目の前にある棺はひんやりと冷たく、ただひたすらに無機質だった。視界に入るそれは四角い固体という認識しかなく、ただの物質のひとつでしかなかった。
―――そうこれはもうただの。ただのひとつの物体でしかない。
オズインは無言のまま棺に近付くと、その蓋に触れた。その蓋を開ければ、あの人が生前と何も変わらない顔で安らかに眠っていると自分に言い聞かせながら。そうあの頃のままの壮健で力強い主君のままだと。
「―――ウーゼル様……」
瞼を閉じ最期に見た彼の人を思い浮かべる。身体は病魔に蝕まれていたが、それでも絶対的なカリスマを持つ瞳で自分を見下ろすその人を。
強い瞳だった。絶対的な瞳だった。その光には迷いはなく、壮絶なまでの意思が見えていた。だから、自分は従った。
彼の人の言葉に、従った。病身の主君のそばにいる事よりも、彼が未来を預けたただ独りの弟の部下として離れる道を選んだ。
それは間違えではなかった。間違っていないはずだった。けれども。けれ、ども。
無機質な棺。冷たい物体。そこに『生』は何処にもなかった。何処を捜してもなかった。
彼の人の命のかけらすらも、もう。もう何処にもない。
命を捧げてもいいと誓った相手はただ独り。
「…どうして私が……」
全てを捧げると願った相手はただ独り。
「…私が戻ってくるまで……」
ただ独りだけだった。たった独りだけだった。
「…貴方がいないのに…どうして私は生きているっ……」
誰よりもこの国の未来を案じ、誰よりも主君であろうとした人だった。自分の先が長くないと悟った瞬間、誰よりも信頼する部下に未来を担う自らの弟の行く末を頼んだ。
誰から見ても立派な主君だった。誰から見ても立派な人間だった。けれども。
「…貴方は私にとって誰よりも立派な主君でした…命を預けても惜しくない大事な方でした…でも……」
冷たい箱を開けられなかった。その蓋を取ればあれだけ逢いたいと願った人がそこにいるのに。なのにオズインはその冷たい蓋を開ける事が出来ない。真実を、直視する事が出来ない。
「…でも貴方は…人間として…私にとっては……」
最期に焼瞼の裏に焼きつけた笑顔と、力強い腕のぬくもりを、失くしてしまうのが…怖かったから。
「…私にとっては…残酷な方です……」
望みを願いを分かっていたから。主君として自分自身として、その想いを。だからオズインは答えた。それこそが誰よりも敬愛する主君に対して自分が出来る唯一の事だから。
けれどもそれは『自分自身』にとっては。主従ではなくただ独りの人間としてのオズインにとっては。―――何よりも、苦しい事だった。
箱の蓋に手を掛ける。けれどもそこから先に進めない。どうしても、この蓋を開ける事が出来ない。
どうしてと、頭に浮かぶ単語を打ち消そうとしても。
「…私の気持ちは…どうすればよいのですか?…」
それが主君の願いと思いに背く事だと分かっていても。
「…貴方を失った私の気持ちは…どうすればよいのですか?……」
それでも止められない。今は、止める事が出来ない。
どうして命に背いても、貴方のそばにいなかったのだと。
目の前の箱はひんやりと冷たく、そして無機質だった。そこにあるのはただの四角い物体で、命のかけらは何処にも見当たらない。それでも。
それでもそこに眠るのは間違えなく彼の人だった。それが今ここにある唯一の事実だった。
永久の箱
目の前にある棺はひんやりと冷たく、ただひたすらに無機質だった。視界に入るそれは四角い固体という認識しかなく、ただの物質のひとつでしかなかった。
―――そうこれはもうただの。ただのひとつの物体でしかない。
オズインは無言のまま棺に近付くと、その蓋に触れた。その蓋を開ければ、あの人が生前と何も変わらない顔で安らかに眠っていると自分に言い聞かせながら。そうあの頃のままの壮健で力強い主君のままだと。
「―――ウーゼル様……」
瞼を閉じ最期に見た彼の人を思い浮かべる。身体は病魔に蝕まれていたが、それでも絶対的なカリスマを持つ瞳で自分を見下ろすその人を。
強い瞳だった。絶対的な瞳だった。その光には迷いはなく、壮絶なまでの意思が見えていた。だから、自分は従った。
彼の人の言葉に、従った。病身の主君のそばにいる事よりも、彼が未来を預けたただ独りの弟の部下として離れる道を選んだ。
それは間違えではなかった。間違っていないはずだった。けれども。けれ、ども。
無機質な棺。冷たい物体。そこに『生』は何処にもなかった。何処を捜してもなかった。
彼の人の命のかけらすらも、もう。もう何処にもない。
命を捧げてもいいと誓った相手はただ独り。
「…どうして私が……」
全てを捧げると願った相手はただ独り。
「…私が戻ってくるまで……」
ただ独りだけだった。たった独りだけだった。
「…貴方がいないのに…どうして私は生きているっ……」
誰よりもこの国の未来を案じ、誰よりも主君であろうとした人だった。自分の先が長くないと悟った瞬間、誰よりも信頼する部下に未来を担う自らの弟の行く末を頼んだ。
誰から見ても立派な主君だった。誰から見ても立派な人間だった。けれども。
「…貴方は私にとって誰よりも立派な主君でした…命を預けても惜しくない大事な方でした…でも……」
冷たい箱を開けられなかった。その蓋を取ればあれだけ逢いたいと願った人がそこにいるのに。なのにオズインはその冷たい蓋を開ける事が出来ない。真実を、直視する事が出来ない。
「…でも貴方は…人間として…私にとっては……」
最期に焼瞼の裏に焼きつけた笑顔と、力強い腕のぬくもりを、失くしてしまうのが…怖かったから。
「…私にとっては…残酷な方です……」
望みを願いを分かっていたから。主君として自分自身として、その想いを。だからオズインは答えた。それこそが誰よりも敬愛する主君に対して自分が出来る唯一の事だから。
けれどもそれは『自分自身』にとっては。主従ではなくただ独りの人間としてのオズインにとっては。―――何よりも、苦しい事だった。
箱の蓋に手を掛ける。けれどもそこから先に進めない。どうしても、この蓋を開ける事が出来ない。
どうしてと、頭に浮かぶ単語を打ち消そうとしても。
「…私の気持ちは…どうすればよいのですか?…」
それが主君の願いと思いに背く事だと分かっていても。
「…貴方を失った私の気持ちは…どうすればよいのですか?……」
それでも止められない。今は、止める事が出来ない。
どうして命に背いても、貴方のそばにいなかったのだと。
目の前の箱はひんやりと冷たく、そして無機質だった。そこにあるのはただの四角い物体で、命のかけらは何処にも見当たらない。それでも。
それでもそこに眠るのは間違えなく彼の人だった。それが今ここにある唯一の事実だった。