いばらのみち



足許に散らばる尖った破片を素足で踏みしめて、そのまま流れ落ちる血をただぼんやりと眺めていた。痛みも感触も何もかもが麻痺して、ただ。ただ流れる紅い血が綺麗だと、それだけを思った。――――綺麗、だと……


目覚めた瞬間に願った事はただひとつだけだった。ただひとつ、あなたの笑顔それだけだった。もう二度と手に入れられないものだと分かっていても、それでも願わずにはいられないものだった。
「…また夢をみていたみたいです…あまりにもしあわせな夢だったから……」
二度と目が覚めたくないと心の何処かで思っている自分がいたのかもしれない。それでもその手を離したのは、自分だ。差し伸べられていたその手を離したのは…他の誰でもない自分自身だ。
「…しあわせな夢、だったから……」
口許だけで微笑んで、それが無意味な事だと知っていても微笑んで、そして。そして何処にも行けない自分自身を一度だけ振り返って瞼を閉じた。閉じた先に在るのは、光のように眩しいただひとつの笑顔だけだった。
「…クリス……」
名前を呼ぶだけで口の中に広がる甘い痛みだけが、自分の中に染み込んでゆく。浸透し広がって、そして。そして一番深い場所にぽとりと落ちた。そこから広がって水面に波紋を作り、乱れる事のないはずの心の奥底を掻き乱す。それに耐え切れずに首を横に振れば、そこにあるのは、変わる事のない灰色の日常だった。


後悔なんてものは何処にもなかった。このちっぽけで汚い命は、エレミヤ様の為だけに存在している。元々生きている事すら価値のない、擦り切れた小汚い小さな塊。そんな自分を拾い上げてくれた白くて綺麗な指先。それだけが、自分の世界にとっての全てだった。けれども。

――――屈託のない笑顔が向けられる。疑うことすら知らない真っ直ぐな瞳と、時々子供にすら思える無邪気な笑顔が。

それはとても暖かくて優しくて、眩しい程の光で。こんな自分が本当に触れていいものか戸惑ってしまうもので。かりそめの絆だと分かっていても、それでも。それでも、触れてみたくて。偽りだと知っていても、それでも。それでも、触れてみた。そっと、触れてみた。

――――だってわたしはしらない。こんな。こんな、まぶしいひかりを…しらない。

暗闇が世界だった。幼いころからこの暗闇こそが自分を護ってくれるただ一つの場所だった。光に晒されなければ見つかる事もない。気付かれる事もないから、傷つけられる事もない。この深い闇の中にさえいれば。
「…クリス……」
なのにその腕は私を光の中へと引き上げる。あれほど怯えていた眩しい世界へと。傷つき壊される筈の、眩しすぎる光へと。汚くてちっぽけで醜い塊の私を引き上げる。


その腕が、その手が、その指先が、私を暖かい場所へと。
「…クリ…ス……」
広がる波紋。零れ落ちる雫。そこから浸透する暖かいもの。
「…ク…リ……ス……」
けれども離した。私から離した。その手を、離した。


目を閉じて浮かぶものがただひとつの笑顔になって、そこから驚きに見開かれた瞳になって、そして。そして、哀しみを称えた表情へと変化する。そこにあるものは蔑みでも憎しみでも怒りでもなく、ただ。ただ哀しさだけを浮かべた瞳だった。
「…クリ…ス…あっ…あぁんっ……」
その瞳を思い浮かべながら、無意識に自らの手は胸のふくらみに伸びていた。布越しに乳房を鷲掴みにし、そのまま力任せに揉んだ。痛みすら覚えるその刺激に自身の身体が興奮しているのを感じた。優しく愛撫される事なんて、想像出来なかったから。ただ激しくいたぶられる事しか。
「…ふっ…あんっ…痛っ…あんっ…ああんっ!」
尖った乳首を爪先で抉り、血が滲むほどにいたぶる。そうすればするほどに身体の芯は疼き、下腹部が濡れるのを感じた。じゅんっと一番奥の部分が、反応するのが。
「…クリ…スっ…クリ…あぁぁんっ!!」
蔑んでくれたら良かったのに。軽蔑してくれたら良かったのに。なじってくれたら良かったのに。いたぶってくれたら…良かったのに。そうすれば甘い痛みなんて心に残らなかった。広がる波紋なんて、何処にも存在しなかったのに。
「…もっと…もっと…いじめて…私を…いじめ……ああっ……」
この醜い塊を切り刻んで欲しかった。血まみれにして欲しかった。麻痺するくらいに貫いて、感覚すら分からなくなるほどに。穴という穴を塞いで、息すら出来なくなるほどに。
「ああんっ!!」
胸の愛撫だけですでにぐちょぐちょに濡れていた秘所に指を侵入させる。それは自らの愛液でスムーズに挿ってゆく。それは痛みではなく快楽でしかなかった。
「…あぁ…あぁんっ…ふっ…くふぅっ……」
指を突き入れながらもう一方の指先を口に咥えた。わざと強い刺激を与えながら、そのたびにきつく指を噛んだ。紅い血が染み出す程に、噛んだ。
「…ふっ…くっ…んんっ…んんんっ……」
白いシーツにぽたりと滴る紅い血が、潤んだ瞳にひどく鮮やかに映った。その紅い世界が頭の中を支配した時、眩暈すら覚える快楽の波が内側から押し寄せてきた。
「…ふっ…はっ…あっ…あああっ!!」
指で中を押し広げぱくぱくと淫らに蠢く媚肉を、血の滴る指で掻き乱した。血と愛液が混じり合ってぐちゃぐちゃになるまで。血と愛液の境界線がなくなるまで。そして。
「―――っ!!!ああああんっ!!!」
痛い程に張り詰めたクリトリスを千切れる程に強く摘まんで、そして―――イッた……。


蔑んで欲しいのに。いたぶって欲しいのに。なじって欲しいのに。それなのにどうして。どうして、この瞬間に浮かぶものはその笑顔なの?眩しい程に優しい、ただひとつの笑顔なの?


―――――きれいで、やさしくて、ひかりよりもまぶしい…あなたのえがおなの?


この手を離したのは、私。私が選んだ選択肢。私が生きてきた道。剥き出しの素足の下に散らばっているのは茨の道。尖った棘が全身を貫いて、切り刻んでゆく。そこに痛みはなく、ただ。ただ、流れゆく紅い血があるだけ。ぽたりぽたりと、零れ落ちる紅い血が広がってゆくだけ。波紋のように、広がってゆくだけ。

「…クリス……暖かいね…ずっと…あなたの笑顔は……」

けれどもその血は何処か暖かくて、生身のぬくもりがあって。痛みも感覚も全てが麻痺してしまった私が唯一感じた暖かさで。それはまるであなたのぬくもりに何処か似ていて。そしてどこか、淋しかった。