その手、を



強く握り締めて、離さないで。この手を、離さないで。もう二度と、この手を離さないで。



抜け殻になった私を愛してくれた人がいた。空っぽになって何もなくなった私を愛してくれた人がいた。何もない私に溢れるほどの愛を注いでくれた人が。

――――それなのに私は満たされなかった。抜け殻のまま、ただ死人のようにそこにいただけだった。

罪深いのはどちらなのか。今となってはもうそれすらも…それすらも意味のない事なのだろうけれども。それでも私は貴方を諦められなくて、貴方への想いを止める事が出来なくて、貴方だけを追い続けていた。


愛する想いすら罪だというのならば…私はどうすればよかったのだろうか?舌を噛み切って死ぬ事すら許されなかった私はどうすれば良かったの?


繋がれた指先は確かに暖かいものだった。私に注がれる愛情も私には身に余るほどの、暖かくそして強いものだった。
「…夢のようです…ニーナ…貴女がこうして私とともに生きてくれるなんて……」
優しく強く、誰よりも私を愛してくれる人。この人を愛する事が出来れば私はきっと誰よりも幸福な女になれる事が出来るのだろう。この暖かく強い手のひらを愛する事が出来たならば。
「…ハーディン…これからも…」
この人を愛する事が、出来たならば。けれどもそのただ一つの事が、どうしても。どうしても私には出来なくて。ただそれだけのことが、どうしても。
「…これからも…よろしくお願い…します……」
この人を愛する事が出来たならば、全てが上手くいく事は分かっている。私の中のただ一つの想いを消すことが出来さえすれば。アカネイアの復興も、人々の幸福も。全ての歯車が綺麗に回る。何もかもが、皆が願う通りに。
「…ニーナ……」
私はちゃんと微笑うことが出来ているだろうか?自然な笑みの形を作っていられるだろうか?この人を愛しているという顔を作れていられるだろうか?わずかな綻びすら、私から零れていないだろうか?貴方への想いが少しでも…零れてしまっていないだろうか?


溢れるほどにこの抜け殻に愛情は注がれた。けれども抜け殻の私にはぽっかりと大きな穴が空いていて、注がれた筈のものは全て。全てその穴から流れていった。


生きて、死んで。死んで、生きて。私のちっぽけな人生はそれの繰り返しだった。何も知らずにただ幸福だった子供時代。全てが失われた崩壊の瞬間。そして。そして、貴方と出逢ったあの時。何もかもを失った私は一度死んで、けれども貴方と出逢って恋をしてもう一度私は生まれた。貴方を愛する事で、私は生きる意味を知った。けれども。けれども私はまた死んだ。抜け殻となった。私自身の意思はもう何処にもなくて『王女』として存在する以外に価値はなくなっていた。アカネイアの王女として、存在する以外には。
空っぽになった私という器を、それでも愛してくれた人がいた。懸命に愛を注いでくれた人がいた。王女としてではなく私自身を望んでくれた人なのに。

―――それなのに愛せなかった。愛する事が出来なかった。

どうして。どうして、私は。私はこんなにも貴方を愛してしまったのか?どうしてこんなにも貴方を愛しているのか?叶わない想いだと諦めをつけ王女として、器として、存在すると決めた筈なのに。それなのにどうして、私のこの想いを消すことが出来ないの?
「…カミュ……」
呟く事すら許されない名前。声にする事すら躊躇われる名前。それでも、それでも私は声にせずにはいられなかった。押しつぶされる想いを吐き出さずにはいられなかった。
「…カミュ…好き…貴方が…貴方が…っ……」
抜け殻になったのに。私という存在は何処にもなくなったはずなのに、なのにどうして消えないの?貴方への想いは消えないの?どうして、どうしてこんなにも貴方を愛しているの?――――ねえ、どうして?
「…貴方を…愛しているの…どうしていいのか分からないの…私はどうすれば良かったの?……」
全てを捨ててしまえば良かったの?アカネイアの王女という人形にすらなれない私は、消えてしまえば良かったの?貴方の想いを消せないのならば、王女としてではない私自身としての生を選択すれば良かったの?全てを捨てて、ただ。ただ貴方を好きなだけの何も持たない生身の女として。
「…それすらも…私には…許されないのに……」
生きろと言った。貴方は私に生きろと言った。貴方のいない世界で、貴方以外の誰かのものになっても、それでも生きろと。けれども。けれども貴方を愛する事で生まれた私は、貴方以外の相手の腕の中で『生きる』事なんて出来はしない。そんな器用な事が出来るならば、私はこんなにも苦しくはなかった。
「…カミュ…カミュ…カミュ…愛している…愛しているわ…貴方だけを…愛している…愛している…愛している……」
とっくの昔に私は壊れていた。粉々に壊れていた。そんなばらばらになった私を周りの人間は無理やり組み立てて、いびつな人形を作りあげた。それが今ここにいる私。ここに在る、抜け殻。ちっぽけな、抜け殻。


繋がった指先にぬくもりがなくても。触れ合う先に未来がなくても。
『…ニーナ…君は生きろ…生きてくれ……』
貴方の手のひらがいい。貴方がいい。貴方でなければ駄目なの。
『それだけが私の誇り―――私が生きた証』
他の誰も代わりになんてなれない。貴方でなければ私は生きられない。


愛しているの。愛しているの、カミュ。貴方だけを愛しているの。どうしようもない程に、呆れるほどに、貴方だけを。



伸ばされた手のひらにそっと手を置く。それは暖かく優しく、力強い手のひら。生身のぬくもりを私に伝える手のひら。けれども。
「―――行きましょう、ニーナ…皆が待っています」
けれどもそのぬくもりを感じるはずの私の指先は麻痺してしまい、感覚すら遠い場所に在って。それすらも何処か作りもののようで。
「…はい、ハーディン…いえ…あなた……」
唇がかたどる笑みの形は、まるで他人のようで。どんなに幸福な表情を作り出そうとも、それは『私』のものではなかった。誰かが組み立てた歪な人形の作りものの笑みだった。


「おめでとうございます、ニーナ様っ!ハーディン様っ!!」
「アカネイア万歳っ!!」


人々の祝福の声が聴こえる。しあわせで光に包まれた笑顔がそこにはある。暖かく眩しい場所がここに存在する。けれども私はもう何処にもいなかった。何処にも私はいなかった。