐに暖かくなる事を知っているから。
「何だ?シーマ」
必要以上の事をこの恋人は言わなかった。言わなかったけれども、伝わるものがある。ふたりで過ごすうちにそれは少しずつ分かってきた。言葉にしなくても、こうして触れている空気の中で伝わるものがあるという事を。
「お花、ありがとう」
大きな手がそっと髪を撫でてくれた。その手はもうきっと二度と剣を握る事はないだろう。けれどもきっとずっとこの髪を撫でていてくれる。こうして、ずっと。
「いや、たまたま見かけたからな。それに」
「それに?」
「あの花瓶はお前が気に入ってたから…何もないのも淋しいかと思って」
「…ありがとう……」
さっき伝えたけれどもう一度言いたかったから。ありがとうと伝えたかったから、言葉にした。嬉しかったから、思ったまま言葉にした。
「ああ、お前が喜んでくれれば…俺はそれでいい……」
柔らかい空気がふたりを包み込む。これは時間をかけて二人で作り上げてきたものだった。少しずつ手探りで、けれども大切に作り上げてきた日常。それは何よりも大切なもの。何よりも、大事なもの。
「…サムソン…好き……」
「―――ああ……」
見上げれば穏やかな瞳が自分を見つめてくれる。戦いの日々の中では決して見る事の出来なかった瞳。けれども今は、こうやって幾らでも見る事が出来る。幾らでも…視線を重ね合わせる事が出来る。そして幾らでも、口づけを交わす事が出来る。それはどんなものにも代えられない大切な、大切な、時間だった。


こんな日々がずっと。ずっと続いてくれれば何もいらない。こんな穏やかで優しい日々が、ずっと。ずっと、ふたりの間に溢れていてくれれば。


好きという気持ちだけで生きている。貴方を好きだという想いだけで生きてゆける。それは何よりも幸せで、何よりも嬉しくて。零れるほどの愛が日常を埋める。溢れるほどの想いが日々を埋めてゆく。それはきっと。きっと、どんなものにも代えられない贅沢な日々なのだから。


「…こんなにしあわせで…いいのかな?」
「―――ああ、これでいいんだ。だってお前は」
「…サムソン?……」
「ずっと現実とは切り取られた日々の中にいた。本当はお前の場所はここなのに」
「…うん、私はずっと…ずっと平凡な娘だった…それだけだった…でもね」


「…でもね、貴方とともにこの場所にいなければ…意味はないの…貴方がいるから幸せなの……」


瞳が、視線が、交わる。そしてふたりは。そしてふたりは、微笑いあった。何よりもしあわせな笑顔で。



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