背中



―――気が付くと何時も、その背中を視線で追いかけてた。

言葉数が少なくて、何を考えているのか分からなくて。分からないけれど…でもひとつだけ俺が分かっていることがある。ひとつだけ、分かったことがある。

それはお前の瞳が本当はとても優しいということ。

戦場では一瞬の隙が命取りになる。ほんの少しの気の緩みが致命傷になる。だから常にぴんと糸のように気を張り詰めて、戦場に立たねばならない。
どんな時もどんな瞬間も、自らの命を護る為に、他人の命を護る為に。
「―――何を呆けている」
頭上から降り注ぐ声にギィは一瞬ぴくりと肩を竦めて、その声の怖さに少しだけ怯えながら恐る恐る顔を上げた。
「呆けてなんてない、俺は…」
無意識にギィの指が鼻の頭を擦った。その仕草をする時は何時も彼が『気まずい』と思った時だとラスは気が付いた。気が付いたからと言って、それを指摘する事はしなかったが。
「戦場では一瞬の油断が命取りになる、分かっているな」
「分かってんよっそんくらいっ!…そうやってラスは俺の事子供扱いして……」
負けん気の強い子供のように怒鳴ったと思ったら最後の方は消え入りそうなほどの小さな声だった。そのアンバランスさがひどくラスには可笑しく思えたが、そんな事を思う暇は今の自分にはなかった。今ここは戦場である以上、心に隙は作ってはいけないのだから。
「なら今は集中しろ、勝つ事だけ考えろ」
「―――ああ」
そう短く答えてからギィは少し後悔をした。どうして自分は素直に『ありがとう』と言えなかったのかを。
口調は冷たいけれどそれがラスの優しさだと分かっていながら。自分を心配してくれている彼の気持ちだと分かっていながら。
子ども扱いされたからって拗ねるのは、やっぱり自分が子供だという証拠でしかないと思い知らされるのに。
そのまま馬に乗りながら弓を射るラスとは反対方向へとギィは駆け出していった。湧き上がる苛立ちを必死で消しながら、剣を振るった。

それに気付いたのは何時だっただろうか?今でも思い出すことが出来ない。だって本当にある日突然気が付いたのだから。
そう本当にふとした瞬間に、気が付いた。何時も彼が自分を助けてくれている事に。自分が剣を振るっていると援護射撃のように射抜く弓に。そしてそれを誰が放っているかと言うことに。

―――同族は見捨てたりはしない。

以前彼は自分にそう言った。誇り高きサカの弓兵はそう自分に告げた。けれども自分も。自分だってサカの剣士だ。だから決して同族を見捨てたりはしない。困っていれば助けるし、ピンチになれば駆け付ける。けれども。
けれども何時も気付けば、自分ばかりが彼に助けられていた。何時も気付けば自分の危機に彼の弓がその窮地を救ってくれた。なのに。なのに自分は何一つ、彼に恩返しはしていない。彼の為に何も、していない。
それがひどく自分を苛立たせ、焦らせてゆく。

最後に返り血を頬に浴びて、ギィは目の前の敵を全て片付けた。他の戦いの場もあらかたケリは着いており、これ以上無益な戦いは無意味と判断したエリウッドが各部隊に引き上げるように号令を飛ばしていた。
それを確認してギィは目の前の自らが殺した敵に一つ祈りを捧げると、その場を駆け出した。皆のいる場所へと引き上げるために。

駆けていた足がふと、止まる。風が運んできた微かな香りが、その足を止める。

気付けば何時も捜していた。その背中を捜していた。
「………」
無意識のうちにその広い背中を自分は、捜していた。
傾き始めた夕日がその背中を照らす。柔らかい紅がその広い背中を。ギィは目を細めてそれを見つめる。ひどく綺麗なものを、見つめるように。そして。
「…ラス……」
そして聴こえるはずのない場所から、その名を呟いた。ぽつりと、呟いた。その瞬間。そっと。

そっとしせんが、からみあった。

気付くはずのない小さな呟き。そっと呼んだ名前。それはきっとただの偶然だ。きっと、ただの。
「…どうして……」
けれども振り返り視線が絡み合って。絡み合ってひとつ微笑ったその顔は、偶然じゃない。偶然なんかじゃない。
ちゃんと自分の瞳を見つめて、視線が重なり合って、与えられた笑顔だった。

知っている、その瞳が本当はどんなに優しいかを。知っている、その心がどんなに暖かいかを。

言葉じゃない何かでずっと。ずっと彼は自分にそれを与えていてくれたから。


重なり合った視線は静かに離れて、そして彼の背中は小さくなってゆく。それをギィは無言で見つめた。消えてなくなるまで、ずっと見つめていた。