――――君の想い出の中で、僕はどんな風に生きている?
僕はちゃんと微笑っている?僕はちゃんと君に微笑んでいる?
口は歪んではいない?目許は滲んではいない?そして。
そして僕はちゃんと。ちゃんと真っ直ぐに君を見上げている?
嘘を付く事しか出来なかった。それ以外僕が君にあげられるものは何もなかった。何もなかったから。
永遠なんて何処にもないことは気付いていた。ずっとなんて、何処にもないことを。それでも心のどこかで、捜していた。ありえないものを、捜していた。
『さようなら』
その一言だけを告げた。それ以上の言葉は言わなかった。言えなかった。もしも声に出して告げてしまったら、きっと僕は必死になって閉じ込めたものを吐き出してしまうから。許されない想いを…吐き出してしまうから。
『それがお前の出した答えなら…俺はそれ以上は何も言わねーよ』
真っ直ぐな瞳。逸らされない瞳。僕が逸らしたくてもそれを決して許してはくれない瞳。そこが、好きだった。本当に好きだった。もう言えないけれど。決して言えないけれど、君が誰よりも好きだったよ。
『しあわせにな…エリウッド』
これが永遠のさよならじゃない事は二人には分かっている。けれどもこれは別離だった。これは別れだった。言葉ではないもので繋がっていたふたりの糸を、僕が切った瞬間だった。
『君もね、ヘクトル』
僕は微笑っている?ちゃんと微笑っていられる?口許は歪んではいない?目許は潤んではいない?声は…震えてはいない?
――――僕はちゃんと君に、笑顔を向けていられている?
僕が君にあげられるものはこれしかなかった。
もうこれだけしかなかった。他には何もなくて。
今まで手のひらで必死に護ってきたものは、全て。
全て捨ててきた。全て零してしまった。だから。
だからこれしかないんだ。これだけしか。
君にあげられる唯一のもの。それは滑稽なほどに儚い嘘。
さよならなんて言いたくなかった。ずっとそばにいて欲しいと、何度も心の中で叫んでいた。けれどもそれは決して許されない。それはただの我侭だ。僕の勝手な我侭でしかない。
『お前が何て言おうと、俺の気持ちはずっと変わらねーからな』
手を伸ばせばそこにある。こうしてそっと手を伸ばせば自分のものになる。望めば叶えられる。それがどんなに間違ったことでも、今この手を伸ばしさえすれば。
『そんだけ、憶えててくれればいーや』
でもこの手は伸ばせない。目の前にある大きな指に自らのそれを絡めることは出来ない。こんなにもたやすく望みを叶えられるのに、それを抗わなくてはならない苦しさと痛み。
それを選べるだけの弱さと素直さが欲しかった。強さと意地なんてなければ、迷わずに選べたものなのに。なのにどうしても。どうしても、指を絡められない。
『―――憶えてるよ、ずっと…だから、もう何も言わないでくれ』
背負う未来を決めたのは自分。この道を選んだのは自分。彼の未来を望んだのは自分。全部自分が決めたことだった。自分が彼に望んだことだった。
だからこそ、その先にあるものを選び取るだけの強さを持たなければならない。決して優しい水の中に浸ることは許されない。分かっている。頭では理解している。けれども。
『…もう…言わないで……』
けれども僕はただの『ひと』で、本当はとてもちっぽけで。ただの弱い一人の人間でしかなくて。どうしようもないほどに、弱くて情けない小さな存在で。
本当は今、こうして息をしているだけで苦しいのに。
何もいらないから神様、このひとを僕だけにください。
未来も希望も、地位も将来も、なにひとついらないから。
だからどうか僕に。僕にこのひとを、ください。
強くて、大きくて、ぶっきらぼうで、優しくて。誰よりも人の痛みが分かる人。誰よりも人の哀しみが分かる人。そんな君が誰よりも好きで、そんな君をずっと見ていたいと思った。
君のそばで微笑っていたくて、君の隣にいたくて、君の一番の『親友』になりたくて。一生懸命に二人で色々なものを積み上げてきたるそれは本当にささやかなものだったり、他愛のないものだったりしたけれど。けれども僕にとっては何よりもかけがえのないものだった。
いらないから。本当に何も欲しくないから。だから。
だから僕にください。僕だけに、ください。
お願いです神様。僕からこのひとを取り上げないでください。
ずっと見ていた。その背中を消えてなくなるまで、ずっと。もう二度と逢えない訳じゃない。永遠のさよならじゃない。でも僕は今この瞬間に君から手を離したんだ。掴めば、望めば、それは手に入ったものなのに。なのに、僕は。
「…行かないで…ヘクトル……」
歪む視界の中で、ただひとつの真実を告げる。
君が何処にもいなくなって初めて告げる本当のこと。
僕は君にあげられるものは嘘しかなくて。儚い嘘しかなくて。だから。
だから君がいない今この場所でしか本当のことは言えないんだ。
何もいらない。何も欲しくない。君がいれば他には何一つ欲しいものなんてなかった。
どうすればよかった?どうしたらよかったのか?何もかもを捨てて君を手に入れればよかった?その手を離さなければ良かった?そうしたら僕らはしあわせになれたの?
ううん、しあわせになんてなれはしない。君が他人の痛みを誰よりも知っている男である限り。
君の強さは僕にとっての憧れで、僕にとっての痛みだった。
『俺が出来ることをする。今はそれしかねーもんな』
君の優しさは僕にとっての救いで、僕にとっての苦しみだった。
『俺が兄上の代わりに…国を、皆を護らねーと』
君が決めた道を、君が決めた決意を、僕は止めることなんて出来ない。
そばにいてくれと願えば、君は僕のそばにいてくれただろう。それこそ自分の理想すら捨てて。理想よりも友を、愛する人を選ぶ君だから。でもそれによって君は。君は一生消えることのない罪と罪悪感を背負うことになってしまうから。
「…行かないでくれ…ずっと俺のそばにいて……」
愛だけで生きられたら、それだけで生きられたら。そんな生き方が許されたならば。前も後ろも見ずに、今ここにある優しさだけに浸っていられたならば。
「――――行かないで……っ」
僕はちゃんと笑っていられただろうか?綺麗な笑顔を君に見せることが出来ただろうか?君に後悔も痛みも何もなくなるほどに、僕は微笑んでいられただろうか?
君の想い出の中で、僕は嬉しそうに微笑っている?
あげられるものはこれだけしかなかった。本当にこれだけだった。
優しく儚く、そして苦しいだけの嘘を。君にあげることしかできなかった。