ゆびさき



貴方の指先が触れた瞬間、私の中の何かが変わりました。


全てのひとに、祈りを、そして慈悲を。
想いを込めて祈り願えば、全てが通じるものだと信じていたのです。
どんな人間にも良心はあって、そして。
そしてそれに触れることが出来れば、この世の中の争い事なんてなくなるのだと。
そう信じて私はこの道を、選びました。

…私はそう…信じていたのです…祈れば想いは通じるのだとそう……



「―――レナさん、俺に捕まって」
差し出された、手。伸ばされた指先。捕らえられた私に、ただひとつ差し出されたもの。
「…ジュリアン……」
信じていたから、私は逃げなかった。信じていたから私は抵抗しなかった。この山賊達も話し合えば分かってくれると。心に触れれば分かり合えると、そう思っていたから。

けれども私の言葉は、私の祈りは、届かなかった。

こうして捕らえられ売り物にすると言われ、繋がれて。売る前にその身体の味を確かめる…と言われそして圧し掛かって来た男を。
「…でも…ジュリアン……」
その男を貴方の手が、貴方が後ろから殴り倒して。そして。そして私に手を、伸ばした。
「でもも何もねーよっ!あんたはこんな所にいちゃいけない人なんだっ!」
自分の仲間をこうしてその手で倒しながらも私に。私に差し出した、手。私に伸ばされた指先。私のために、伸ばされた指先。
「…ジュリアン……」
その指先に触れた、瞬間。私の中で何かが変わった。私の中で、何かが生まれた。



信じていたものは、ただひとつの祈り。ただひとつの信仰。
その中に全ての答えがあると、思っていた。その中に全てが、あると。
どんな人間にも心はあって、そして。そして語り合えば通じるのだと。
想いは、気持ちは、届くのだと。そう。そう、信じていた。

―――祈りは必ず、届くのだと……

けれども言葉は届かない。けれども声は届かない。祈りは、届かない。
私は無力だ。私は何も出来ない。こうして唯一の祈りですら、私には。
私には彼らに届けることが出来なかった。私は何も、出来なかった。
私は何も出来ない。何も、出来ない。こうして貴方を。貴方を裏切り者にして。
そうしてここから助けられるだけの存在。何一つ私は、出来なかった。



逃げて。手を取り合って、逃げて。何処までも、逃げて。
「…ジュリアン…ごめんなさい…私のせいで……」
この手だけが。この指先だけが。今の私にとって。私に、とって。
「…ごめんなさい…ジュリアン……」
信じられるもの。祈りよりも信仰よりも、神様よりも。何よりも。
「…ごめん…なさい……」
このぬくもりだけが、今私にとっての唯一のものに。


「謝るな、あんたは何も間違ってはいない」


脚が縺れるほどになって、やっと私達は走るのを止めた。何処まで走ったか分からない。何時しか空はうっすらと明けていた。薄い闇からそっと光が零れてくる。
「大丈夫か?」
振りかえって貴方も息は乱れているのに、真っ先に私を心配してくれた。自分よりも先に、貴方は。貴方は私を、心配してくれて。
「…大丈夫です…私は平気…でも…ジュリアン貴方は……」
真っ直ぐに貴方を見上げた。その時になって初めて気が付いた。貴方の瞳が、こんなにも。こんなにも澄んでいる事に。こんなにも綺麗だという事に。

私はこんな真っ直ぐで綺麗な瞳を…今まで見たことが…なかった。

私の廻りにいた人達は、何時もどこか欲望に塗れていた。それは『権力』だったり『地位』だったり、何かしらの野望を持っていた。だから、こんなにも。こんなにも何の欲望もない純粋な瞳を、私は他に知らない。こんな瞳を…知らない…。
「いーんだよ、俺は。俺はただのチンケな盗賊だから。これで少しくらいは罪が軽くなるかもな」
人のものを盗むことは罪だと。それは許されない行為だと教えられてきた。決して許されはしないことだと。でも、そんな貴方の瞳は何処までも綺麗で、何処までも澄んでいる。
「…ジュリアン…貴方はとても…優しい人です……」
繋がっている指先のぬくもりが。そっと伝わるぬくもりが、とても。とても暖かく、そして優しい。傷だらけのあかぎれが出来ているその指先が、今は。今は何よりも私にとって心地よく、そしてかけがえのないものに感じる。
「…貴方は…とても心の綺麗な人です……」
盗みは許されない。貴方の犯した罪は許されるものではない。けれども。けれども私は。私にとっては、貴方は。貴方は……
「…ってそんなこと言うなよ…照れるから…それに…俺綺麗じゃねーよ、盗賊だもの…ずっと盗みをして生きてきた…あんたとは違う…」
貴方の罪すらも、私は。私はこんなにも。こんなにも思う。触れたいと。貴方に、触れたいと。


何が違うのだろう?何も出来ない私。祈るだけで何一つ出来なかった私。そんな私を救い出した手。救い出した指先。
「…どうして?違わない…私達は違わない……」
貴方の手が罪に濡れていると言うのならば、その手を取った私はもっと。もっと罪深いでしょう?そんな貴方の手を取った私は。何も出来なかった私は。
「…違わない…だって……」
―――その指先に、触れた。


「…指先は…同じ…ぬくもりだもの……」



その指先に触れた瞬間に、私の中で。
私の中で何かが生まれました。
暖かく優しく、そして。
そしてひどく苦しい何かが、この胸に。
この胸にそっと、降りてきました。

…そっと私の中に…降りてきました……



「…レナさん……」
絡めた指先を、今は。今だけでいい。
「…同じだから……」
離したくはない。この指先を。


――――繋がっているぬくもりを、今は離したくはない……




信じていた信仰よりも、祈りよりももっと。
もっと大切なものが。大切なものが今ここに。
この繋がった指先にあるような気がしたから。




――――この触れ合った、ゆびさきに……